(2)
数日後、エンティナス城のコールの部屋に、ギランの姿があった。
「教会の図書室から、かっぱらってきてやったぞ」
ギランに渡されたのは、古ぼけた書物だった。
「術の指南書か……」
「正直、びっくりしたけどな。まさかエンティナスみたいなどっぷり騎士の家系のお前に、術の才があるなんて……」
以前のコールなら、術の指南書など渡されても、開くこともなく突き返していただろう。
たとえ自分に多少、術の才能があったとしても、騎士の家の自分には、まったく必要のないものだと。
だが、あの日、自分の中に荒ぶる力を感じてからは、違った。
体が弱く、自由に身体を動かすこともままならなかったコールが、生まれて初めて感じた全能感だった。
あれが術の力ならば、自分はその力により、まったく違う何者かになれるかもしれない。
「知っているとは思うけど、術ってのは誰にでも使えるものじゃない。むしろ、数限られた人間にしか現れない、稀有なスキルだ。しかも、お前の呪力はどす黒かった。あんな色の呪力は俺も見たことがない。あれから俺も、いろいろ調べてみたけど、漆黒の呪力、つまり、闇の魔術を使える呪力を持つ人間は数千万人に一人、現れるか現れないかだと言われてる。お前にそのつもりがあるなら、俺は絶対に、お前は術士になるべきだと思う」
ギランの言葉が、コールの心に強く刺さった。
空っぽだと思っていた自分に、未来に展望などないと思っていた自分に、唯一与えられた光明。
「城の図書室にも、探せばきっと術書はたくさんあると思うぞ。俺で良かったら、俺の知ってる知識もお前に伝える」
それからコールは、城の図書室にこもり、むさぼるように書物を読み漁った。
本を読むことならば、身体の弱いコールでもできることだった。
基本的な術の知識が書かれた本はたくさんあったが、闇術に関するものとなると、極端に数が少なかった。
闇術士自体の数が少ないこともあるのだろう。聖術、闇術、水術、焔術、風術、地術……六種類ある術の中でも、特にポピュラーで術士の数も多いのが、聖術と焰術、それに風術のようだった。
術は主に魔物を退治するためのものだから、魔を祓う聖術が人気なのは当然だろう。
一方で、コールの持つ闇術は魔物たちの源となる、『闇』の力だった。その力を自在に使うには、通常よりも多くの呪力が必要になる。だが、多くの呪力があれば、魔物を使役することも可能になると言うのだ。
「使役の力か……」
「コール、俺が焰術を教えてやろうか?漆黒の呪力を持つお前になら、焰も扱えるかもしれない」
ギランが言うには、呪力には『陰』の力と『陽』の力があるという。
「俺の持っている深紅の呪力は『陰』の力だ。だから、同じ『陰』の力である褐色の呪力の地術を扱うことができる。でも、俺には、上位の呪力である闇術は使えない。ところがお前は、漆黒の呪力を持ってるから、理論上は、焰術も地術も、どちらも使えるはずなんだ。漆黒の呪力の対極にある、純白の呪力の持ち主が、同じ『陽』の力である水術と風術を使えるようにね」
「ふーん……じゃあ、お前の焔術より俺の闇術の方が高等ってことだな」
「む……そう言うことは、闇術を自由に扱えるようになってから言いやがれ」
ギランがむすっとして声をあらげる。
「それに、焰術が闇術の下位にある術だからと言って、焰術の方が弱いってことではないんだ。焰はイメージのしやすい術だから、誰にでも扱いやすい、基本の術だと言われてる。呪力のコントロールを覚えるなら、焰術はもってこいだ」
ギランは右の掌を上に向けた。ぼっ……と赤い炎が掌の上に現れる。
「ここじゃ、練習はできないけどな。失敗したら、部屋中の書物が灰になる。今度、お前の体調がいい時に、外で練習しよう」
それから秋までの半年間は、コールのそれまでの人生の中で、もっとも生き生きとした日々だった。
ギランの手解きを受けて、コールはめきめきと術の扱い方を覚えていった。
そして、呪力を扱うようになると、自然と体調を崩すことも少なくなってきた。
コールの中に眠っていた生命力が、輝くべき場所を見つけて、生き生きと輝き出したかのようだった。