(4)
「もうちょっと、速くならないかしら……?もう一度、やってみましょ」
「〝業火〟」
「〝水盾〟」
リッカとキリエの術がほぼ同時に放たれ、業火が水の盾で阻まれる。
「速効の演習かー、『速さ』は大事だよね、関心関心……」
演習場で、熱心に技を磨く二人を見て、オーランドが満足そうな声で言った。水術に限らず、防御の術は術式の展開の速さが命だ。防御壁を張る前に焼き殺されては意味がない。
この間、リッカを鏃の雨から守ったキリエの素速さは、目を見張るものがあった。
「オーランドが指示したんじゃないのか……?」
コールは驚いていた。
「僕は何も言ってないよ。勝手にやってるみたい。完全に気に入られたね、キリエ」
「意外だな……あんなにいがみ合っていたのに……?」
「僕の予想通りの展開だよ。リッカってさ、気に入らない人間は目の敵にするのに、一度気に入ったらあの通り、ベッタリなのさ。そうなったらそうなったで、キリエも苦労するかもしれないけどね……キリエって、何とも、捕食者の『嗜虐心』をそそるんだよね……リッカの気持ち、よく分かるよ……」
オーランドはまたしても悪役顔でニヤニヤしている。
「相変わらず性悪だな、お前は……。キリエのことが好きなんじゃなかったのか……」
「大好きだよ……?こう言う愛の形があっても、いいとは思わないかい……?」
「止めて!オーランド、顔が怖い……っ!」
クアナは震え上がった。オーランドにリッカ……こんな恐ろしい人達の餌食にされて、キリエ、絶体絶命のピンチだ……。私が守ってあげなくちゃ……!
「ま、冗談はさておき、なかなかいい展開になったじゃない?ぼくの手腕を褒めてよね!」
絶対、『冗談』じゃ、ないでしょ……。クアナは心の中で突っ込む。
「クアナ姫、僕も居ますよ。攻撃系のお二人の力は甚大ですが、僕が盾役としてキリエさんをお守りします!」
フリンが、僕のことも忘れないで、とでも言うようにクアナに宣言する。
「フリン……貴方の気持ちは有り難いんだけど、もしもキリエのことが好きだったとしても、申し訳ないけど、それは諦めようね……。オーランドには絶対に敵わないから。貴方の身が持たないと思う……」
酷い言われようだ。なぜ、僕はいつもそんな立ち位置なんだ……。
「あの、それは事実かもしれないですけど、止めてもらえませんか?いろんな意味でダメージがデカい……。僕はキリエさんのことが好きなわけでもありませんし、そもそも僕も、そこまで身のほど知らずじゃないですよ……」
クアナの包み隠さない言葉に大きなダメージを受けるフリンであった。
「フリン、クアナ、君たちも、地術と風術で、同じことをやってみればいいんじゃない?クアナも、風術の技は、もう少し磨いておくに越したことはないと思うよ」
オーランドは二人の会話はまったく意に介さない様子でそう言った。
「副隊長……。聖術と水術の、ほとんどの術を習得しているクアナ姫に、これ以上術を覚えさせようとしないでくださいよ……」
「何言ってるのさ……護身術として、風術以上に有用な技もないよ。呪力が切れて聖術も水術も、一切使用不能な状態に陥ったとしても、わずかな呪力さえ残っていれば、刃を作り出すことができるんだからね。これほどコスパのいい術もないだろう……?」
「分かりました、副隊長……!」
クアナはいつも通り、師匠の言葉に頷いた。
いつぞや、悪漢に襲われた際、風術が使えれば身を守れたのに……。その事実を、クアナはしっかりと覚えていたのだ。
それから数カ月が経った、ある非番の前日、いつものようにコカトリス第三小隊の仲間達と街中で飲み歩いていたキリエが、少し夜風に当たってから帰ろうと、一人ふらふらしていた時だった。
大きな通りから少し外れた場所で、辺りに人は居なかった。
背後から、ヒヤリとした殺気を感じて、キリエは条件反射で風術の刃を繰り出し、勢いよく後ろを振り返った。酔いが一気に覚める。
「誰だ……っ!」
ところが、目の前に居たのは、深窓の令嬢といった風情の、ほっそりとした身体、柔らかな金髪を細かな編み込みに結い上げた、儚げな女性だった。
身なりも良さそうだし、貴族の令嬢か……?
物騒なことに、彼女の右手には、鈍色に煌めく刃物が、しっかりと握られており、その切っ先はキリエの身体に向けられていた。
「キリエ・カイル……貴方だけは、絶対に許さない……」
思い詰めたような、狂気を感じるような暗い表情をしている。
「ち、ちょっと待って……!貴方、初対面よね、いきなりそれはちょっと物騒なんじゃない……?」
キリエは術を解除し、素早く女の右手を捻り上げて刃物を奪った。
相手が一般のか弱い女性なら、風術士として鍛えているキリエの相手ではない。
「くっ……許さない……!絶対に、殺してやる……!」
彼女はキリエに腕を捕まれながらも、怨嗟の籠った言葉を繰り返し呟いている。
「とにかく落ち着いて……!まったく心当たりがないんだけど、貴方が私に、いったいどんな怨みがあると言うの……?」
「決まっているでしょう!私から、オーランドを奪った罪よ。あの人と結婚するのは私だったはずだったのに……、ぽっと出のあんたになんか、絶対に渡さないんだから……!」
狂気だ……。彼女の言葉と表情からは、物凄く深い怨みが感じられる。黒い呪力でも噴き出してきそうだ。
「はあ……」
キリエは彼女を押さえ付けながら、深い溜め息をついた。
この子はどうやら『本物』みたいだ。リッカに仁王立ちされた時も怖かったけど、彼女にとってオーランドはただの『推し』だったから良かったものの、『本命』を横取りされたら、そりゃこうなっちゃうよね……。
キリエは目の前の女に、心から同情した。
「えーっとね……信じてもらえないかもしれないけど、私とラマン・オーランドの間には、何もないのよ。私も、あんな軽薄そうな男の人に興味はないし、むしろ、貴方みたいな可愛い女の子を泣かせるなんて、許せない、とまで思ってるんだけど……」
キリエののんびりとした口調に毒気を抜かれたのか、女の強ばった身体から力が抜けた。
今は狂気的な顔色をしてるけど、美人だし、儚げな雰囲気がなんとも言えない可愛らしい令嬢だ。
こんな素敵な淑女よりも、私を選ぶとは、ラマン・オーランドの趣味はさっぱり分からない。
彼ほどの『美食家』ともなると、普通の女の子では満足が出来なくなってしまう、とか、そう言う話なのだろうか……。
「ちょっと、飲まない?貴方とは話が合いそうだわ……」
キリエはすでにほろ酔いだった。普段の彼女なら絶対にしないことだが、目の前の、オーランドのことをよく知っていそうな女性を捕まえ、戸惑う彼女を無理やり引き連れて、すぐ近くにあった小さなパブへと駆け込んだ。
「ほんっと、最低な男よね。こんな、可愛い女の子を泣かせるなんて……!遊ぶだけ遊ばれて、棄てられたってわけでしょ……?」
イメージ通りの男だ。『今までいったい、何人の女を泣かせてきたと思ってるんだ』と、いつぞやケンも言っていたではないか。こんな不幸な女の子が、アイツの周りにはいっぱいいるに違いない。やっぱり大嫌いだ、あんなヤツ……。
「ち、違うんです。彼と出逢ってから……と言うか、初めは、親同士が勝手に結婚相手として話を進めてただけなんですけどね……。そんなことを言われたら、こっちは期待してしまうじゃないですか。あんなに素敵な人だし……」
彼女――侯爵令嬢セッジムーア・クララベル・シャーロットは、儚げな瞳を潤ませて言った。
「私が、勝手に舞い上がってただけなんですけどね……オーランドはけんもほろろで……まったく相手にされていないんです」
キリエは意外だった。
「そうなの……?貴方みたいな清楚系美人は、彼の好みに合いそうなのに……」
「知らないんですか?彼はとことんドライですよ。彼にはどんな色仕掛けも、通用しないんです。いわゆる『男女関係のもつれ』に巻き込まれるのがめんどくさいと思ってるんでしょうね。自分に得がないと思ったら、冷たく突き放して一切関わろうとしないんですから……。だから、そんなオーランドが、『一途』になる人って、どんな人なんだろうって、好奇心で見に来てみたら、羨ましくて、なんだか堪えられなくなって……ごめんなさい、本当に……」
「や、やめて!もうそれ以上は……言ってはダメ……っ!」
キリエは必死で彼女の言葉を遮った。
キリエは思わずパブの卓上に突っ伏して頭を抱えていた。
「い、いったいどうしたの……?」
それ以上は言わないで……こっちは必死で、ラマン・オーランドのことなんか、好きになったら絶対にダメだと、自制してきたと言うのに……!あんな、見るからに厄介そうな人に恋なんかしてみろ、身の破滅以外の何物でもないじゃないか!
「知ってる……って言うか、ほんとは、とっくに、知ってた……」
ラマン・オーランドは、物凄く頭がいい人だ。恋愛感情すら、損得勘定で割り切る。……一方で、自分が一度これと認めた相手には、とことん愛情を尽くすのだ。彼の、クアナとコールに対する一途な愛情と言ったら、常軌を逸してたじゃないか……。
知ってたけど、知らないふりをしていただけだ。私はどうしようもない臆病者だから。……あの人と自分とじゃ、明らかに、全然、釣り合わないもの。勘違いして、舞い上がって、惨めになるのが嫌だっただけなんだ。
――ああいうの、『一目惚れ』って言うんじゃないかな?初対面から、明らかに態度が違ったもの。
ふと、ついこの間クアナがキリエに囁いた一言を思い出す。
『一目惚れ』って……それじゃあ、あの時も……?
『君もさ、エリンぐらいぶっ飛んでみたら、いいんじゃない?真面目過ぎるんだよ。どうせ、優秀過ぎる兄に比べられてツラいから、水術は棄てたーっとか、そう言う話でしょ』
オーランドは、初めて会った時から、キリエに優しい言葉を掛けてくれていたんだった。
キリエが水術を取り戻したのは、彼が『エリンワルドをも超える最強の戦士になるかもしれない』――そう、力強い一言をプレゼントしてくれたからに他ならない。
そして……もし『そう』だったとしたら、知らなかったこととは言え、自分はかなり、彼に酷いことを言ってきたんじゃないだろうか……。
『見損ないましたよ、ラマン・オーランド』――オーランドが、コールからクアナを奪い取ろうとしていると勘違いしたキリエは、『汚い手を使ってまで、彼女を奪い取って、何が楽しいんですか?』と、全力で彼を罵倒したのだったけど、
あの時、たしかオーランドは、
『悪かったね、悪党で』――と、そう言って、ひどく傷付いた顔をしていたのではなかったか?
普段の自信満々なオーランドとは全然違う、頼りなくて寂しそうな表情が、キリエの脳裏に思い出される。
「ヤバい……萌え死にそう……」
キリエは突っ伏したまま呟いた。
そう言えば私、一途に自分のことだけを愛してくれる王子様を探していたんじゃなかったっけ……。
シャーロットは、一人でブツブツ言っているそんなキリエの様子を、呆れて見ていた。
その時シャーロットが目にしていたのは、いわゆる『人が恋に落ちる瞬間』だったと言えるだろう。




