(3)
キリエが寮へ戻ると、自室の扉の前で、仁王立ちして待ち構えている女がいた。
「キリエ、今日はいったい、どこに行っていたのかしら……?」
戦慄の戦乙女は、紅蓮の瞳を燃え上がらせて、キリエを睨み付けている。
リッカの私服は、首もとの詰まったスタンドカラーとラグランスリーブの黒いブラウスに、同じく黒い革製のスリットの入ったロングスカート、全身黒ずくめのコーディネートに燃えるような赤毛が映えて、凄みのある魔女が出来上がっている。
「ひ、非番にどこで何をしていようが、私の勝手でしょう……?」
キリエは恐ろしい魔女に出逢ってしまったかのように震え上がった。
「しらばっくれたって無駄よ。複数の目撃証言が上がっているんだから……私のオーランド様を捕まえて、こともあろうに、ダブルデートに持ち込むなんて……!羨ましいにも程があるわ……!なぜそこに、私も呼んでくれなかったのよ!」
よ、呼んでもらいたかったのね……それは悪いことをしたかも。でも、とても恐ろしくて、この人と一緒にピクニックをする気持ちにはなれない。
「貴女、いったい、そんな偏平な身体つきで、どうやって私のオーランド様に取り入ったの……!よほど何か、とんでもない色仕掛けを使ったのね?」
リッカは腕組みしてキリエを睨み付けたまま、本気なのか冗談なのかそんなことを言う。
「私がいつ、ラマン・オーランドを誘惑したって……?そんなわけないでしょう?あんな軽薄そうな人、こっちから願い下げよ……!貴方たちみたいな見目麗しき令嬢達が虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのに、私みたいな地味系が、あんな人と付き合って、幸せになれるわけがないでしょうが!」
あまりの言葉に、これには、戦慄の戦乙女も開いた口が塞がらないと言う様子だった。
「あっ貴方いったい、自分が何を仰っているのか、分かっているの……?相手はあのラマン・オーランド様よ……!誰もが羨むお相手だと言うのに……!しかも、私の目に狂いが無ければ、確実にあの方は、貴方を『お気に入り』だと思っていらっしゃるわ……!」
リッカはあまりのことに、思わず本音を口走ってしまっていた。
「だから、それが迷惑だって、言ってるの!私の好みは硬派な長男坊タイプなの!私はもっと、平凡で、木訥で、私一人のためだけに尽くしてくれる、優しい王子様が現れてくれるのを、待ってるんだから……!」
あははははは……!リッカは涙を流しそうな勢いで、高らかに笑い始めた。
「あ、貴方……予想の斜め上を行きすぎて、もはや最高だわ……!私が今までに出逢ってきた貴族の淑女たちの中からは、一生掛かっても見つけ出せないタイプの女性ね!もう無理……これ以上、貴方のヴィランを演じるなんて、出来そうにないわ………大好き過ぎる……っ」
リッカは泣き笑いしながら、キリエにぎゅうぎゅう抱き付いてきた。
こいつ、ハグ魔なのか……。高飛車なふりして、まさか、ただの淋しがり屋なだけなのでは……?
「もう、だから暑苦しいって言ってるでしょ、離れなさいよ……!」
いったい、何なのよ、この女は……!予想の斜め上を行くのはそっちの方だ。
「悔しいけど、貴方には到底敵いそうにないわね……」
リッカは一人そんなことを言いながら溜め息をつく。
「あーあ、もう、こんなに早く種明かしをするつもりじゃなかったのだけど……。絶対に、オーランド様には秘密よ。こんなに簡単に貴方に口を割ったことがバレたら、私が怒られるんだから……!」
そう前置きをしてから、アークライト・リッカは、コカトリス第三小隊の参謀長ラマン・オーランドの、遊び心溢れる策略の種明かしを始めたのだった。
「オーランド様は、今回の異動が分かった時点で、私に予め特命を下さっていたの。貴方が、そのあまりに強すぎる劣等感のせいで、自分の才能を無駄にしてしまっているから、『ヴィラン』を演じて、貴方に発破を掛けてくれってね……」
リッカは苦笑いして言った。
「私、ここへ来て完全に解りましたのよ。あのお方、貴方の才能のためだなんて言いながら、自分が『王子様』になりたいだけじゃない。……アークライト・リッカと言う『ヴィラン』からお姫様を救い出す、白馬の王子様にね……そうはいくもんですか……っ」
キリエはそんな台詞を呟くリッカの姿を、呆気に取られて見ていた。
「決めましたわ。私、愛しのオリー様のために、ヴィランを辞して、キューピッドになりますわ」
「な……何を馬鹿なことを仰っているんですか……。貴方はオーランド様命なんじゃなかったんですか……?」
想定外過ぎて、まったく付いていけなくなってきた……。
「あら貴方、やっぱり卑賤な平民術士ですわね。私は生粋の侯爵令嬢よ……?生まれた時から定められた『許嫁』がいるに決まっているじゃない。私の本命は未来の旦那様よ。オーランド様は、あくまで『推し』!目の保養……!」
「お、推し……?そんなこと言って、たとえそうだったとしても、いや、それなら尚のこと、その『推し』の恋愛を成就させることに、貴方にとってどんな得があるって言うのよ?」
キリエは、素朴な疑問を口にした。
「あら、アークライト家は義理と人情、『ノブレスオブリージュ』を重んじる家系ですわよ。オーランド様には、学院に入学した十代の頃から、ずっとお世話になってきたのですもの。他ならぬオーランド様のためならば、私は悪魔にだってなってみせますわ」
キリエにだけは絶対に明かしたくないことだが、リッカはオーランド様への恋心など、とっくの昔に諦めているのだ。十数年来の付き合いで、自分のことなど一度たりとも『そう言う目』で見てくださったことなどないのだから。
だからこそリッカは、キリエと言う存在の出現に、今までに感じたことのない、胸を締め付けられるような嫉妬心を抱かざるを得なかったのだが。
なぜ、こんな地味な娘が……?と、思うのと同時に、当然の成り行きかもしれない、と妙に納得する自分もいる。
どこかのあざとい貴族令嬢が彼を射止めるのは絶対に許せないけど、この、自分の容姿を飾ることにも無頓着で、不器用極まりなく、自分を底辺だと思い込んでいそうな、見た目も中身も、今までにないキャラクターになら、納得して彼を預けられそうな気がする。
「リッカ……あなた……」
キリエは、すんでのところでその先に続く言葉を呑み込んだ。どこかで見たような構図じゃないか……。
キリエには、彼女の言葉がただの強がりにしか聞こえなかった。この上なくカッコいい台詞を吐く悪女の瞳は、なんとも言えない切なさに満ちていて、そんな彼女の表情は、キリエがはっとさせられるほどに美しかった。
「リッカ……何度も言うようだけど、私は貴女がキューピッドになってくれても、何にも嬉しくないわ……誰もそんなこと、頼んでないし……」
そして、目を瞑って一つ溜め息をつくと、キリエは疲れた顔をして言った。
「今日はいろいろ有りすぎて疲れた……。そろそろ、帰ってもらっていいですか……?」
「だめだめ、晩ご飯、まだでしょ?一緒に食堂、行くわよ……!」
「勘弁してよ、もう!疲れたって言ってるでしょう……!」
なんで、私の周りにはこんなに、特性が『お節介』な人ばかり集まってくるのだろう……。もう、頼むから放っといてよ……。
なぜか、戦慄の戦乙女アークライト・リッカにまで、気に入られてしまったキリエだった




