(1)
思いたって一章と二章を入れ換えてみました
途中まで読まれていた方いらっしゃったら、混乱させて申し訳ございません!
ランサー帝国でも指折りの名家エンティナス家の長男という、誰もが羨むような華々(はなばな)しい出自にありながら、エンティナス・コールの幼少期は悲惨なものだった。
「くそっ……!何かとあればすぐに熱を出すし、このような細く弱々しい腕で、……剣もろくに振るえんとは…とても私の息子とは思えん……!」
父親であるエンティナス家当主エンティナス公ジークムンドは、コールの顔を見るたびに激しく毒づいた。
それはたとえ、高熱に苦しむ息子の目の前であっても変わらなかった。
「こんな奴が嫡男とは……いっそ、くたばってしまえばよいものを……!」
「旦那様、あんまりです。坊っちゃんは熱があるんですよ」
「黙れ……っ、さもなくば貴様も打つぞ」
熱に浮かされながら、苛立つ父親の声を聞くたび、いっそ殺してくれればいいのに、といつも思っていた。
コールがもし、見た目通りの気弱な人間として生まれたならば、本当にそのまま、病んで死んでしまっていたかもしれない。
コールの内面はしかし、青白く今にも倒れそうな見た目とは裏腹に、苛烈そのものだった。
コールは父親の苛立ち以上に、自分自身に対していつも激しい苛立ちを抱えていた。
生まれた時から病弱で、武家の嫡男として、剣の腕を磨きたくても、それができなかった。
二歳年下の弟は、父から手解きを受け、めきめきと剣の腕を上げているというのに。
それを見るにつれ、ますますコールは苛立った。
なぜ、当たり前のことが自分にはできないのか。なぜ、よりによって自分が、このような呪われた身体を持って生まれてしまったのか。
「くそっ……くそっ……」
城内外の家臣たち、騎士達が、「まさかあのジークムンド閣下の息子が、こんな貧弱な子どもとは……」「あれが嫡男ではな……」と嘲笑っているのには気が付いていた。
弟のノエルだって、表面上は兄を敬っているように見えるが、本心ではどう思っているか分からない。
「兄上、幼少期に身体が弱くても、大きくなるにつれ、強くなる方もいるそうですよ。庭師のローランがそうだって、言ってました。あんな身体の大きい大男が、子どものころはしょっちゅう熱を出していたって……」
「だが、俺はエンティナス家の長子だぞ!俺は強くならなくちゃいけないのに……!子ども時代にどれだけ身体を鍛えたかが、後の身体能力に繋がることぐらい、俺でも知っている」
そう言って、どうにもならないことを当たり散らしては、弟たちを困らせていた。
その頃のコールには、家督を継ぐ権利を、弟に渡すなどという考えは一切頭に無かった。
とにかく、病いがちな身体を治して、身体を鍛え、エンティナス家の嫡男として、ふさわしい姿を周りに見せたいと、そればかりを考えていた。
ところが、そんなコールの鬱屈とした日々を、一転させる出来事が起こる。
それは、珍しく身体の調子がよく、コールが弟のノエルと、友人のギラン・ロクシスとともに、領地内の森の中を散策していた時だった。
「ギラン、お前は次の秋から、帝都の術士養成学院に行くんだろう?」
「ああ。俺の家は代々術士だからな。父親も軍にいるし」
術士の家系の者や、そうでなくても、術の素質のある者は、みな十歳前後で帝都にある術士養成学院へ行く。
「お前はいいよな。術の才能にも恵まれてるし」
「なに言ってる、なんで領主サマの息子が、俺なんかを羨ましがる必要があるんだよ」
ギランは弱気な言葉を吐くコールを励ますように言った。小さな頃から一緒のギランは、領主の息子であるコールにも遠慮がない。
「俺には『それ』以外なんにもない。空っぽだ。ままならない身体があるだけ」
コールは自嘲気味にそう言った。
「兄さま、そろそろ戻りましょう。だいぶ町から外れてしまいました。もうすぐ日も暮れるし、日が暮れて涼しくなったら、お身体に触ります」
弟の気遣いの言葉にも、コールは苛立った。
「お身体に触る、か。夜風にすら負ける身体とはな……」
その時だった。
「なんだ……?」
ギランが周囲の異変に気付き、呟いた。
「まだ、日暮れには早いだろ、急に、暗くなったぞ」
ギランの言う通り、まるで、周囲の景色が歪むように、辺りが暗くなった。
「これは、魔物の気配……?」
暗闇の中からコウモリの形をした魔物が無数に現れた。
「ブラッドハンターだ……!」
魔物の知識のあるギランが目を見開いて言った。
「普通のコウモリとは違うのか?」
「魔物だ。人を襲うぞっ!」
「とにかく、逃げましょう!僕たちに敵う相手じゃありません、町まで逃げれば大人達が居ます!」
三人は色めき立って走り出した。
しかし、空を飛ぶコウモリに、人間の足で逃げられるはずがなく、三人の子どもたちの身体に、コウモリたちは容赦なく群がり、噛みついてきた。
三人は手足を振り回し、必死でコウモリを追い払おうとするが、飢えたコウモリたちは、格好の獲物を前に、まったく怯む気配がない。
「このままじゃ、殺される……!」
ギランが右手を差し出し、呪文を詠唱した。
「〝焼撃〟!」
暗闇を明るく照らす炎が、ギランの右手から吹き出す。
コウモリは炎に焼かれて消えて行くが、消えたそばから新たなコウモリが現れ、切りがない。
「くそっ、焰術じゃ、闇の魔物を完全に消し去ることは出来ないんだ……。どこかにあるはずの、封印の綻びを直さないと……」
コールも後から知ったことだが、術には相性がある。闇の魔物の弱点は聖術。魔物を封印することのできる唯一の術は、聖術だった。
コールはコウモリに噛まれる度に鋭い痛みが全身を走り、徐々に力が抜けていくのを感じた。
コールはたまらず、その場に倒れた伏した。
倒れたコールの身体中に、コウモリたちが真っ黒に群がっていた。
闇の魔物に噛まれても、物理的に身体を損傷することはない。だが、生気を吸いとられ、すべての生気を失えば、人は死ぬ。
……このまま、何も出来ずに死ぬのか?俺の人生は、空っぽで、何もないまま、終わって行くのか?
俺が死んだら、健常な弟たちの誰かが俺の代わりに家督を継ぐのだろう。ただ、それだけだ。それでも構わないのではないか……?
コールは頭ではそう自問しながらも、一方で身体の奥底から、何か抑えられない力がふつふつと込み上げてくるのを感じた。
身体の中を、何か未知の力が荒ぶっている。
「俺を……食い付くそうとは良い度胸だ。……消えろ……!」
騎士の家で生まれ育ったコールに、術の知識などあるはずがなく、それは、本当に、死の瀬戸際で、自分の力で見出だした方法だった。
「消えろ……闇の中へ、帰れ……っ!」
気付けばコールは立ち上がっていた。
コールの身体に群がっていたコウモリたちは、恐れをなしたように次々と、辺りの闇の中へと逃げ去るように消えていく。
その姿を驚いて見ていたのはギランだった。
術士の血を引くギランの目には、黒く禍々しい力が、コールの全身から迸っているのがはっきりと見えた。
「なんて、禍々しい呪力だ……。漆黒の呪力……初めて見る……」
ギランとコールの弟の身体に群がっていたコウモリたちも、いつの間にかすべてが消え去っていた。
「魔物を封印できるのは、聖術だけだと思っていたのに……」
ギランが呻くように言った。