(1)
――クアナ、大事な話があるんだ。本日、夕食後、北の塔へ、一人で来てほしい。
オーランドに真面目な顔をして呼び出されたクアナは、なぜか胸騒ぎがした。
いつもヘラヘラ笑っているはずのオーランドが、このような真剣な顔をする時は、決まって何か、常ならぬことが起こった時だからだ。
「クアナ姫、どこへ行くんですか……?」
クアナと一緒に二人部屋を宛がわれていたキリエが、心配そうに聞く。こんな夜更けに外出とは……。
「言っていいのか分からないんだけど……、オーランドに、呼び出されたんだよね。一人で来るように、言われたんだ」
「一人で……?」
キリエは訝しく思った。こんな夜更けに女性を一人呼び出すなんて、およそ見上げたことではない。彼女には心に決めた相手もいると言うのに。
「一緒に、行きましょうか?」
クアナは苦笑して首を横に振った。
「大丈夫だよ。オーランドは私の師匠だぞ。……それに、彼は、いつになく、真剣な顔をしていたんだ。何か、よほど私に伝えたいことがあるに違いない」
「そ、そうですよね……。彼も、どうやら、クアナ姫と隊長の恋路を邪魔するほど、身の程知らずではないことが分かりましたし……でもでも、何かあったら、全力で私を呼んでください。水術士の威信に掛けて、助けにいきますから!」
拳を振り上げるキリエに、ないない……と手を振り、部屋を後にするクアナだった。
「しかし、こんな寒いのに、塔の上に呼び出すとは……。話をするなら、温かい部屋の中だろう」
クアナは一人、ぶつぶつ言いながら指定された場所へ向かった。
クアナ達が滞在を許された、術士達の居所には、高い塔があった。有事には、ここから敵を見張るのかもしれない。
クアナはこつこつと、塔の内部の階段を登って行った。オーランドが先に来ているのか、塔の内部の明かりに、いくつか火が入れられていた。時折、空を切り取るように、四角く開いた窓からは、遠い星の光が見える。
まぁ、まだ塔の中であれば、寒さは凌げるな……。
階段を登りきると、ぽっかりと出口が開いていて、そこから外に出れば、突然視界が開けた。
「すごい……」
クアナは、思わず、そう口にしていた。
本格的な雪の季節到来間際の、初冬の空は、高く澄んで、無数の星の光が、銀砂を撒いたように瞬いていた。
「なかなか、いい場所でしょ。前々から、目を付けてたんだよね」
待ち構えていたオーランドが、片目を瞑って言う。
たしかに、男女が二人して並んで座っていたら、この上なくロマンチックな雰囲気だ。
「寒くない……?」
オーランドが、紳士らしくクアナに聞く。
「寒いよ、いったい何を考えてるんだ。話があるなら、ロマンチックさより、温かさをとりなさい」
クアナは思わず突っ込んでいた。
呼び出したくせに、オーランドは塔の外周に張り巡らされた柵に手を当てたまま、しばらく星を見て黙っていた。
「話があるんだろう?勿体ぶって、なんのつもりだ?」
クアナが聞くと、オーランドは、空に目を向けたまま、言う。
「言っていい……?」
クアナは、何が言いたいのだろう、と彼の横顔を見る。ふわふわした金茶のクセ毛の下の、完璧に整った端正な横顔。普通だったら、一瞬で恋に落ちてしまうやつだ。
「後悔することになるかもよ……?」
ふとクアナの方に向き直ったオーランドは、なぜか少し悲しそうな顔をしていた。悲しい、と言うよりは……憐れみか……?
クアナは、この人に憐れまれているような気持ちになった。
「クアナは、コールのことが好きでしょう?」
クアナは、話が読めないので取り敢えず黙っておいた。
「君が本当に、コールのことを想うのならば、『彼から身を引くべきだ』と思うんだ」
クアナは、いつもの彼とは真逆のことを言い始めるオーランドに、今度こそ驚かされていた。
「可哀想なリオンの聖女様に、悪い魔法使いの本当の気持ちを教えてあげようと思ってね……」
オーランドは憐れみの籠った眼差しをクアナに向けたまま続けた。
「知っての通り、コールは昔からずっと、ランサー皇帝オーギュスト二世に付け狙われている。皇帝陛下は、コールのことを偏執的と言っていいほど、とても気に入ってはいるけど、同時に、とても危険な存在だとも考えている。ランサーでは歴史の浅い闇術は、まだまだ、分からないことの多い術だ。加えてコールは、『国家に従順なタイプ』、と言うよりは、闇術に対する愛が物凄く深い人でしょう。ランサーが闇術を『禁術』としていたと言うのに、それを完全に無視していたぐらいだからね。
僕は、今回のシリル・スタークの一件で、はっきりしたと思うんだ。陛下は、最強の闇術士コールに対する抑止力を、常に、複数手元に置いておこうと考えている。五年前、ランサーに置いたままでは早晩抹殺されていただろうシリルを、こともあろうにベアトリス公に預けたのも、将来コールの抑止力になるかもしれない逸材、そう踏んだからだろう」
オーランドは長い説明の後、もったいぶるように、クアナの顔を見ながら言った。
「僕が、何を言いたいか分かる……?クアナも同じなんだよ。クアナも、皇帝が最強の闇術士コールのために準備した、『切り札』の一つに過ぎない」
クアナは、胸騒ぎの理由を理解した。
クアナも、一年前、ランサーに来たばかりの頃、宰相のセシルに言われた言葉を、忘れたわけではなかった。
『いざと言うときは、命を掛けてもコールを止めろ……』
そして、実際に、クアナは、シリル・スタークを殺そうとしたコールを、命掛けで止めようとしたのではなかったか。
「クアナ、君がリオンの女王の妹で有る限り、君が母国を人質に取られていると言う事実は変わらない。同じことが繰り返されるよ。君がコールの傍にいる限り、君は永遠にコールの『足枷』だ。皇帝陛下はいつでも君に要請することが出来るだろう。母国を滅ぼされたくなければ、闇術士コールを討て……とね。そして、最強の闇術士であるコールを討てるのは、数多いる術士の中でも、『最強の聖術士』であるクアナ・リオン、君だけだろう」
淡々と告げられる事実が、クアナの胸に楔のような傷みを加える。
「『簡単に絆されて欲しくない』だの、『全然つれないところが堪らない』だの、君は随分悠長なことを言っていたけどね……コールが君のことを、『本当はどう思ってるのか』、分かって言っているのかい?」
オーランドは、容赦のない言葉で、クアナを追い詰める。
「思い上がりも甚だしいよ、クアナ・リオン。端から見ている僕からすれば、ちゃんちゃら可笑しな話だね。君の気持ちなど見え見えなのに、コールがいつまでも涼しい顔をしているのは、どうしてだと思う?コールはそもそも、君に手を出すつもりなんて、更々ないのさ!闇術士コールは、クアナ・リオンには絶対に手を出さない。君にハマってしまったら、いつか身を滅ぼすことになると分かっているからさ」
オーランドは、クアナの瞳を見据えたまま、この上なく冷酷に言い放った。
「クアナ、コールに取って、幸せになるための選択肢は、クアナだけではないんだよ。女の人なんて、他にいくらでもいるのに、わざわざ天敵である聖術士を選ぶ理由なんて、どこにあるだろうか?」
クアナは、誰よりも信頼する師匠からの、容赦ない言葉に、完全に打ちのめされていた。
クアナの敗因は、キリエが警戒した通り、たった一人でオーランドの元へ来たことだった。
クアナにとって、大切な大切な師匠の言葉は、盲信的と言っていいほど、信ずるに値するものだったのだ。
思い上がりも甚だしい――確かに、クアナは、知らず知らずのうちに思い上がっていたのだ。本人からコールの本当の気持ちを明らかにされてはいないが、少なくとも嫌われてはいないはずだ、と。少なくとも、守るべき大切な存在だとは思ってくれているのではないか……と。
だからまさか、コールが自分のことを、そんな風に思っていたなんて……。
そう言われてみれば確かに、彼が簡単には絆されず、驚くほどつれない理由も、納得できる。
クアナは、意識の下で、薄々は気が付いていたが、認めたくなかっただけなのだ。
コールにとって、自分が『足枷』でしかない、と言う事実を。
「師匠、私はいったい、どうしたらいい……?」
途方に暮れた幼子のように師匠に助けを求めるクアナの姿を見て、オーランドは、自身の勝利を確信していた。




