(8)
突如現れたように見えた、一人の青年の一声に、さすがのコールも、冷や水を掛けられたように毒気を抜かれた。
「陛下……?」
コールは、やっとのことでその一言を言う。
ランサーの最高権力者であるはずのその人が、長い銀髪をなびかせ、コールとエリスの間に静かに佇んでいた。
なぜこの人が、こんなところに。幽霊でも見たようだ。
「決闘は終わりだ。双方、手を引きたまえ」
クアナも、その一言に、ようやくコールから身体を離して、ランサー皇帝に向き直った。
「……それに、ベアトリス。君もそろそろ、正体を現したらどうだ。……私の目は誤魔化せないよ」
「くっ……オーギュスト……。まさか貴様まで、現れようとは……」
ケープの深いフードで顔を隠した、ニーベルンの使いが言う。
ベアトリス……?ニーベルン大公からの使いが、まさか、大公その人、本人だなどと、誰が思うだろうか。
「君の性格を考えれば、分かりきったことだ。自分の仕掛けた罠が、きちんと用を成しているか、自分の目で見届けたいに決まっている」
「ふん……斯くいうお前も、同じだろう……?」
彼女がフードをぱっと跳ね除けると、色素の薄い柔らかな金髪が露になる。ニーベルンの女王は、ふてぶてしい顔で言った。
あり得ない光景だった。ランサー帝国皇帝と、ニーベルンの君主が、このような場所で相対することになろうとは。
だが、一方で、一同は微かな違和感も感じていた。まるで、旧知の者同士のような気安さが、二人の間には流れている。
「わざわざこんなところまで足を運んでくるとは、よほどこの、聖術士と闇術士が可愛いらしいな……」
だからこそ、コイツの鼻を明かすために、徹底的に握り潰してやろうと計画を練っていたと言うのに。足掛け五年だぞ……!
ニーベルンの女王は、心の中で、苦々しく思った。
「違うのだよ、ベアトリス。私が話があるのは、そちらの可愛らしい闇術士の方だ」
皇帝は、片膝を付き、へたりこむ小さな闇術士に目線を合わせるようにして話し掛けた。
「お初にお目にかかる。シリル・スターク……私は、ランサーの皇帝オーギュスト二世だ」
誰もが呆気にとられて見ていた。皇帝が、敵国の兵器に向かって、跪いて優しく声を掛けている。
「シリル・スターク……?」
ベアトリスは、胸騒ぎがした。ベアトリスは、可愛い四番目の王子の、本当の名を知らなかった。それに、彼の出自がいかなるものであるのかも。
「シリル。『母国』へ帰るつもりはないかい……?七歳の時のことを、忘れてしまったとは言わせないよ」
ベアトリスは身体中が粟立つように感じた。『シリル・スターク』とは、ニーベルンの姓名ではない。
ベアトリスだって、薄々気付いてはいたのだ。彼の黒髪と、明るい肌の色……この子の人種は、どう見てもニーベルン人のそれではない。
「君の、本当のお母さんを連れてきた。五年ぶりだね。この五年間、本当はずっと、君に、会いたがっていたんだ」
皇帝は、背後にいま一人、女性を引き連れていた。彼女は帝国軍の軍服を着ていた。エリスによく似た、黒髪の術士。
「シリル。久しぶりね……」
彼女は、さめざめと涙を流していた。
少年は弾かれたように立ち上がり、つかつかと彼女の目の前へ歩み出た。
「いまさら、何をしに来たんだよ!僕のことが手に負えなくなって、僕を棄てたくせに……!」
少年は全身を震わせて、大声で怒鳴った。
母は、痛みに耐えるように、目を瞑ってその言葉を聞いていた。
「謝って、許されることじゃないことは、分かっています。それでも、今日こうしてここに来たのは、貴方に何と罵られようとも、貴方に、どうしても、一目、会いたかったからです」
母は、涙に濡れる瞳を、真っすぐに息子に向けて、そう言った。
「こんなに、立派になって……!」
息子の前に跪き、恐る恐ると言った様子で、怒りに震える我が子の肩に手を触れようとする彼女だった。
少年は、困ったような顔をして母を見返していた。
「シリル。彼女を、許してあげなさい」
誰も言葉を発せない中、少年に声を掛けたのは皇帝だった。
「君ももう、十二だ。七つの時には、理解できなかったかもしれないが、今なら彼女が、平気で君を棄てたのではないことぐらい、分かるはずだよ。賢い君なら、ね」
皇帝の言葉に励まされるように、母親は、少年をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、本当に!……ごめんなさい……」
彼女の涙に濡れる贖罪の言葉が、いつまでもいつまでも響いた。




