(6)
エリスは、自信満々だった。対闇術士対策は、ニーベルンの高名な研究家達に、しこたま叩き込まれている。なにせ、こちとら七歳の時に母に拾っていただいてからの五年間、ひたすらエンティナス・コールを倒すことだけを考えて術の勉強に打ち込んできたのだから。
今まで、ニーベルン国内でやってきた手合わせとは全く違う。最悪、相手を殺してしまってもいいと言うことは、手加減は一切不要と言うことだ。自分の力を、思う存分振るえる、生まれて初めての機会だった。
「エリス、手筈は、理解しているだろうな……」
傍らの焔術士は、念を押しておいた。正直、隣で目を爛々と輝かせている陛下の最終兵器が、気味悪くて仕方なかった。
「分かってますよ、おっさん。せいぜい、僕の足を引っ張らないでくださいね」
……この、下賎が。焔術士は心の中で、この小さな化け物への悪態を吐いた。
闘いが始まるとすぐに、予想通りエンティナス・コールは、さっそく召喚術を使った。
インプの群とは!こちらの出方を見ようと言うのだろうが、喚び出す意味もあるのかというような代物だ。呪力の無駄遣いではないのか。
「〝焼夷〟」
焔術士の炎は、インプを一掃する。
だが、コールの術は一枚上手だった。
気を抜いているところに、隠れていた死霊が姿を現し、焔術士に死神の鎌を振るう。
「なに……!?」
焔術士は痛みに耐えかねたか、その場に倒れた。
「なるほどね、面白い手だ。勉強になりますね……」
エリスは、余裕綽々で、得意の召喚術を放つ。
「〝スプリットの召喚〟」
わざと鏡のように、コールと同じ術を返す。
現れた死霊達は、コールの死霊と闘い、相殺し合って消えていった。
エンティナス・コールと、クアナ・リオン、二人の驚きが伝わってくる。
まさか僕が、闇術士だとは思わなかったでしょう。
びっくりさせてごめんね、おにいさん、おねえさんたち。僕は、あんたらより、強いよ。
次は、こちらからだ。
「ティエム、そろそろ出てきていいよ」
エリスは、隠れ潜ませておいた相棒を呼び出した。人語を理解しているかのように、賢いワイバーンは、エリスの意思に従ってその姿を現す。
黒い翼の小型の竜だ。
「ワイバーンだと……?」
コールは驚愕の声を挙げる。
「〝肉体の強化〟」
傍らの焔術士が、ワイバーンにバフを掛ける。
アタッカーである焔術士には珍しいサポート系の術。深紅らしく捻りのない単純明快な攻撃力の強化だ。
『召喚獣にバフを掛ける』……?
コールの常識が覆された瞬間だった。
コールの使役する召喚獣は、討伐され、一度死して深淵へ堕ちた者達が、再び召喚されたものだ。深淵へ堕ちた者はその時点で能力が固定されてしまうため、バフを掛けることなど出来ないはず。
だが、考えている場合ではない。
「〝深淵からの召喚〟」
巨大な槍を掲げた騎士の姿のグールが現れる。中級のグール『見棄てられし騎士』だ。
ワイバーンと黒い騎士が激突する。
「そんな、中途半端な召喚で、バフの掛かったティエムと互角にやりあえると思うの……?」
エリスは楽しくて仕方なかった。帝国最強の術士が聞いて呆れる。エンティナス・コールは何一つ分かっていない。本当の、闇術の使い方を。
「く……やはりバフが掛かっているからか。攻撃が重い……」
クアナは、ハラハラしながら見ていた。コールには、クアナに指示を出す余裕もないようだ。
戦況を好転させるには何をすればよいだろう、何か、クアナの手持ちの術で出来ることはないだろうか。
エリス、もしくはワイバーンに対する『絶対防御』をコールに掛けるか……?
でも、それでは呪力の消費が大きすぎる。エリスだけでなく、その隣には焔術士もいるのだから。この間の戦いと同じだ。今はワイバーンへの付与魔法に呪力を注いでいる状況だから心配はないが、焔術士の強力な火焔が来た時、コールを護れるのは水術が使える自分しかいない。
ここに、オーランドが居てくれれば……。戦況を瞬時に判断し、的確な助言をくれる師匠の存在が、どれ程大切な存在だったか、身を持って痛感させられているクアナだった。
「〝鉛白の刃〟」
クアナは漆黒の騎士への攻撃に掛かりきりになっているワイバーンに向かって一歩踏み出し、近距離攻撃を打ち出す。
すかさずワイバーンはクアナに向かって、威嚇するように漆黒のブレスを吐き掛けてきた。
「ダメだ、クアナ!ドラゴンに近付くな……!」
すんでのところで騎士のグールがクアナを庇い、ブレスの直撃を受ける。
どうやらクアナは余計なことをしてしまったようだ。
「〝雷〟」
焔術士の一撃が、ダメ押しのように黒の騎士を貫く。
コールは完全に、押されていた。
「情けない……俺も、焼きが回ったようだ、クアナ。『オーランドならどう考えるか』なんて……そんな風に考えてばかりいるとは。俺のやり方は、頭脳戦なんかではなかったはずだ」
コールは、吹っ切れたような顔をして、クアナに言った。
「クアナ、もう呪力の温存などという姑息なことを考えなくていい。最大火力で押しきるぞ。俺の合図で、同時に『召喚』しよう。……クアナは黒のワイバーンを、俺は焔術士を倒す」
クアナも、顔を綻ばせた。
「そうだね、それでこそ、私たちの隊長だ……!」
「〝深淵からの召喚〟」
「〝一角獣の召喚〟」
闇術士と聖術士が、同時に召喚術を唱える。
永久の闇と、神罰のような目映い光が、二人の身体から同時に放たれる。離れた場所から見ていたケンとフリンの目には、圧巻の眺めだった。
「ついに隊長の、〝シノンの神龍〟を見られる時が来たか……!」
三年半前、隊長は黒龍を調伏したはずなのだが、今の今まで、誰一人として、彼がそれを喚び出すのを目にしたことはなかった。
あまりに危険すぎ、あまりに消費呪力が大きすぎるので、使いどころがなかったのだろう。
漆黒の翼を広げ、巨大なドラゴンが現れる。壮麗という言葉を使いたくなるほどの、圧倒的な存在感だった。
そして、その隣に佇むのは、『動』の黒龍とは対照的な、『静』なる雰囲気をまとった一角獣だった。
「聖術の召喚術……?待ってよ、そんなの、きいてないよ……!」
ニーベルンの術士たちが、誰も教えてくれなかった術を目のあたりにして、エリスは初めて余裕の表情を崩した。
「あなたも知っているでしょう、聖術は、闇の魔物に『特効』です」
クアナは、厳かに、致命的な事実を告げた。
一角獣の角から、神の怒りのような、清浄な一撃が、漆黒のワイバーン目掛けて放たれた。
「ティエム……っ!」
エリスは一撃必殺をもろに受けた相棒に、慌てて飛び付く。倒れたワイバーンはかろうじて、苦し気な息をしている。
同時に、ニーベルンの焔術士は、ドラゴンの闇のブレスの直撃を受けていた。
焔術士には、速攻が必要だ。
ドラゴンの弱点が焔術士の雷撃であることは、誰よりもコールがよく知っていることである。
ただし、コールは傍らのクアナのために、焔術士が命を落とすことのないように気を遣って、ドラゴンにブレスを吐かせた。
純白の呪力の持ち主であるクアナの存在は、たしかにコールを『丸く』していた。コールが敵対する者に対し手加減をするなんて、軍隊に入って十数年来、初めてのことだった。
焔術士は戦闘不能に陥り、その場に倒れ伏した。
「試合終了、と、言うところか?」
闘いの成り行きを見ていたケンが呟く。
闇術士の少年は、ワイバーンの傍らでへたりこみ、呆然としていた。
「決闘は、終わりだ」
コールは、少年術士の元へ一歩、歩み寄り、静かな声で告げた。




