(5)
「陛下、お辞めください……!あなた様御自らが行かれるなど、危険過ぎます……!」
遡ること、五年前のことだった。
ニーベルン大公ベアトリスは、宮廷術士達の制止を振り切り、自らが件の子どもの元へ向かった。
「なに、年端も行かない子どもであろう?恐るるに足らんよ。……それに、せっかく手に入れた宝だ。誰かに取られる前に、なんとしてでも手中に入れねば……」
子どもは、捨て子で、出自不明だと言う。漆黒の呪力を持って生まれたために恐れられ、捨てられたのだ。
ニーベルンでも、闇術は恐れられ、忌み嫌われる力だった。
「なんと、小さな子どもか。年は七歳と聞いていたが、四、五歳ぐらいにしか見えんな……」
子どもは、両手両足を鎖に繋がれていた。
部屋には、幾重にも、闇術の封印術が敷かれていた。子どもは危うく殺されるか、餓えて死ぬかと言うところだったのだが、ニーベルンの女王、ベアトリスの下達により、その命を救われたのだった。
ベアトリスは、ずっと、黒い呪力を持つ人間を探し求めていた。隣国ランサー帝国の皇帝が、強力な闇術士を手に入れ、育てているとの噂を聞いたからだった。
「子どもよ、名はなんと言う……?」
「……」
手枷足枷をされた子どもは、項垂れるように座り込み、ぴくりとも動かない。そして、極め付けは、その子どものすぐそばに控える真っ黒な小竜だった。成人男性の背丈と同じぐらいの大きさの竜が、子どもを守るように立ち塞がり、こちらを睨み付けている。
この場は、幾重にも闇術の封印が成されているにも関わらず、である。小竜は、召喚術で召喚されたものではない、ということだ。小竜は、術を使わずとも、かの子どもを主人と仕え、その傍に侍っているのである。
王はそっと、一人と一匹の元へ近付いた。
「お辞めください!危険です陛下、それ以上は……!術士が数人がかりで、やっと捕らえたのですよ!」
王が近付くと、ワイバーンは翼を大きく広げ、威嚇の姿勢をとった。
王は跪き、子どもの目線に合わせて、話し掛ける。
「子どもよ、お腹がすいてはいないか?干し葡萄の入ったパンだよ。うちの子どもらは、これには目がないのだ」
王は、この子どもと同じ年頃の王子王女を、三人も育てていた。子どもの扱いなど、お手のものだった。
香ばしい食べ物の匂いにつられ、子どもが顔を上げる。
餓えた顔をしている。顔は埃で汚れ、真っ黒だった。痩せ細った顎。目だけが爛々と光っている。
「さあ、お食べ……」
子どもは鎖をじゃり……と鳴らして、王の手からパンを引ったくると、ガツガツと食べ始めた。
その姿を認めたワイバーンは、翼を閉じてうずくまる。
王は、そっと、子どもの髪に触れた。何日も洗っていないのだろう。真っ黒な髪は延び放題、埃にまみれて凝り固まっている。
「陛下……御手が汚れます……っ!」
術士たちが悲鳴をあげる。
王は構わず子どもの頭を撫でた。
子どもはびくりと身体を震わせる。
「子どもよ、私がそなたに名前をやろう。そなたの名前は、今日から『エリス』だ。……神に祝福された、聖人の名だ」
王は、普段、臣下たちの前では見せたことのない、慈愛に満ちた表情で言う。
「エリス、今日から私が、お前の『おかあさん』だ」
子どもは再び顔を上げ、はっ……とした顔で、王を見上げた。
「おかあ……さん……?」
子どもは切なげな声を出した。この子は、親に棄てられたばかりなのだ。
「そう、おかあさんだよ」
王はもう一度言い、にっこりと笑った。
「うう……っ」
子どもの大きな瞳から、涙が流れ出した。
「うわーーーーん、おかあさーーーん……」
パンを頬張りながら、子どもは大声を上げて泣きじゃくり始めた。
王は堪らず、小さな子どもを抱き締めてやった。
頭を撫でるまでは、パフォーマンスのつもりだったのだが、いまや勝手に身体が動いていた。
子を持つ親として、何とも心が痛む姿だった。
私が必ず、そなたを立派な大人に育ててやろう。
そなたはニーベルンの、四番目の王子だ。
「闇術士と、闘うのですか……?」
エリスは、顔をキラキラさせて母に聞いた。
「そうだよ。悪い悪い魔法使いだ。お前の最強の闇術で、こてんぱんにしてやりなさい」
「めちゃくちゃ、楽しみです……」
ベアトリスは苦笑した。物凄い拾い物をしたものだ。この子は、まさに、闇術の申し子だった。
綺麗に身体を洗ってやり、食べ物をふんだんに与えてやれば、一年もしないうちに、健康そのものの、年相応の少年に育った。
そして、王国の術士たちも舌を巻くほどの、物凄い才能と、闘いへの欲に溢れた子どもだった。
「なんて、可愛いの、あなたは……」
ベアトリスは、本当の王子王女と同じぐらいか、もしかしたらそれ以上に、強気な少年術士のことを溺愛していた。
エンティナス・コールへの最強の切り札として育てるつもりだったのに。この子をただの捨てゴマにするには、あまりにも惜しい。
術士同士の『決闘』という突拍子もない考えが浮かんだのは、そのためだった。
「あなたは、闘争心が強すぎるから、お母さんは心配です。よく聞きなさい。これはあくまで『決闘』ですからね、相手を打ち負かせれば、それでいいのです。何よりも大事にするのは、あなたの命だからね」
「そんなに大事ならば、大切に隠しておけばいいじゃないですか、お母様?」
傍にいた本当の王子が呆れて言う。嫡男からしたら、母親がどこの馬とも知れない怪しげな闇術士の卵を拾ってきて、こともあろうに、王子として育てていることに、気が狂ったのか、と呆れてものも言えなかった。
「そう言うわけにもいかないのよ。このまま手をこまねいて見ていたら、状況は悪化する一方。時間を掛ければ掛けるだけ、ランサー帝国は力を付けてしまう」
手を打つならば出来るだけ早い方がいい。
「心配無用ですよ、お母様。僕は絶対に、負けませんから」
若さって、恐ろしいわね……。日々、手合わせさせているニーベルンの術士達を片っ端からのしていっているからか、この子は、『自信』の塊でしかなかった。自分が負けるなんて、思いもしないのだ。
本当に大丈夫かしら……。
ニーベルンの女王は、共に行かせる術士たちに、くれぐれも第四王子を守るよう言い付けて、彼を戦地へ送り出したのだった。




