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「しかし陛下、何故、コカトリス第三小隊をエンティナスに逗留させているのですか……?あの地にはタイタンの部隊もいると言うのに」
「うん。……簡単に言うと、『挑発』だね。目の前に餌をぶら下げておけば、あの単純なベアトリスなら、すぐにでも食い付いてくるだろう」
本日、オーギュスト二世の隣に居るのは、彼の片腕であり、ランサー帝国の文官のトップである、セシル・アーヴァイン宰相だった。皇帝は、いつも通り執務室で公務を片付けているところだ。
短絡的な彼女の考えならば、手に取るように分かる。
ランサーを出し抜くために、何としてもランサー最強の闇術士を落としたいと思っているに違いない。実際、万一コールとクアナを失うようなことがあれば、ランサーに取ってかなりの痛手となることは事実だ。オーギュスト二世が手塩に掛けて育ててきた最強の術士と、リオンの強力な術士集団を、同時に失うことになりかねない。
「もしも、ベアトリスが彼女の『最終兵器』を使ってくるつもりなら、私もかの地に赴むかなければね。……そうなった時のために、今から準備を頼むよ、セシル宰相」
「は……?いま、何と仰いました……?」
いつも、突拍子もないことを言い出す主君に振り回されているセシルだったが、その言葉にはさすがに驚かされた。
「貴方が、戦場に赴かれると……?」
「致し方のないことなんだ。コカトリス第三小隊がいかに精鋭だとしても、今度ばかりは、苦労することになるだろうからね」
そう、今回ばかりは、コールにとって、今までになく闘いにくい相手となるに違いない。
「セシル、君は一年前、クアナ姫に余計なことを吹き込んでいたな……。コールが危険な行為をするようなことがあれば、命に代えても、彼を止めるようにと」
セシルはギクリとした。もう時効かと思っていたのに、何故今ごろになってこの方はそんなことを言い出すのか。
「彼女はまだ、その言葉を覚えているだろうか……」
闇術の抑止力となる聖術士の存在が必要だ。クアナさえ傍にいれば、何とかなるかもしれない。
「兄さん……起きてください……!」
その日、エンティナス城の自室で眠っていたコールは、明け方前、弟に叩き起こされた。
「円卓にお越しください。詳しくは、そちらで話しますから」
ノエルの緊迫した声に、一気に覚醒する。辺りはまだ薄暗く、間もなく冬の訪れるエンティナス城の空気は、息が白くなるほどに冷たかった。
コールは最低限の身支度をして、城の円卓へと向かう。城内は騒然としていた。
いったい、何が起きたのだろうか……。
円卓には、父とノエル、コカトリス第三小隊の全員が集合した。ノエルは全員が揃ったことを確認してから、説明を開始した。
「つい先ほど、タイタン第二中隊から、援軍の要請が来ました。エンティナスの城下町、郊外の村、いま分かっている情報だけで、全九ヶ所、一斉に魔物が発生しているようです」
隊員がざわつく。
ランサー帝国北部の警備を担当するタイタンは、中隊が八隊、小隊が四隊――合計約百六十名の術士が所属する部隊だ。そのうち、エンティナスを管轄する部隊は、中隊が二隊、小隊が一隊。総勢、たった四十名だった。
「中心部に近い場所を優先して討伐に当たっていますが、とても、間に合わない、ということで、コカトリス第三小隊からも術士を、出来る限り融通し、城から最も近い現場へ今すぐ向かってほしいとのこと。放っておけば、領民にまた、犠牲が出ます……」
コールは考え込んだ。明らかにこれは、異常事態だ。これだけ大規模に、時を同じくして魔物が発生することなど、通常考えられない。結界が破られるなどして、人為的に引き起こされたに違いない。
「ニーベルンか……」
コールの呟きを引き継いで、オーランドが言う。
「魔物を使うとは、ニーベルンも考えたね。一見、モンスターが大量に発生しているだけ。それが、ニーベルンの術士の仕業であると言う証拠さえ残さなければ、国際法にも抵触することはない。密かに術士を潜り込ませ、結界を破ってモンスターを発生させるなら、無駄な人員を裂く必要もなく、エンティナスに打撃を与えることが出来るというわけだ。そして何より、こちら側は、戦力を分散させ、多くの術士を各地に派遣しなければならない」
「コカトリス第三小隊の術士全員を、現場に行かせるわけにはいかないしな……」
コールは悩んだ。前回のことがある。城の守りを手薄にするわけにはいかない。……かと言って、モンスターを放置すれば、領民に犠牲が出てしまう。
「隊長、現場には、僕が行く。モンスターの討伐であれば、僕と、キリエの二人で充分だ。そうすれば、城には闇術、聖術、焔術、地術の四系統を残せる。敵がどんな手を使ってきても、対応可能な布陣だ」
オーランドが言った。
「それが、今取れる最善か……」
コールは溜め息をついた。
「相手の思惑通りに動かされている気がして、少し悔しいけどね。他に、どうしようもない」
オーランドも口惜し気に言う。
「隊長、ニーベルンは、思ったより狡猾だ。くれぐれも、気を付けて」
キリエとともに現場に向かうオーランドは、いつになく真剣な面持ちで、コールに念を押した。
「……ああ。お前たちもな」
後に残されたコール達は、なんとも言えない心持ちで、城に待機することとなった。
副隊長の不在。
コールの傍に、ギランも、オーランドも居ない。コカトリス第三小隊始まって以来の事態だった。
情けない……。
コールは一抹の心細さを感じている自分が情けなかった。
『丸くなった』と言われれば、その通りかもしれない。
ワイバーン第二中隊の一兵卒だった頃は、怖いものなど何もなかった。失うものがなかったからだ。自分の生命を失うことすら怖れず、一人で何でも出来ると、無敵にでもなったつもりだった。
ところが今はどうだ。自分には守らなければならない部下がいる。そして、隊長である自分を支えようと、助言をくれる者達に、心理的にすっかり依存してしまっていたらしい。




