(11)
エンティナス城のホールには、コカトリス第三小隊のパーティー全員が呼ばれていた。
立食形式の宴の席に、コールの父・エンティナス公、その跡継である、コールの弟ノエルと、コールの母――エンティナス公夫人、そして末娘のメラニー。三男のニコラ以外は家族全員が集まっていた。
「コカトリス第三小隊の勝利を祝して、乾杯しよう……!」
エンティナス公がコカトリス第三者小隊への感謝を込めて、祝杯を挙げる。
エンティナス家の手を尽くした食事と飲み物……煌びやかな祝宴にも関わらず、キリエ・カイルは、その場から逃げ出したい思いだった。心が石のように、硬く沈んでいる。
「どうしたよ、新人り。せっかくの祝杯なのに、もっと楽しんだらどうだ……?」
ケンは、長い付き合いだったエリンワルドの妹に、気安く声を掛けた。
「は、はなしかけないでください……」
キリエは魂がぬけきったような顔をして、今にも消え入りそうな、小さな小さな声で言う。
「落ち込みまくってるね……」
オーランドが手に負えない、という顔をして言う。
「君はどうやら、エリンワルドとは、真逆の性格みたいだね。顔はそっくりなのに」
オーランドはすでに、この堅物そうな水術士、もとい、風術士の性格を見抜いていた。
「エ、エリンワルドか……。あの人は、いったい、どんな人なんですか……?」
ん……?と、オーランドとケンの二人が首をかしげる。
「なんで俺たちにそんなことを聞く。兄貴のことだろう?」
ケンが突っ込んだ。
「私は、カイル家のスパルタ教育について行けなくて……学院入学と同時に、十歳で家を飛び出したんです。……いや、逃げ出したと言った方がいいかも……」
「なるほどねー……」
オーランドはキリエに心から同情した。カイル家の、異様な光景は、記憶に新しい。カイル家に産まれた子どもが、どんな扱いを受けて育てられることやら……。こんな真面目な性格をしてれば、その分、余計にキツいだろう。
「だから、十四年間、兄とはほとんど口も聞いてないんです。兄がどんな人かも、よく知りません」
「エリンワルドか……。そうだなー、一言で言うと……」
オーランドとケンは、脳裏にエリンワルドの仏頂面を思いうかべながら言う。
「変人だな」
「浮世離れしてるよね」
「オタクとも言うな」
「水術のことしか、頭にないもんね」
「コミュニケーション能力は、ゼロに近いしな」
「そのくせ、綺麗な奥さんがいるし、ズルいよね!」
「ああいうのが、雰囲気イケメンってやつなのか?」
「女の人って、実はああいうタイプに弱いからなあ……」
オーランドとケンが口々に言い合う。
ふふふ……。
キリエは、久しぶりに笑った気がした。
あの、完璧で偉大な兄が、ここではこんな風に言われているなんて……。
「君もさ、エリンぐらいぶっ飛んでみたら、いいんじゃない?真面目過ぎるんだよ。どうせ、優秀過ぎる兄に比べられてツラいから、水術は棄てたーっとか、そう言う話でしょ」
み、見抜かれている……。
「もう。貴方たちはいったい、何者なんですか?余計へこむんですけど……」
自分を置き去りにするような、ないがしろにするような人間たちに、目にもの見せてやろうと思っていたのに、目の前で繰り広げられた風術、聖術、そして見たこともない闇術……コカトリス第三小隊の者たちは、予想の斜め上を行く強者達だった。
「キリエ、君もポテンシャルは絶対あると思う!もっと自信を持ちなよ、今回、エンティナスの騎士団がほぼ無傷で助かったのは、ひとえに君の活躍のおかげなんだから……!」
「いやに優しいじゃないか、オーランド。お前がそんなに、他人に優しくしてるとこを、俺は初めて見たぞ」
ケンは、いつにもまして優しい言葉を吐くオーランドに、驚いて言った。
「失礼な。……知らなかった?僕は、世の中すべての女性の味方だよ」
オーランドがしれっと言う。
「どの口が言うんだ、この大嘘つきめっ。言い寄ってくる女がいれば、虫ケラのように扱って、片っ端から不幸のどん底に叩き落としているくせに……今までいったい、何人の女を泣かしてきたと思ってるんだ!」
「だから、何回も言ってるでしょ!被害者は僕なんだってば……っ!」
はあ……。キリエは目の前で繰り広げられるやり取りを、二の句も継げずに見つめていた。
確かに、この完璧なルックスに、貴族の次男坊にして、ランサー帝国軍の出世頭――ハイスペック男子どこの話じゃない。社交界の令嬢たちが、放っておかないだろう。
そして、噂通りであれば、オーランドの『本命』は、クアナ・リオン王女で、あの恐ろしい隊長と壮絶な三角関係を繰り広げているわけだ。……いったい、どんなパーティーなんだ!魔の巣窟じゃないか!
「顔色が悪いよ、キリエ、大丈夫……?」
オーランドが心配そうに、キリエの顔を覗き込む。
「いえ、大丈夫です……こっちの話です……」
そんなキリエの元に、今度は、当の恐ろしい隊長が現れた。
「キリエ、お前には、どうしても謝らなければならないことがある」
「い、いったい、なんでしょうか……っ!」
キリエは飛び上がって言った。敬礼でもしそうな勢いだ。
「お前をたった一人、エンティナス城に置き去りにしたことだ。本当に、申し訳なかった……。そして、エンティナスの騎士団のために、奮闘してくれたことに心から感謝したい」
悪魔のように恐ろしいと噂のコカトリス第三小隊隊長が、静かに頭を下げていた。
「顔を上げてください。私は、自分のすべきことをしたまでですから……!」
キリエは慌てて答えた。
意外だった。この人は、自分に非があると認めれば、部下にすら頭を下げることを厭わない人のようだ。
「うわっ、それ、絶対あえて触れない方がいいやつじゃん……!素で忘れてたんでしょ、隊長」
オーランドがニヤニヤしながら混ぜ返す。
「許してあげて、キリエ。あの時隊長は、リティアの町を侵攻されて、かつてないほど動揺してたんだ。この人は、頭に血が上ると、常軌を逸するところがあるからね……」
「黙れ小僧……貴様は相変わらず、一言も二言も、三言も多いヤツよなあ……!」
隊長の表情が一変し、オーランドを三白眼で睨み付ける。
今の、そんなに怒るところかな……、この人、挑発への耐性が低すぎるんだ……。
そうだ。私も、謝らなければならない人がいるんだった。隊長の姿を見て、キリエは思い出した。
キリエはその場を辞して、クアナ姫の姿を探した。金髪碧眼の美少女聖術士は、エンティナス家の末娘と並んで、小さな女子会を開いているところだった。
「クアナ姫、お怪我はいかがですか……?この度はほんとうに、申し訳ありませんでした。私のせいで、貴方を危険な目に遭わせてしまいました……」
「キリエ……」
彼女はぱっと、大きな瞳をさらに大きく見開いてから、にこりと優しく微笑んだ。
「言っただろう?私は仲間として、当然のことをしたまでだよ。私は、貴方のお兄様には、本当に、たくさんたくさん助けてもらったんだ。彼の大切な妹君を、ないがしろにする訳にはいかない」
これが一国の王女の言う言葉だろうか……。大嫌いな特権階級の人間達へのキリエの偏見は、ここへ来て、ことごとく打ち砕かれていっていた。彼女は、王女として生を受け、育ってきたはずなのに、自分達のようなただの平民のために、自らの命を擲つことすら、『当然のこと』と簡単に言ってのける。
年齢は、自分よりもずっと下のはずなのに……リオンの姫君のたたずまいは、神々しいまでに美しかった。
『高貴な人』と言う言葉は、本来、こう言う人のためにあるのだろう。
仕えるならば、こんな人に仕えたい。キリエは、心の中で強く思った。
「勿体ないお言葉です……!私は、エリンワルドの大切な妹なんかではないのです。こんな、虫ケラみたいな私のために、命を擲つなんて、もう、二度としないでください……」
酒が回ったのだろうか、キリエはなんだか泣けてきた。
「うわーーーーん……私なんて、役立たずの穀潰しです……!虫ケラ以下です……!死んだ方がマシ……!」
「ち、ちょっと……!貴方、お気をたしかに……どうなされたの……?そんなに泣かないで……!」
メラニーが、急に号泣し始めた年上の術士を、おろおろしながら慰める。
クアナも、そんなキリエの赤裸々な姿を見て、エリンワルドの妹とは思えない人だな、と驚きながら、泣きじゃくる彼女の肩をさすってあげたのだった。




