(9)
五体六の、術士同士の戦いの始まりだった。
「隊長、呪力って、どのぐらい残ってる?」
敵に悟られぬよう、オーランドが囁く。
「半分、と言うところかな」
「隊長の、『奥の手』は使えそう……?」
コールは頷いた。
「五分……いや、十分間はいけるな」
「……充分だ。隊長は、呪力を温存しておいて」
オーランドは、手早く頭の中で作戦を組み立てる必要があった。
「それから、クアナ。今回君は、攻撃しなくていい。焔術がきた時、味方を守るための水術だけに専念してほしい」
「了解です、師匠……」
今、最低限指示できることはこのぐらいだ。敵にひとまず、一人以上の焔術士がいることは判明している。
強力な近距離攻撃である焔術から仲間を守る唯一の方法は水術だけだが、いま、パーティーで水術が使えるのはクアナしかいないのだ。それゆえの、先ほどのキリエ・カイルへの質問だった。
「隊長も、何か妙案が閃いたら、僕に教えてよね」
「お前が俺に意見を求めるとは……、さっきまでの自信はどこへ行ったんだ?」
コールは傍らのオーランドに問いかけた。
「状況が悪すぎるよ。リオンの時みたいな、恥ずかしい思いは僕もしたくないからね」
「違いない」
自分達の実力には自信があるが、状況は圧倒的に不利だ。相手はおそらく、今回のミッションを遂行するに当たって、ある程度こちらの情報を仕入れてきているだろう。対してこちらは、相手が何色の呪力の持ち主なのかも、手探りで判断していかなければならない。
相手の出方を見て、状況に合わせて取る手を考えていくしかないだろう。
先ほどの風術士がまず動いた。さらにもう一人、術士が動く。やはり狙いは、クアナとキリエか。水術をまず封じて、防御の術がなくなったところを、一気に強力な火炎系の術で焼き尽くすつもりだろう。
「単純な手で助かるよ」
クアナを庇うように、オーランドが立ちはだかる。
キリエは、水術士、と見せかけて、そもそも風術士なので、自分の身は自分で守ってもらうこととしよう。
偶然とは言え、城に一人で残っていてくれたことといい、キリエというダークホースが、今回巧く利いているな。
「残念だけど、風術で僕に敵う人間は、ちょっといないと思うよ」
風術の刃で斬り付けてきた相手を、オーランドも同様、白銀色の刃を造り出して応じる。
オーランドは鍛え上げられた騎士並みの身体能力で、相手の風術士と接近戦を繰り広げた。
激しい刃の応酬。騎士同士の決闘のように、二人の風術士は刃と刃を打ち合った。相手の畳み掛けるような猛攻を、オーランドは顔色一つ変えずに軽々といなしていく。
実力の差は誰の目にも明らかだった。相手の力押しの風術と、オーランドの洗練された身のこなしとには、明らかな差がある。
オーランドは、あっという間に相手の首を跳ねた。
「一丁上がりさ」
返り血を浴びて、冷酷な表情で相手を睥睨するオーランドに、敵方の術士たちが凍り付く。
「つ、強すぎる……」
敵方の術士から思わずと言った呟きが漏れた。
クアナは、自分を庇ってくれた風術士の後ろ姿を見ながら、オーランドの本当の恐ろしさを思い知った。
この人は、他人を使うことに長けているだけではないのだ。
自分自身の、術士としての能力の、効果的な使い方についても、完璧に心得ている。
敵方の残る四人の術士は、目の前でオーランドの圧倒的な実力を見せつけられ、恐れ、怯み、戦意を喪失せずにはいられないはずだ。オーランドがわざと派手に敵の首を跳ね、普段の彼からは想像もできないほどの冷酷な表情を見せたのも、そのためだった。
一方、キリエの元には、未見の術士が迫っていた。キリエも同様、風術の刃で、相手に攻撃を仕掛けた。ところが、相手はにやりと笑っていた。
「え……?」キリエはその瞬間に悟った。
相手の呪力の色は、血のような赤――深紅だった。もう一人、焔術士がいた……
しまった……!
オーランドは、自らの浅はかさを呪った。まさか、敵が、『水術士だと思い込んでいるであろう』キリエに、焔術士をぶつけてくるとは思わなかったから、相手が風術士、もしくは聖術士だと、無意識に判断してしまっていたのだ。
「キリエ……っ!」
オーランドが叫ぶのと、敵のスペルが放たれるのが、ほぼ同時だった。
「〝焼夷の奔流〟」
水術を……使わなければ……
理性はそう訴えているのに、キリエは竦んだように、ほんの一瞬、躊躇った。
至近距離で焔術を浴びれば、当然、人間は、一瞬で焼け死ぬ。
「キリエ……っ!」
咄嗟に、クアナの身体が動いていた。
クアナは、思い切りキリエの体に体当たりして彼女を退かせると、
「〝殲滅〟」
頭で考えるよりも早く、口をついて出てきたのは、聖術の最高位の攻撃呪文だった。
放たれようとしていた炎ももろともに、焔術士の身体が消し飛ぶ。
オーランドは呆れていた。
「普通、そこは、『水術』使うとこでしょう。呪力は温存しなさいと言ったのに……」
焔術がギリギリ掠めていたのか、クアナの右腕と、金の髪が、チリチリと焦げていた。
キリエは打ちのめされていた。貴族のボンボンだと侮っていた風術士には、『本物の風術士』と自分との格の違いを思い知らされ、さらには、愚かにも水術の使用を躊躇った自分のせいで、大事な戦力である聖術士に、怪我を負わせることになってしまった。
「クアナ姫……!私なんかのために、何で……っ!」
クアナは、痛む右腕を抱きながら、苦し気に言った。
「キリエ……、良かった、無事で。……大切な妹である貴方に何かあったら、エリンワルドに顔向け出来ないだろう……?」
大好きなエリンワルドの妹だ。初対面だが、クアナにとって、キリエはけして他人ではなかった。
「貴様は……!紺碧の呪力を持ちながら、なぜ水術を使わない……!自分の生命が惜しくはないのか!?」
エンティナス公とよく似た雰囲気をまとう、これからキリエの上司となる男には、物凄い剣幕で叱られた。
ラマン・オーランド、クアナ姫、そしてエンティナス公の子息……この人達は、いったい何者なんだ。
キリエは自分の小ささを、思い知らされているようだった。
「あまり怒らないであげてよ、隊長。彼女は今回の功労者なんだから……それに、今のは完全に僕のミスだ」
「オーランド、相手はあと三人だ。もう、充分だろう、ちまちま戦うのはストレスがたまる……っ」
気の短いコールは、そろそろ限界のようだった。そりゃ、大切なお姫様を傷つけられちゃね……。
「それが、コールの閃いた妙案ってわけ?……ずいぶん短絡的だな」
オーランドは苦笑いしながら言う。
「でも、オッケーだよ。実は僕もいま、まったく同じこと、考えてたから。『五分』で片付けちゃってよ」
その時、残る敵は焔術士と風術士、そして水術士の三人だった。
風術士と地術士フリン、焔術士と水術士のペアは焔術士ケン、それぞれ、盾と矛の睨み合いをしていた。
「フリン、ケン……!いったん退いてくれ。隊長が出る!」
フリンとケンは、その意味を理解し、慌てて味方の元へ引き下がった。巻き込まれたら、生命がないことを知っているのだ。
辺りに墨を捲いたように、黒い闇が広がっていく。
しん……と、耳が痛くなるほどの沈黙が、辺りを支配した。
ケンとオーランドは、約四年前、コールのこの『奥の手』を初めて目の当たりにした時の、なんとも言えない空気感を、思い出していた。
「なんだ……?」
敵兵は、辺りの異様な雰囲気に、本能的な危険を感じていた。
「〝化身【黒】〟」
暗い闇の中に、美しい死の女神が佇んでいた。
神獣すら赤子の手をひねるように秒殺したご仁だ。
「敵に地術士がいなくて、良かったよ」
彼女に唯一の弱点があるとしたら、鉄壁の物理防御を誇る地術士だけだろう。
闇の呪力の凝縮である死神には、火炎も効かなかった。水術にも物理防御の術はあるにはあるが、その程度で、神獣の皮をも易々と引き裂く死神の鎌を食い止めることはできない。
風術士が、女神の横をすり抜けて、彼女の使い手であるコールの元に迫ってきたが、コールの傍らは、五人の術士が固めている。
「ランサー帝国に、楯突こうとした報いだ。エンティナスの領土を侵した愚かな過ちを悔いながら、死んでゆくがいい……」
コールの静かな怒りに溢れた言葉は、死にゆく者達を悼むかのように響いた。




