(8)
しかし、それにしても、なんと言う運の無さだろう……。キリエは現場に向かいながら、心の中で、自分の運の悪さを呪った。
まさか、新たな部隊に異動した初日に、たった一人でクエストをこなすことになろうとは。
これまでの六年間の軍人生活の中で、明らかに最も困難なクエストだった。大所帯だったタイタン第一中隊では、常に隣に誰か居て、隊長から与えられる指示に、ただ従っていればいいだけだった。
いま、キリエはたった一人。作戦を考えてくれる人はいない。敵の人数すら分からない、手探りの状況で、自分一人で判断し、騎士団の兵士達を敵の術士から守るというミッションを達成しなければならない。
心が挫けそうになるぐらい、厳しい状況だった。
それでも、自分が帝国軍の術士である以上、逃げ出すことは許されない。自分にやれることを、やるだけだ。
城に隣接する、建物の一部から煙が出ていた。
焔術……?
ここがどうやら、騎士団の詰所らしい。キリエが建物に飛び込むと、煙に巻かれて逃げ惑う兵士達が、出入口に殺到しようというところだった。
い、いけない……!
「〝刃の壁〟」
出てきた兵士たちを襲おうと待ち構えていた術士との間に飛び込み、兵士らをかばう形で風術を放つ。不意を突かれた形となった敵の術士は、刃の壁をもろに食らって、撥ね飛ばされ、ズタズタに切り裂かれた。
「取り敢えず一人、終了……」
「た、助かった……かたじけない。まだ、複数の術士が、中に居る。火を放っている焔術士が厄介だ……!頼む、まずそいつを見つけてくれ……!」
「了解」
火が燃え広がる前になんとかしなければ……。
「仕方がない……」
背に腹は代えられない。キリエは長い間、封印してきた水術を、今日だけ解禁することにした。
キリエは、建物の奥へと進みながら、丁寧に火消しをしていった。
かざした両手から溢れ出す、水の奔流。
「久しぶりだな、この感覚は……」
水を得た魚とでも言えばいいだろうか。キリエは自分の中で長いこと封印されていた力が、解放されるのを感じた。
キリエはやはり、どこまでも青――紺碧の呪力の持ち主なのだった。
「おや、おかしいねえ。エンティナス城に術士はいないはずなのに。なんでいるの、君?」
目の前に現れた術士は、困った顔をしながら言う。
「知るかっ!こっちが聞きたいわ……っ!」
キリエは思わず叫ぶ。腹立たしいこと、この上ない。
彫りの深い顔立ち、漆喰のような、透明感のない白い肌。こいつ……明らかに、ランサー人ではない。
何がどうなっているのやら。こいつらは、テロリストじゃなかったのか?敵国から、忍び込んだのか……?
「君もなかなか、やるみたいだな。雰囲気で分かるよ。……外に出ないか?この狭い空間で、やり合うのはお互い得策ではないだろう」
こいつが、この場に炎を放った焔術士だろうか。焔術士ならば、建物から出たいのも分かる。自分が焼け死ぬ恐れがあるからだ。
コール達、コカトリス第三小隊が城に戻ってきたのはちょうどこの頃だった。キリエが、この男とともに、外に出たところを、鉢合わせたのだった。
「でも、なぜ、『風術士』なの?呪力の色は青なのに。君は、エリンワルド・カイルの、妹でしょう?」
ははあ……コイツが、噂の『貴族出身の術士』とやらだな。
いかにも、容姿至上主義の貴族が、見た目重視で血統繋いできましたとでも言うような、洗練された顔立ちをしている。
存在だけで、苛立ちを感じさせる人種だ。
「私が、風術士で、何か問題でもあるのか?」
キリエは、術士になってから、会う人間会う人間に、繰り返し問われてきた質問に、苛立ちながら答えた。
「それが大有りなんだよね。君のお兄さまがグリフォンに引き抜かれちゃって、うちには今、水術士がいない。君が他ならぬエリンワルドの妹で、彼と同じぐらい優秀な紺碧の呪力の持ち主なら、できれば水術をやってもらいたいんだけど……」
『君がエリンワルドの妹で、エリンワルドと同じぐらい優秀な紺碧の呪力の持ち主なら』――本人は、何気なく口にした言葉なのだろうが、キリエは、心臓に杭を打たれたように、トラウマが暴れ出すのを感じた。杭を打たれた部分から、どくどくと血が流れ出して、身体中を赤く染めていくようだった。
「それは出来ない……無理なんだ、私には」
キリエは、やっとのことでそれだけ言った。
「まあ、いいよ。今は、そんな話をしてる場合じゃないし」




