(7)
時は、数刻前に遡る。
「いったい、何がどうなってるのよ!」
キリエ・カイルは、全てにイライラしていた。
異動辞令が出て、新しい配属先のメンバーと合流するため、エンティナス城に向かえと言われていたのに、着いた先には誰も居なかった。
城の者に聞けば、コカトリス第三小隊のメンバーは、とっくに現場へ向かったと言う。
キリエは、その場に残るべきか、リティアへ向かうべきか、誰からも指示をもらえず、ひとまず城の一室に通されて、待ちぼうけを食らわされていた。
キリエはあまりの扱いに、イライラしながら考えていた。
そもそも、出世コースと言われているタイタン第一中隊で、問題も起こさず真面目に働いていた自分が、なぜよりによって『コカトリス第三小隊』などへ異動させられなければならないのか。まるで、島流しではないか。
古巣のタイタンの仲間達は口々に、「御愁傷様……」と同情の声を寄せた。
とにかく、コカトリス第三小隊については、ろくな噂を聞かなかった。
けして誰も行きたがらない、魔窟のような部隊。精鋭が集められてはいるが、それゆえ、通常の部隊とは異なる、困難なクエストばかりを任されている、いわゆる「特命係」と噂されていた。
隊長が、悪名高い闇術士のエンティナス・コールであると言う事実は言うまでもなく、最近では、彼は新しく部隊に配属された隣国の王女を秒で落として、恋仲になっていると言う。そのうえ、その事実に貴族出身の術士が嫉妬して、泥沼の三角関係を繰り広げていると言うではないか。
なんて破廉恥な……!何をしに軍隊に入ったと言うんだ……!
カイル家のスパルタ教育を受けて育ったキリエからしたら、あり得ない世界の話だった。
こんなことになったのも全て、あの忌々しい兄のせいだ。
キリエは、兄のエリンワルドが大の苦手だった。キリエの人生が狂ったのは、何もかも全て、あの完璧すぎる兄の妹として生を受けてしまったことだ。
キリエは生まれてこの方、約二十四年間、常に優秀すぎる兄と比較されて生きてきた。兄の水術への執着は常軌を逸していて、キリエにはとても着いていけなかった。兄は学院入学前に、この世に存在する水術のほとんどを習得していたと言うのに、同じ兄妹とは思えないほど、キリエは出来が悪かった。
水術至上主義のカイル家の面々は、早々にキリエのことを見放した。キリエも腹が立ったので、二度と水術など使うものかと、学院入学と同時に家からも飛び出し、風術士の世界に逃げ込むこととした。そして、これが功を奏し、もともとのポテンシャルは人並み以上だったキリエは、風術で成功し、今ではタイタンの主力部隊に選ばれるほどになっている。
それなのに……またもや兄の名前がキリエの人生に立ちはだかったのだ。コカトリス第三小隊への異動者に選ばれた理由は明白だ。キリエが他ならぬ、エリンワルド・カイルの妹であることに目を付けられたのだろう。
悪い噂しかないコカトリス第三小隊に、異動したいと思う人間などいるわけがない。だが、事情を知っているエリンワルドの妹ならば、納得してくれるだろう、人事院の考えはそんな浅はかなところに違いない。
「くそう……みんなして私のことを馬鹿にして!コカトリス第三小隊のことなんか、なんにも知らないわよ……!」
何せ、キリエは、家を飛び出してからの十四年間、ほとんど兄と口を聞いていない。
話した記憶と言えば、一番新しいもので、十一年前、兄が結婚することとなり、さすがに無視は出来ないと思って式に参加した時だろうか。その時キリエは、まだ十三歳だった。
気が重い……。そう思いながら足を向けたエンティナス城で、この仕打ちだ。
コカトリス第三小隊の隊長も、自分のことを馬鹿にしているらしい。
絶対に、思い知らせてやる。この私を、ないがしろにしたことを後悔しろ、エンティナス・コール……。
そう思っていた時だった。エンティナス城に詰めていた、騎士団の一人が、泡をくってキリエを呼びに来たのは。
「た、大変です……っ!リティアでテロを起こしたグループの一部が、騎士団を襲っています。今、城には、術士は貴方しかいないのです!」
「はあ……っ?」
「いま、伝令を走らせて、コカトリス第三小隊を呼び戻しているところです。なんとか、彼らが戻ってくるまでの間、持ちこたえてください……!」
訳が分からない、と思いながら伝令の兵士に案内されて現場へ向かう。
途中、壮年の武人と鉢合わせた。傍らに数人の騎士を引き連れている。
キリエは、あっ……と思った。
研ぎ澄まされた鋼の刃のように鋭い眼光。他を寄せ付けぬ圧倒的な威圧感……一目で只者ではないと分かる。件のエンティナス・コールの父君であり、この城の主、エンティナス公ジークムンドに違いない。
「おっ、お待ちください……っ」
キリエは慌てて呼び止めた。
「エンティナス公ジークムンド閣下とお見受けします!」
キリエは最敬礼して、身分を名乗った。
「私は、ご子息、エンティナス・コール術士の部下で、キリエ・カイルと申します。騎士団が術士のテロリストに襲われているとお聞きしましたが、……現場に、赴くおつもりですか?」
長身のエンティナス公が、見下ろすように、無言でキリエをじろりと睨み返した。
キリエは震えそうになる声を励まして言った。
「僭越ながら申し上げます。……今、現場に赴くことは、得策とは思えません。相手の狙いは、閣下のお命かもしれません。差し出がましいことかと思いますが、私が、彼奴らを食い止めますから……せめて、ご子息が戻られるまでは……、どうか、ご自重ください……!」
心臓が飛び出しそうだった。それでも、言わなければならないことだった。
「そなた、一人で、か……?」
キリエは頷いた。
「これでも私は、精鋭、ランサー帝国軍に選ばれた術士です」
キリエの言葉に、エンティナス公は、眼を閉じて言った。
「帝国軍には、勇猛な者が多いな……。そなたの進言、有り難く、頂戴しよう」
かたじけないと、謝られてでもいるようだった。
この人は、ホンモノだ……。
キリエは世襲の貴族や、特権階級の者達が、大嫌いだった。大した才もないくせに、貴族の子女だからという理由だけで、高い地位にふん反り返っている人間の、いかに多いことか。実力が伴わなければ虫けら同然の扱いしかしてもらえない、術士の世界とは対極にいる存在だ。
でも、この人は、ホンモノだ。自分なんかが差し出がましく意見したら、無視されるか、一兵卒が生意気な口を利くなと一蹴されるかと思ったが、この方は、公爵に次ぐ権力者でありながら、きちんと聞く耳を持っている。
「必ず、騎士団をお守りします」
キリエは、一礼してその場を辞した。




