(2)
「はあ……退屈だ……」
エンティナス・コールの盟友である、ランサー皇帝オーギュスト二世は、悲し気な顔をして深い溜め息をついた。
リオン王国の問題が片付いてしまい、コールの界隈がすっかり平和になってしまったので、皇帝は寂しい気持ちでいっぱいだった。
ハラハラドキドキが足りない……。
コールとクアナの関係性も、老成した男女みたいにすっかり落ち着いてしまったようだし。
まあ、カンフル剤になりそうな人材を見付けたから、コカトリス第三小隊に投入するよう、指示は出しておいたんだけど。
「つまらないなら、またコールを呼んで、お茶でもすればいいじゃない?」
ランサー城内の皇帝の居室。公務の合間に一服していた彼の傍らには、皇后ローザの姿があった。
「ダメなんだ……。コールを呼び出すのは、ここぞと言う時だけにする、そういう誓いを立ててしまってるからね。こんなことぐらいでは呼び立てできない。『私』が安くなってしまう」
皇后は肩を竦めた。
「変な人……」
相変わらず、何を言っているのかさっぱりだった。
「南の問題が片付いたなら、次は北の経営でしょう?ニーベルン公国の王が、不穏な動きをしているとお聞きしましたわ。彼女はなかなか、食えない人物だとか……?」
「うん。だから、取り敢えずコールの部隊に行かせたんだ。……でもね、彼女ごときでは、私の退屈を紛らわすには、力不足だよ。頭は悪くないんだが、どこか、『惜しい』ところがあるんだよね、彼女は……」
皇帝は、自分をライバルか何かだと吹聴して回っているらしい、ニーベルンの女王の強気な顔を思い出して、溜め息をついた。
「私はそのうち、コールに爵位を与えて、シノン公に封じようと構想を練っているんだ。そのために、いま、突貫で、シノンの地を開拓させているんだけどね。北東のエンティナス公、北西にシノン公……。北の防備はこれで完璧だ」
「コールに、爵位を……?貴方は、本当に彼のことが好きなのね……!」
ローザは開いた口が塞がらないという様子。ランサー帝国始まって以来、騎士の国であるランサーに、術士が爵位を授かった例は、ただの一度もない。術士はどれだけ功績を積もうとも、どこまでいっても平民だった。
「……でも、そんなことをしたら、それこそ諸侯が黙ってはいないでしょう。ランサーの階級社会が、引っくり返ることになるわ」
ローザは心配そうな顔で言う。コールに禁術の使用を許し、重用した一件にしてもそうだが、この人は、時折ありえないような博打に出ることがある。緻密な策略家のように見えて、実に大胆不敵なのだ。皇后の立場からすれば、いつか夫が足元を掬われないか、気が気でならない。
「分かってる。だから、それはもう少し先の話さ。まだまだ足りないね。コールには、もっともっと名声を上げてもらわなければ……」
登り詰めれば術士でも貴族になれる……。その先駆けを作れば、たしかにランサーの階級社会は引っくり返ることになるだろう。その代わり、今まで以上に、術士を目指そうとする人間もますます増える。それこそが、皇帝の狙いだった。ランサーも、時代の転換期に来ているのだ。
こうしてコールは、三年ぶりに、再び故郷に帰ることになった。
クアナにとっては、初めてのエンティナスである。
「隊長の故郷か……」
いったい、どんなところなのだろう。
コールが、ランサー北部に位置する広大な領地の辺境伯である、エンティナス公の長男だという話は、ギランをはじめ、いろいろな人から聞いていた。コールが、闇術士になるために、自らエンティナス公の家督を次ぐ立場を擲ったのだと言う話も。
そのため、昔はコールを馬鹿にする人間もたくさんいたようだが、彼の名声が轟いてからは、そんなことを言う者もいなくなった。いまや、皇帝陛下のお墨付きまでもらってしまっている。
とにかく、凄い人だ。自分の運と実力だけで、ここまでの地位を切り開いて来たのだから。
クアナは、そんなコールを培った、彼が生まれ育った場所を、ぜひ見てみたいと思った。コールのことならば、どんな些細なことでも、知りたい、そんな風に思うクアナだった。
ランサーの帝都から、北部エンティンス領へは、通常、騎馬で一月ほど掛かる。ランサー南部から北部へ縦断する、長旅だ。
今回コカトリス第三小隊は、ゲートの使用許可を得ていた。軍部に所属する者は、申請さえ出せば自由にゲートを使用することが出来る。
ランサー城内にある、軍の寮や演習場が置かれたエリアへの一部に、ひっそりと佇む『門』。
ランサー城と、北部タイタン・東部ワイバーン・西部グリフォンそれぞれの主要な要塞三か所を結ぶ『門』である。
ゲートを開くには、巨大な呪力が必要なため、普段は閉じられているが、申請を出しておけば、ゲート専門の水術士が、部隊を送り出してくれる。
「お待ちしておりました、コール隊長」
「〝碧の門〟」
水術士がゲートを開く。鏡のように均一だったゲートの表面が、揺蕩う水面のように波打ち始める。
クアナは、ゲートを通るのは初めてだった。国土の狭いリオンには、こんな大掛かりな仕掛けは必要なかったからだ。
騎乗したまま、五人はゲートを抜けた。
水の流れの中を押し流されていくかのような、経験したことのない感覚が身を包む。ただ、それも、一瞬のことだった。
次の瞬間、門を抜けていた。
空気が冷たい。
そこは、エンティナスから約三日の場所にある、タイタンの第一要塞の城壁の内部だった。
「急ごう」
コールはタイタンの術士達への挨拶もそこそこに、エンティナスへ馬を急がせた。
コールは気が急いていた。相手の要求は、コールを現場に呼び付けることだというので、今は、膠着状態にあるらしいが、情報があまり入って来ていないので、エンティナスがどのような状況かは、まったく分かっていなかった。




