(5)
その時だった。
「愚かなのは、お姉さまの方です。……もう、我慢がならない。私の大切な仲間を侮辱し、傷付ける行為は、たとえそれが他ならぬお姉さまであろうとも、絶対に、許さない……!」
クアナは激怒していた。
その場にいる誰にも、クアナ王女が、これほど激しているところを、見たことがある者はいなかった。
「〝一角獣の召喚〟」
一角獣の召喚……?
聞いたこともないスペルだった。
クアナの身体が目映い光に包まれ、凄まじい呪力を放った。
まるで、神罰が下ったかのようだった。
そこに現れたのは、額に鋭く長い角を持つ、真っ白な聖獣だった。神々しい光を放つその姿は、まさに神の使いのようだった。
聖術の召喚術など、聞いたこともない。
それは、古リナハに系譜を持つ、リオンの王族にだけ、代々伝えられてきた術だった。
「ユニコーンの召喚……貴方は、リオンの秘術を使って、母国に楯突くつもりですか……?」
リオンの女王の声は、驚きと戸惑いに震えていた。
「クアナ、ダメだ、抑えろ……、戦ってはいけない……!挑発に乗った時点で、俺達の敗けなんだ。たとえ、こちらがどんな手を使おうとも、初めから俺達に勝ち目はない。それに……何より俺は、お前に身内を傷付けるようなことをさせたくはない……!」
コールは必死で訴えた。
「可哀想に……クアナ。貴方は、敵国の者達に心をほだされ、その手先となって、帰ってきたと、……そう言うことなのですね……?」
姉王も当然、同じぐらい驚き戸惑い、怒っていた。
当たり前のことだ。家族として慈しんできた妹が、たった一年、ともにしただけの者達の肩を持ち、自分を裏切るなど、思いも寄らないことだろう。
双方の気持ちが、コールには痛いほど理解できた。
お願いだ……。双方とも、無用な闘いはやめてくれ……。
コールは祈るような気持ちで、リオンの女王の前に跪き、平伏して頭を下げた。
「これは、無用な闘いです、陛下。私たちに、クアナ殿下を、そしてリオン王国を害する意図はありません。どうか……手を引いてください!」
コカトリス第三小隊のメンバーの、彼の性格を知る誰もが目を見張った。あのコールが、人一倍プライドが高く、少しでも自分の矜持を傷つけられるようなことがあれば、火が着いたような怒りを見せるコールが、卑劣にも奇襲を仕掛け、大切な部下を傷付けた女王の前で、平伏している……。
ところが、リオンの年若い女王は、そんなコールを高らかに笑い飛ばした。
「あははははは……!無様だな、天下のランサー帝国の術士ともあろう者が。命乞いをしているようにしか見えないぞ……!頭を下げれば済むと思っているのか……?それで……?お前たちは、我々に、クアナを、返してくれるのか……っ?」
女王は一言ひとこと言葉を区切りながら、投げ付けるように言い放った。
コールは頭を下げたまま、何も言い返せなかった。まったく、彼女の言う通りだったからだ。
いま、コール達の命は、彼女の手の中に握られているも同然。女王はなんとしても妹をランサーから取り返したい。コール達を全滅させることなどやろうと思えば簡単なことなのだ。それをせず、クアナを諦める理由など、どこにもない。
ここまでか……。彼女にコールの言葉が届かない以上、取る手は何も、残されていなかった。
諦めかけたコールのすぐ隣に、彼と同じく片膝を立て、跪く者の姿があった。柔らかな金髪が、俯く彼女の頬にサラサラと掛かる。
コールの姿に心を動かされたクアナは、召喚した神獣を、すでに退かせていた。
「お姉さま、命乞いをしろと言うならば、いくらでもします。どうか、この者達の命を、取らないでください……」
泣き虫のクアナは、やっぱり泣いていた。
「お姉さまは、ランサーの皇帝を、『救いようのない愚か者』と、言いましたね。たしかに皇帝の行為は、あまりに愚かです。普通に考えれば、せっかく手に入れた人質を、みすみす手放すようなことはしない。……では、なぜ、皇帝が、こんなにも愚かな行いをしたと思いますか?
彼は……自国に及ぶかもしれない危険も顧みず、私に、愛する故郷に帰り、お姉さまや、リオンの皆に会う機会をくださったんです。これほどの誠意があるでしょうか……?
私は、本当に嬉しかった。二度と、故郷の地に帰ることはできないかと思っていた。二度と、お姉さまの顔を見ることも叶わないかと思っていた。私は、故郷に帰るのを、本当に楽しみにしていたんです。それなのに、……久しぶりに会ったお姉さまの、この仕打ちはあまりに辛いです。私は、貴方を憎みたくはないのに……」
クアナはそこで一度言葉を切り、姉の顔を真っ直ぐに見つめながら言った。
「ランサーで私が過ごした一年間は、けして何一つ無駄な時間などではありませんでした。ランサーで一年間、かの国の内情を見てきた私には、ランサーがどんな国か、よく分かっています。ランサーの人達は、高潔な方たちばかりです。私は、ランサーが、信頼に足る国だと思います。年若いお姉さまと私には、信頼に足る味方が必要です。ランサー皇帝陛下は、信頼に足るお方。賢君と呼ばれる彼ならば、リオンのよき盟友となってくださるでしょう。彼らを敵に回すのは得策ではありません。そして、何よりも、私は、この人達が、ほんとうに、大好きなんです……!」
あまりに一途で、直球の言葉に、その場の全員が呑まれていた。
まるで、愛の告白を聞いているようだった。クアナの言葉は、止めどない奔流のように、溢れて溢れて、留まることがなかった。
コールは、たった一年過ごしただけの自分たちと、ランサーのために、ここまで言ってくれる彼女に、心から感謝した。
彼女の、この言葉を聞けただけでも十分だ。もうこの上、どんな結末が待っていようとも、甘んじて受け入れよう。
しん……、と長い長い沈黙がおりた。
リオンの女王は、目を閉じ、長い溜め息を着く。
「……いいでしょう。私の敗けです。私は少し、肩に力を入れすぎていたみたいね……」
彼女の溜め息と一緒に、その場にいた全員が、忘れていた呼吸を再び開始したように、長い長い息を着いた。
「エンティナス・コール。貴方の国の、皇帝陛下に伝えてもらうことはできるかしら。クアナを介した契約関係ではなく、純粋な二国間同盟を結ぶことはできないかと……」
コールは頷いて言った。
「……御意」




