(1)
クアナは絶対絶命のピンチに陥っていた。
場所はランサー城下の、小さな商店の地下室のようなところだった。
人混みの中で、痺れ薬でも嗅がされたのか、全く抵抗もできないまま、この場所に連れ込まれたのだ。
クアナをかどわかした男は二人組だった。コカトリス第三小隊の六人がしばしばたむろする、行きつけの酒場の付近で、クアナたちが店から出てくるのを待ち伏せしていて、後を付けられていたらしい。
ランサーの治安は悪くないが、よからぬ輩もいる、と言っていたコールの言葉を思い出す。
二人はクアナが所属している、ランサー皇帝直下の軍隊ではないが、地元の警備兵らしき、制服を着ていた。
「貴方たちはそのあたりのゴロツキではないようだ。ランサー城下の警備兵が、なぜこんな卑劣なことをする?軍服に恥じないのか?」
クアナは無造作に床に転がされていた。右の頬と右腕に、薄汚れた地下室の冷たい床の感触が伝わってくる。
話すことは辛うじてできたが、呪力を使い果たした時と同じぐらいに、指一本動かせない状態だった。
「悪いな、お嬢さん。俺たちも偉い人にお願いされて、やってるだけなんだよ」
言葉の割に、男はにやつきながら、抵抗出来ないクアナの腕を取り、その場に準備されていた縄で後ろ手に縛り上げた。
痛い……っ。恐怖に心臓が早鐘のように打っている。
クアナは考えていた。身体が動かなくても、術は使える。
この二人を殺めずに、この場を脱出する術は何だろうか。
この狭い空間で、下手に自分が大味な術など使ったら、二人の生命を奪ってしまうことになる。
クアナはランサー帝国に差し出された人質だ。警備兵とは言え帝国の兵士を殺めたとなれば、どんなお咎めがあるか分からない。
やはり、風術か……?でも、クアナは風術は苦手だ。あれは熟練を要する術だ。よほど使い慣れていないとコントロールが難しい。
「おい、本当に大丈夫なのか?なんだか偉く高貴な方のようじゃないか……。帝国軍の軍服も着ているし」
もう一人の男は、及び腰のようだった。てっきりクアナの身分を知って襲ったのかと思っていたのに、命じられただけで、クアナが何者かも知らないらしい。
「金貨百枚だぞ。こんな別嬪さんを相手にするだけで……。めちゃくちゃ実入りのいい話じゃねえか」
お金のためにこんなことをしているのか……。いったい誰が、何のために……?
コールは『禁術』を使うし、異例の出世をしているせいで、敵が多いとは聞いている。コールを窮地に立たせるために何者かが動いていると言うのか……?
「私を、どうする気だ……」
ふふふ……男が笑みを深める。
「殺さなければ、何をしてもいいと言われてるんだ」
男は片手に持った刃物をちらつかせながら言う。
「抵抗すると、痛い思いをすることになるぞ」
いよいよ物騒なことになってきた。
男は片手でクアナの髪を掴むように押さえ付け、わざと怖がらせようとしているかのように、刃の峰でクアナの頬を撫で下ろした。
クアナは思わず目を瞑る。
コール、ギラン、エリン……コカトリスのみんな、お願いだから、早く助けに来て……!
「かわいそうに……泣いてるじゃないか」
及び腰の方の男は、人が良いらしく、十七歳の少女が泣いているのを不憫に思ったらしい。
「〝薄鈍の壁〟」
クアナは防御に徹することにした。
クアナの周囲に見えない防御壁が現れる。水術には珍しい、物理系の防御術だ。
最近習得したばかりの術だ。エリンワルドに教えてもらっていて良かった。
呪力は大事に使えと教えられたばかりだ。燃費の悪い聖術の防御術は使えない。
「この娘、軍服を着ていると思ったら、術士なのか……?」
人の良い方の男が驚いたように言う。
「くそっ、なんでだ、全く近づけないぞ……っ」
もう一人の男が刃物でクアナの周囲を切り付けるが、壁に弾かれたように、全く通用しない。
これで、ひとまず身の安全は守られる。あとは何とか、クアナの呪力を辿って、誰かが助けに来てくれたら……。




