(1)
「お母様……!なにやってるの!ほんとに、お母様は下手っぴねえ……早くしないと、間に合わないわよ!」
レインの声が、シノン城のサロンに響いている。ケーキにフルーツを飾り付けているようだ。
シノン城に、日常が戻った。
五歳のレインと、シノン城の侍従たちは、魔女の呪いから解放され、永い眠りから目覚めた。
クアナとコールの長男は、祖父から名を貰い、『アヴァロン』と名付けられていた。
コールに似た黒髪で黒い瞳の美男子になりそうな綺麗な赤ん坊だったので、いつか再び魔女の呪いなどに掛けられぬよう、大天使の加護を受けることを願ってのことだった。
アヴァロンは、ミルクをお腹いっぱい飲んで、揺りかごの中ですやすやと眠っている。
ランサー帝国の平和を象徴するような、安らかな寝顔だった。
レインとクアナは、誕生日パーティーの準備をしていた。今日は、レインとクアナの大切な大切な王子様、シノン公コールの、三十七回目の誕生日だった。
かつての仲間たち、みんなが、コールのために集まってくれると言っている。
「申し訳ないよね、帝都からここまで、遠いのに……」
「大丈夫だよ。ゲートがあるんでしょう?」
レインは小さな腰に手を当てて、どや顔で言った。
「あら、ゲートなんて、そんな言葉、誰に教わったのかしら?」
クアナは不思議そうに首を傾げた。
一番に到着したのは、最近タイタンの部隊に配置換えされ、故郷エンティナスの実家近くに居を構えているギラン・ロクシスだった。
黒いレースのドレスで華やかに着飾った、黒髪の淑女、メラニーをエスコートしている。
「ご、ごめんなさい二人とも……!まだ準備の途中なんだ……」
「お気になさらないで、お義姉さま。私も一緒に手伝いますわ。他ならぬ大好きなコールお兄様のお誕生日ですもの……!」
「おいおい、ちょっと待て。誰がお義姉さまだ……?まだクアナをお義姉さま呼ばわりするのは、早すぎるぞ」
「あらん、相変わらずそんな冷たいことを仰るのね……!まんざらでもないクセに……」
メラニーはクスクスと笑う。
「コールの義弟になるなんて、死んでも御免だ……」
ギラン・ロクシスは青ざめた顔で言っている。
コールの九歳年下の妹メラニーは、相変わらず美人だ。
クアナの二歳年上なので、今年二十八歳になるはずなのだが。
いまだに『大好きなコールお兄様』などとのたまうとは、相変わらずのブラコンっぷりである。
メラニーは数年前、請われて帝都の貴族と結婚したが、時勢の巡り合わせが悪すぎたために『魔王の妹』と罵られ、子どもにも恵まれず、嫁ぎ先で酷い虐待に遭っていたため、離縁して実家に帰ってきていたのだ。
メラニーは本当は、コールの親友である赤髪の青年に密かに憧れていたので、戦いに明け暮れて妻も娶らずにいたギラン・ロクシスと結婚する、と今まさに頑張っているところだ。
「なになに、何を手伝ったらいいって……?今日は美女がいっぱいで、目の保養になるねえ……!」
オーランド・セカールは、相変わらずわざと妻の気分を害するようなことを言いながら、部屋へ入ってきた。
キリエはいつぞやオーランドに買ってもらった思い出のピンクのドレスに久しぶりに袖を通して、普段の彼女とは似ても似つかないほどめかし込んでいる。
「あ!そのドレス……!いつか、街中で見かけた時に着てたやつだよね……似合ってる、すっごく素敵……!」
クアナが歓声を上げる。
「なにせ僕が選んだんだもんね、似合うのは当たり前だよ」
オーランドは偉そうに言った後、余計な一言を付け加える。
「でも、三十路にもなってこの格好って、どう?ちょっと張り切りすぎじゃない……?」
「なっ……、出掛ける前にそのセリフをあなたに言ったのは、私でしょうが……!今朝はあなた、君は顔が淡白でいつまでも老けないから、まだまだいけるよって、言っていたんじゃなかったかしら……!?」
キリエもキリエで、相変わらず本気で怒っている。
「あなた……そんなことばかり言ってると、昔カゼスであなたがしでかしたこと、みなさんにバラすわよ……っ」
「そ、そんな……殺生な……っ!君は、あの一件で僕のキリエへの愛の深さを思い知ったはずだよ……!」
「そうよ……!我が夫の精神の異常さを思い知って、あなたと結婚したことを心底悔やんだわよ、こっちは……!」
相変わらずの喧嘩っプルぶりに、みんな呆れている。
オーランドとキリエの五歳と三歳の二人の子どもたちは、そんな父と母の会話を完全に無視して、レインおねえさんに遊んでもらおうと纏わり付いている。
「ま、間に合いましたかね……っ?」
慌てて駆け込んできたのはフリン・ミラー。
相変わらずみんなの弟分のように、いつまでも童顔で、学生みたいだ。
帝都から一緒にきたリッカがお目付け役のように隣に居る。やはりこの二人が同い年とは到底思えない。リッカはフリンより頭一つ長身で、相変わらずくらくらするような大人の色香を放っている。
「フィリップ様は来なかったの?」
キリエは残念そうに言った。
滅多にお目に掛かれないリッカのご主人に、今日こそは会えると思ったのに。
「いらっしゃるはずがないでしょう?あの内気なお方が。こんな、初対面の人達ばかりが集まる場所に……。わたくしとしても、このような場に部外者を連れてくるのは、水を差すようでさすがに申し訳がありませんわ」
「ナセルさんは……?」
クアナの問い掛けに、フリンは苦笑いする。
「遠慮するそうだよ」
褐色のプレイヤーの役割から降りたナセル女王は、すっかりフリンに恋する乙女になってしまったらしいのだが……。
「それじゃあ、ひとまず、今日のゲストはこれで、全員集合だね!」
クアナは大満足だった。
コールのために、こんなにたくさんの人達が集まってくれるなんて……。
あんなに横暴で、残虐非道な利己主義者なのに、彼の人望たるや、凄まじいものがある。
「エリンがいないじゃない?」
オーランドは不満げに言う。
「声は掛けたんだよ。でも、なんで自分が魔王の誕生日を祝わねばならないかが分からないって、冷たく断られたんだよね……」
エリンワルド・カイルはこのような集まりにはやはり顔を出さないのだった。
「あと、ケンもね……声は、掛けたんだけど……」
彼は、クアナと全世界を救ってくれた張本人なのだから、誰も彼のことを恨んでなどはいないのだが、頑なに首を縦に振ってはくれなかった。
横暴な魔王のせいで、傷付いた人達もたしかに存在するということは、厳然たる事実だった。
それでも、シノンの領民達だけは、巷の人々がどれだけコールを罵ろうと、変わらず彼のことを慕っている。
みんな、なんとなくそれぞれが席に着いて、思い思いにこの十年ほどの間に起こった出来事に、思いを馳せていた。
「ほんとうに、いろんなことがあったよねえ」
オーランドの子どもたちと、レインが楽しげに遊んでいる様子を見ながら、クアナはしみじみと言った。
「僕はいまだに、コールとクアナを結び付けたことを後悔し続けてるんだよね……」
オーランドは冗談とも言えない口調で言った。
「コールはいいとしても、僕は君を、不幸にさせたとしか思えないよ……」
最大の罪人は、あのとんでもない策略家であるランサー皇帝オーギュスト二世だ。
こんなにクアナを苦しめて。
あのお方は、やはりどう考えても、悪人でしかない。
「な、何言ってるんだ、オーランド!断じてそんなことはない……!コールと、結婚しなかった人生なんて、とても考えられないよ。私は皇帝陛下とオーランドに、心から感謝してる。私は、あの人に本当にたくさんの幸せをもらったし、辛くてどうしようもない日々もあったけど、今となっては、全部、得難い大切な宝物だよ……。何より、こんなに可愛い子どもたちを授かったしね……!」
クアナを囲むかつての討伐メンバーたちは、複雑な思いでクアナの言葉を聞いていた。
本人が自ら選んだこととは言え、コールはたくさんの償いきれない罪をその背に負う結果となった。
それが、例えクアナと世界を救うためだったとしても、ある人々に取っては、非情な罪なのだ。
そんな、咎人の妻としての一生を送らねばならないなんて、それを純粋に幸せと呼べるのかは分からない。
「オーランドだって、コールが死んじゃったら、泣きそうになってたじゃない」
クアナが思い出したように、優しい声音で言った。
「オーランド、それはもう、カッコ良かったんだよ……!キリエにも、見せてあげたかったぐらいだよ……!」
クアナは、時折言葉を詰まらせながら、クアナに与えてくれたオーランドの力強い助言を思い出しながら言った。
「さすがは、ランサー帝国最強の軍師だよ。世界を救う一言だった」
「こらこらクアナ、それは言わないお約束でしょう……?」
オーランドは困ったように言う。
なんだかんだ言って結局、やっぱりオーランドもコールのことが大好きなのだ。
ここに居る全員がそうだ。
残虐な魔王のはずなのに、こんなにたくさんの人々の心を魅了してやまない。
その時、サロンの扉が荒々しく開いた。
怒り心頭といった様子の、黒髪の男がつかつかと歩いてくる。
かつて子ども時代は、女の子のように小さな身体だったのだが、今となっては、長身の、立派な青年に成長している。
「くおらーーーーっ!オマエら、オレを呼ばないとはどういうことだーーーー!」
招かれざる客の出現に、一同白けた顔をしていた。
「だれ、こんなやつ呼んだの」
オーランドが冷たい声で言う。
「あなた、コール隊長のパーティーのメンバーではないですわよね?」
リッカもオーランドに同調して言った。
「ひ、ひどい言いようだな、オマエら……っ!オレはコールの一番の親友だぞ……!!」
ニーベルンの第四王子、エリス・ヨハンソンは叫ぶように言った。
「ごめんね、エリス……つい、うっかりしてたよ……」
クアナは心底申し訳なさそうな顔で言った。
「『うっかりしてた』で済まされるか!酷いなあ、クアナ姫まで。信じてたのに……!」
エリスは涙目で言う。
「それで、君はいったい、誰に呼ばれて来たの……?」
オーランドが不思議そうに聞く。
「いいじゃない、別に。コールさんがこの子のことを親友のように思ってたのは間違いないことよ」
オーランドの隣でキリエが肩身が狭そうな声を出す。
キリエも、かつてクアナを酷い目に遭わせたこのクソ生意気な闇術士のことが大嫌いだったのだが、コールが目を掛けていただけのことはあると、少しだけ見直していたのだった。
当時まだたった十二歳だったエリス・ヨハンソンの助言により、コールとクアナが結ばれたと言う事実は、ここに居る者達はおろか、エリス本人すら知らないことである。
「なに、キリエ。まさか君が呼んだの?君が好きなのは『硬派な長男坊』でしょ。こんなガキが好みだったとは意外だね」
オーランドが馬鹿にしたように言う。
「俺はこんな陰気なおばはんには興味ないけどね……」
「今すぐニーベルンヘ帰りなさい、あなた……」
キリエは思わず冷たい声で言い放った。
その後、当初の宣言通り、シノン公夫人クアナは、再び【漆黒のプレイヤー】が、地上に災いをもたらそうとした時に備えて、数千頁にも及ぶ闇術の攻略本を、生涯を掛けて書き続けた。
後世に至るまで、『シノンの闇術書』を超える漆黒の解説書は現れることがなく、多くの写本が作られ、闇術から身を守る基本の術書として、今なお多くの人々に親しまれている。
クアナはこのようにして魔王を見事に討ち倒し、世界に平和をもたらしたのだ。
つまるところ、以上が、彼女が帝国最強の闇術士と結ばれた理由である。




