(3)
そのうちに、キリエ達の元にも、南部の様子が情報として入ってきた。
「クアナ姫が……捕まった!?」
毎夜、暗くなれば、戦いは一時休戦される。
キリエとエリスはフリンとナセルとともに、篝火が赤々と燃える夜営地で、レーションを食しながら、伝え聞こえてきた噂話を聞いていた。
「魔王コールは、クアナ姫とコルネイフの王族達を人質に、コルネイフ城に立て籠っているらしい。南部同盟の総勢七万の兵士たちは、魔王を倒せる唯一の存在クアナ姫の生命を盾取られたというその事実と、闇の魔物の軍勢の恐ろしさに、魔王軍との戦いを諦めて撤退したそうだ」
「オーランドや、ギランやエリンワルドが付いて居ながら、どうしてそんなことが……」
キリエは、あまりの状況に、夫の身を案じた。
「アホらし……アイツらみんな、腰抜けだな。ランサーの皇帝は流石だよ。クアナ姫に、オーランドに、ギラン……?コールを殺せるわけないじゃんか、そんなメンバーに……!」
エリスは小馬鹿にしたように言う。
ちくしょう……アイツら全員、どうしようもない腰抜けだ!
「オレなら確実に殺ってるね。北部のこの惨状を見ろよ……!コールのせいで、何人の人間が死ぬと思ってるんだ?このまま、戦況が長引き続ければ、万単位で人が死ぬぞこれは……!」
エリスは怒っていた。
目の前でまさに今日も、たくさんの人間が虫ケラのようにが死んでいっているのだ。
兄のように慕っていた親友コールの愚行に、心底腹が立つ。
「くそっ……バカキリエ……!泣くなよ……!これが泣いてる場合かよ!」
泣いている場合ではないことも、重々承知だった。
それでも、キリエは目の前の惨状と、不条理な戦いに涙を流さずには居られなかった。
事実はエリスの言う通りだった。
コールは、クアナ姫と二人の子どもたち、たった三つの生命を救うためだけに、無関係な大勢の人間を平気で死に追いやろうしているのだから。
なんという利己主義……!私利私欲のために人民を犠牲にする、『漆黒』の権化のような人……。
それでも、キリエにはコールの気持ちも痛いほど分かるがゆえに、涙が溢れて仕方がなかったのだ。
コール隊長は、クアナ姫を心から愛している。
クアナ姫と、二人の子どもたちを、心の底から愛しているのだ。
「コール隊長を……殺せるわけがないじゃない……あの人達に」
キリエの悔しげな声に、フリンも頷いた。
オーランドも、ギランもエリンワルドも、みんなコールのよき理解者であり、心からその人柄を愛する者達だ。コールがどんなに身勝手で横暴な魔王だったとしても、彼らにコールを倒せるはずがない。
「ナセル陛下……どうか、教えてください。私たちに……戦う以外に方法はないのですか?あなたも、魔王コールと、クアナ姫が深く愛し合っていることはご存じでしょう?コールを、漆黒のプレイヤーから解放する方法はないのですか?」
キリエは、フリンの隣に存在する心優しき褐色の女王に、縋るように問いかけた。
狡猾なプレイヤー達の中でも、唯一この方になら、救いを求めることが出来るような気がしていた。
しかし、ナセルは静かに首を横に振る。
「キリエ、残酷なことだが、コールもクアナも、死ぬまでこのゲームから逃れることは出来ないのだよ。プレイヤーが自らの『アバター』たる人間を選ぶのも、プレイヤーの一方的な意志によるものであるのと同じように、『アバター』から降ろすかどうかを決めるのもまた、プレイヤーの意志だけ。……イグレットが、何らかの理由でコールに見切りを付けない限り、彼がゲームから解放されることはない。それほどに、神々のゲームの『アバターに選ばれる』と言うことは、非常に重いことなのだよ。プレイヤーとアバターとの関係性は、相互の意志に基づく契約関係などではけしてない。一度気に入られてしまったら、死ぬまで逃れることは出来ないのだから……。コールに魔女から逃れられる方法があるとしたら、一つ目は自ら死を選ぶこと、二つ目は魔女が自らアバターを別の人間に交代させること、そして三つ目は、純白のプレイヤーか漆黒のプレイヤーか、いずれかが勝利し、ゲームが終了すること、その三つだけだ」
キリエは呻いた。
「陛下、プレイヤーの『勝利条件』とは、具体的に、何なのですか……?」
キリエは、どうしても決定的な一言を、確認しないでは居られなかった。
「『純白』が『漆黒』に勝利するためには、純白のアバターが『自らの手で』漆黒のアバターを殺害し、本体である漆黒のプレイヤーを倒す。ただ、その一択だけだ」
キリエも、フリンも、エリスも、薄々分かっていたことを、褐色のプレイヤーの口からはっきりと確認し、押し黙った。
「だからこそ、私はなぜよりによってあの二人があれほどまでに愛し合っているのか、不思議で仕方なかったのだよ。人間の王も、なかなか酔狂なことをするものだな、と」
そして、褐色の女王は慈悲深い笑みを浮かべながらその続きを語った。
「ただね、その理由が、この地上へ来て少し分かったよ。……三人とも良くお聞き。過去に、純白と漆黒のゲームが行われた時、地上の惨状は、それはそれは目を覆うものだったよ。悪魔が選ぶのは、たいてい悪魔のような心を持つ人間だもの。敢えてコールをアバターに選んだイグレットの魔女は、過去のどのプレイヤーよりも、『粋な戦い』をしている、としか言いようがない……これほど、神々の目を悦ばせるゲームもないものさ……」
『神々の目を悦ばせる』……?
まるで、人間界で繰り広げられるゲームを、神々が愉しんで観戦してでもいるかのような言い方だ。
キリエは、ナセルの理不尽な言いように、思わず口を挟んでいた。
「そんな言い方はないでしょう、陛下……」
「だが、それが事実なのだよ、キリエ。イグレットがエンティナス・コールを選び、アヴァロンがクアナ・リオンを選び、その二人が結ばれた……この数奇な偶然によって、結果的に人間界は、過去のどんな『魔王討伐ゲーム』よりも、惨禍を免れている。画期的なほどにね……。そして、それでもイグレットがコールを手放さないのは、このゲームがただ『面白い』からだよ。イグレットは自らの勝利すらどうでもいいと思っているらしい。人間には酷なことかも知れないがね、我々の尺度は、面白いか、面白くないか、ただそれだけだからさ」
ナセルは、悲しげに言った。
「ただただ、面白いゲーム……」
キリエは反芻するように呟く。
皇帝陛下も、本当に、どこまでも酷なことをさせるものだ。愛し合う者同士を戦わせるようなことをして……。
皇帝陛下は、なぜ……?
キリエは、そこで、はたと一つの事実に辿り着いた。
二人が結ばれたことは、『数奇な偶然』などではない。
「隊長は、レイン姫が人質に取られたから『魔王』になったんじゃ、ないんだわ……!」
突然弾かれたように大きな声を上げたキリエを、怪訝そうな顔で残りの三人が見詰める。
「だってそうでしょう、コール隊長は、自ら死を選んでゲームを降りることだって出来る。でも、それだけではゲームは終わらない。コール隊長が死んだとしても、漆黒のプレイヤーは、代わりに、新たな魔王を探すだけなのよ。人質に取られたレイン姫を救う救わないと言う以前に、私たちの隊長は、『皇帝陛下の思惑』に乗って、自ら進んで魔王になったのじゃないかしら?」
魔王がエンティナス・コールでなければ、世界はもっと悲惨なことになっていたかもしれない。
神々は、コールが魔王になりきれず苦しむ姿に、逆に充分に面白いゲームだと愉しんでいるのかもしれないが、人類に取って、彼が魔王であることは僥倖だ。
彼は、レイン姫を人質に取られながらも、薄氷を踏むようにギリギリを攻めているのかもしれない。
再三彼は自分のことを頭脳派ではないと言っていたが、充分に賢く、良識ある人物だと言える。
「コール隊長が死んだとしても、漆黒のプレイヤーは、代わりに、新たな魔王を探すだけ。それが彼のように、良識ある『善良な』人間だとは限らない。自ら進んで『魔王としての役割』を演じ続けている彼の行いは、この上なく勇敢だとも言えるわ……」
そして、彼は絶対に、人類最後の希望である純白の聖女を殺さない。
クアナはたしかに、彼女がかつて言った通り、魔王の『足枷』となっていた。
ランサー皇帝オーギュスト二世の、この上なく巧みな戦略の賜物である。
かくなる上は……、純白のプレイヤーの娘であるクアナ姫が、勇気を出して魔王を倒す以外に、解決する方法はないのではないか……?
そうすれば、このくだらないゲームも終わり、人々が無駄に死ぬこともなくなるはずだ。
クアナが漆黒のプレイヤーを倒せば、コールがそうまでして守ろうとした、愛娘のレインを救い出すことも出来る。
そして今、北部にいる自分達に出来ることと言えば……。
「エリス。貴方にお願いがあります」
キリエの覚悟を決めたような言葉に、エリスがぴくりと目を上げて反応する。
「私を、カゼスへ連れて行ってください。せめて、北部の戦争を終わらせましょう。大統領ジェラール・ウルタードと、紺碧のプレイヤーに会いに行きます」
何せ、紺碧のプレイヤー、調停者アルファトスは、このキリエ・セカールに首ったけなのだから。
自分にしか出来ないことだ。
コール隊長が果敢にも漆黒の悪魔に立ち向かっているならば、
怖くてたまらないけど、私は勇気を出して、アルファトスと対決する。




