(2)
ランサー皇帝は、北部戦線にエリスが来た時のことを考え、前線にアークライト・リッカを待機させていた。魔物対策には炎と相場が決まっている。
エリスの隣にリッカの親友であるキリエが居たのは、ただの偶然だった。
「キリエ、わたくしは本気ですわよ。貴女達があくまで、ワイバーンの飛行の力で南部へ向かうと言うならば、わたくしは雷でその可愛いワイバーンを戦闘不能にさせるまで……!」
「フッ……俺だって本気だ。アークライト・リッカ。俺はキリエほど甘くはないし、リッカは親友でもなんでもないからな……!ティエムに雷を落とすってんなら、それより前に闇のブレスに焼かれることになるよ……!」
キリエは舌打ちした。全く、漆黒の呪力の持ち主はどいつもこいつも……!
「皇帝陛下が、自ら選んだはずの、魔王討伐パーティーと、皇帝陛下の軍隊が、なぜ戦うハメなるの?意味が分からないでしょう……!」
真面目のキリエは、ひたすらずっと怒り続けていた。
プレイヤー同士の代理戦争を大いに利用して、西大陸を統一しようと言う壮大な考えの元動いているランサー皇帝にとって、やはりキリエやリッカ、そしてエリスも、ただのコマの一つにしか過ぎないのだ。
ランサーの皇帝は、昔から、そういった『私情』のようなものと、大勢の目的達成のための手段を、切り離して考えられる人間だった。
時にそれは、歯車の一つ一つである個々人にとっては、どこまでも残酷な結果をもたらす。オーランドにコールを殺させようとしたこともしかり、クアナを姉王から奪い取ったこともしかり、である。
「エリス……っ!」
キリエは傍らの十九歳の闇術士に怒鳴るように言った。
「戦う必要などないわ……っ!私は、誰に何と言われようとも、意地でもこの人達とは戦わない……!」
キリエは怒りの表情で敵対する術士の目の前へ進み出る。
漆黒のプレイヤー、紺碧のプレイヤー、そしてランサーの皇帝……あらゆる不条理に対し、割りきることのできない怒りを燃やし続けるキリエだった。
「“魂の捕縛“」
キリエは、今や帝国軍でも最高峰の水術士の一人と言えた。
かつての、自分を落ちこぼれだと言い続けていた頃の彼女の面影は今となってはどこにも無かった。
彼女の怒りに満ちた紺碧の呪力が、闇の帝国の焔術士であるアークライト・リッカへ纏わり付く。
『魂の捕縛』とは、術士の、呪力を消費するあらゆる行動を禁止する、水術の中でも最も直球で、最も高等な妨害術と言えた。
「なかなか、ド直球の術を使いますね、キリエさん……」
突如現れた人影。長い黒髪を風になびかせ、キリエによく似た面差し……もう一人、皇帝がエリスを足留めするたに配置された術士が存在した。
「“反対呪文“」
カイル家の最高傑作と言える、エリンワルドの長男、アーサーだった。
同じくカイル家出身のキリエの水術に敵うのは、エリンワルドを除けば、アーサーだけと言えるかもしれない。
アーサーはまだこの時十七歳。
学院卒業前にも関わらず、その大人顔負けの天才ぶりから、今回の戦争の前線に引っ張り出されていた。
「甘いわね、アーサー。たしかに、反対呪文は妨害術に対する一番の打ち消し呪文だけど、知っている……?紺碧の妨害呪文と、それに対する紺碧の打ち消し呪文……紺碧の呪力同士がかち合った時には……呪文の威力の強い方が勝つのよ……!」
キリエの言う通り、反対呪文は効果を発しておらず、リッカはキリエに捕縛されていた。
キリエ自身はこの時まだ気付いていなかったが、キリエにはすでに、紺碧の王たるスフィンクスの調停者アルファトスの呪力が付与されていた。
いかに天才アーサー・カイルであろうとも、今のキリエに敵う訳がなかったのである。
「アーサー。止めよう。キリエがここまでしているんだ。たしかに僕らが戦うことに、大して意味はないだろう。南部行きは諦める。……あっちには、クアナやオーランド達、『魔王討伐パーティー』が居るんだ。簡単には、やられないだろうよ」
エリスは肩を竦めて、かつて、一年間の期間限定で同期生だったアーサーと、期間限定で同じパーティーのメンバーだったリッカに言った。
リッカは溜め息を付く。
「キリエ。わたくしも、もちろん貴女達を傷付けるのは忍びありませんわ……。もし、貴女達がここに留まると言うならば、わたくしももうこれ以上、貴女達とは戦いません」




