(5)
フリンとナセルは、シノン城へ辿り着き、その異様な光景に圧倒されていた。
シノン城は眠りに就いている──領民達が口を揃えて訴える言葉の意味が、実際に目にするまでは、よく分からなかった。
何かの比喩なのか?……そう思いながら、フリンはいつか、仲間達とともに訪れたことのある、懐かしいシノン城へと赴いた。
頑強な要塞のような印象のエンティナス城とは対照的に、シノンの山中に築かれたコールの居城は、青灰色の切妻屋根の居室と、高い尖塔をいくつも持つ、瀟洒な城だった。
城に近付くにつれ、その異様な雰囲気に気付く。
城門は固く閉ざされ、生有る者の動く気配が城の内外に、全く無かった。まさに、微睡みの中にあるように、城は沈黙していた。
城に入ることはままならないのかと思いきや、巨大な城門の隣にある、小さな通用口は、鍵も掛かっておらず、簡単に入り込むことが可能だった。
城内に足を踏み入れると、門番の衛士が数人、手に持った槍にすがって眠りこけていた。
「魔女の呪いだ」
ナセルは驚くこともなく淡々と呟いた。
城内の管理をするメイドも、掃除婦も、官吏も、ある瞬間そこにいた者達全員が残らずそのままの姿で眠りに就いていた。
フリンは城内の構図をあらかた覚えていたので、恐らく城主が居るとすればそこではないか、と思いながら、玉座の間へ向かった。
フリンは、そこにコールに居てもらいたいような、居てもらいたくないような、矛盾した期待を持ちながら、玉座の間に足を踏み入れた。
フリンは、魔王討伐パーティーの、他のどのメンバーよりも早く、単身、魔王の元へと乗り込んだのだった。
「久しぶりだな、フリン。そして、褐色のプレイヤー。単身乗り込んで来るとはなかなか勇敢なことだな、お前ら……」
果たしてそこで、巷では愛する妻子と引き換えに悪魔に魂を売ったと噂される、シノン公コールが二人を待っていた。
片肘を突き、首を傾けてこちらを睨み据えるように見ながらコールは、心底可笑しいと言うように、声を上げて笑っていた。
タガが外れてしまったとでも言うかのように。
「お前ら、俺を嘲笑いに来たのか?……さすがは『褐色』だな。かわいそうな魔王に同情してくれていると言うわけか」
フリンは震え上がった。
コールは笑っていたが、フリンには分かった。
こんな風に闇色の呪力を全身に纏わせている時のこの人は、物凄く怒っている時だ。
「よほど可笑しかったことだろうな。俺達が地底世界を訪れた時、そんなこととは露知らず、漆黒のプレイヤーにいいように踊らされている、愚かな闇術士と、その手を握る聖術士の姿を見た時には……」
狂ったように自嘲しているコールとは対照的に、ナセルは落ち着き払った声で答えた。
「コールよ。我々はそなたの味方だ。残念なことに、我々『褐色』は闇の眷族だからな。我はあの卑劣な魔女は大嫌いだが、卑劣な魔女も一つだけ誉められたことをしたと思うのは、そなたを『漆黒のアバター』に選んだことだ。なかなか、『粋』なことをするではないか」
ナセルは、悲しげに言った。
「コールよ、痛ましいことだが、彼女に選ばれた以上、そなたは死ぬまでこのゲームから降りることはできない。……ただ、ゲームをいかなるものにするかは、そなたの自由。そなたの行動次第だ」
コールはますます笑って言う。
「随分な話だな。これのどこが『自由』だと……?娘を人質に取られていると言うのに?」
「相手は悪魔だからな。魔女の狡猾な遣り口さ。とことんゲームを面白くする術を心得ている」
「隊長。僕は、何があろうとも、あなたの味方です。僕は、『褐色のアバター』ですから。他の誰が、あなたを見限ろうとも、僕はいつまでも、あなたに仕えます」
フリンは、震えそうになる声を励まして言った。
フリンは、自分が『褐色』であることに感謝した。紺碧や翠緑や純白のアバターであれば、自分はこの人と闘わねばならないところだった。
ところがコールは、そんなフリンを冷たく突き放すように、高圧的に言うのだった。
「フリン、お前まで俺に同情するのか?……憐れんでいるんだろう?可哀想で孤独な魔王の元には、自分が居て、支えてあげなければならないとでも、思っているわけか?」
フリンは図星を指された思いだった。
たしかにフリンは今、まさにそう思っていた。
孤独な魔王の傍に、誰か彼を支えてあげる人間がいなくては……と。
「褐色のプレイヤーよ。『褐色』は、闇の眷族だと言ったな。それならば、『俺』の命令には絶対的に服従する必要があるのだろう?フリン・ミラー、お前はこんなところで油を売っている場合などではないぞ。お前の力は『回復呪文』だろう?これから戦争が始まるぞ。俺はお前に命じる。帝都へ帰れ。そこで己のなすべきことをしろ……!」
フリンは叱られた子どものようにびくりと身体を震わせた。
フリンには分かった。
この人は、悪魔に魂を売り、正気を失った魔王などではない。
フリンは心の底から、この人の傍を離れたくないと思っていたのだが、コールは『魔王』を演じ、敢えて威圧的な態度を取ることで、回復呪文を、悪魔のためにではなく、人民のために使えと命じているのだ。
仰せのままに、と言わずには居られなかった。
この人は『漆黒の王』なのだ。
『闇の眷族』である自分には、絶対に、この人の命じることには逆らえない。




