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彼女が帝国最強の闇術士と結ばれた理由  作者: 滝川朗
第4部(下)───第一章:災厄の魔女イグレット
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(3)

「陛下、人間の男が、間もなく城へやってきます」

 その頃、地底世界では、ミングルの女王ナセルが侍従達の報告に耳を傾けていた。

「そうか……ついに始まるか……」

 ナセルは、ほんの少し胸がときめいているのを感じた。地底世界での生活は、本当に、味気なく詰まらない毎日だった。

 約六年前にほんの一時相見(あいまみ)えた人間達は、そんなナセルの日々に、この上ない彩りを与えてくれる者たちだった。彼らがいつか、再びここへ来てくれる。その事実だけで、ナセルのこの六年は生き生きと潤いあるものとなっていた。

「六年など……永い永い我々ミングルの時間からすれば、昨日のことのようだ」

 ナセルは、褐色の呪力の、人間の成人男性にしては少し小柄な、少年のような童顔の男のことを思い出していた。地上の、明るい日差しの中、我々からすれば一瞬のように短い限られた生を生きる人間達は、みな美しく、好ましい。


 そして、ナセルは目の前に現れたフリン・ミラーの姿を見て軽い衝撃を受けた。

 六年とは、人間にとってはこれほどに変容をもたらす時間であるのか。

 あどけない少年のようだった褐色の術士は、落ち着いた青年になっていた。

「お久しぶりです、陛下……」

 フリンは玉座に相対して(ひざまず)く。

「久しぶりだな、フリン・ミラー。六年と言う歳月は、人間に成長を促すのに、充分な時間なのだな……。ますます惚れ直したぞ、人間の術士よ」

 女王は優雅に微笑みながら、フリンに言った。

「約束だったな、フリン・ミラー。私はそなたに、『褐色の王』の力を与えよう」

 女王の周囲に侍る臣下たちがミングル語で口々に言った。

「陛下、地上へおゆきください」

「数年であれば、陛下が不在でも、我々で王国を守れます」

 ナセルは驚いた。変化を好まぬこの者達が、まさかそんなことを言い始めるなんて。

 彼女の優秀な部下たちは、自分たちの王が、恋する乙女のように地上世界に()がれていることにとっくに気が付いていたのだった。

 ナセルはしばし考えた。自分が……地上へ……?

 この、曇りのない眼差しを持つ青年とともに……?

「あい分かった。行こう。私も、ともに地上へ」

 フリンは目を見開いて驚いていた。

「地上へ、行かれるのですか?貴女が……」

「私が一緒ではいやか?」

「とんでもない。私は元より、貴女に身も心も捧げた身です」

 ナセルは再び微笑んだ。

「フリン、私はそのようなつもりで言ったのではないよ。『身も心も捧げる』とは、言葉の(あや)だと言ったろう。見返りは必要ないのだ。契約関係などではないのだから。我々プレイヤーは、ただ、一人を選ぶだけ。一方的に。我々はただ、たった一人にしか力を与えられない。それだけのことなのだ」

 その割に、女王は楽しそうにドレスの(すそ)(ひるがえ)しながら玉座から降りてくると、フリンの(かたわら)に身を屈めてその手を取った。

「ともに行こうではないか。戦乱の地上世界へ……!」


 こうしてフリンは、ようやく故郷に帰ることが出来る身分になったのだった。

 フリンの故郷ウルスラッドは、死者の洞窟からほど近い場所にあった。実に、六年ぶりの帰郷である。

 母さんも、イヴも、カンカンに怒っているだろうな……。

 しかも、なぜかフリンは人外の女王を連れている。

 ナセルは地上に来ると、小柄な女性に擬態(ぎたい)した。人間のふりをするために姿かたちを変えることが出来るらしい。

 瞳の色と髪は相変わらず白く、耳が少し尖っているが、肌は人間らしい血色を持ち、少しつり目の可愛らしい女性だった。

 この人はいったいどんなつもりで自分についてきたんだろう。フリンは想定外のことに、すっかり調子を狂わされていた。

 ウルスラッドも例に漏れず、闇の魔物の襲来を受けていた。

 フリンは地術と炎を使いながら、女王を守ってウルスラッドの町へと向かった。

「地上世界は、まこと美しいな……っ」

 季節は、九月。

 秋の始まりの東部の平原、太陽の光を浴びて(ひるがえ)る草花すら美しいと……ナセルは目にするもの全てにいちいち歓喜の声を上げていた。

 その姿は無邪気な少女のようで、地底にいた時の、威厳ある女王の姿とのギャップがすごかった。

 まるで、海から上がって、自らの足で歩き始めた人魚姫のようだ。

「動物はいないのか……?ウサギやキツネや小鹿に会いたいぞ……!」

「さあねえ、魔獣ならうじゃうじゃいますから、みんな、喰い尽くされてしまっていないことを願うばかりですが……」

 フリンは、殺伐(さつばつ)とした東部を旅してきてはじめて、この可愛らしい女王のお陰で不思議と心を和ませられているのだった。

 こんな調子じゃあ、町に着いたらいったい、どんな反応を示すことやら……。

 辿り着いた故郷ウルスラッドの町は、思ったよりも状況が悪化していた。

 本来はたくさんの人が往来していたはずの町並みは、疫病によりロックダウンされた町のように、人っ子一人見当たらなかった。

「人が居ないな……」

 ナセルが寂しそうな声で言う。

「ええ……。闇の軍勢のせいで、東部の町はみな一様にこの状況です」

「漆黒の魔女の力だな……まったく、忌々(いまいま)しい」

 ナセルは怒っている。

 意外なことだった。褐色は、漆黒の眷族ではないのか……?


 フリンは取りあえず実家の扉を叩いた。

 返事がない。

 母はいるはずだ。家の周りは綺麗に掃除されているし、人の暮らしている気配がある。

「母さん……?居ないの?僕だよ……!」

 フリンは再び扉を叩く。

 しばらくして、扉を開き、見慣れた母親が、恐る恐ると言う様子で姿を表した。

「ヴァンパイアがね、人の振りをして戸を叩くことがあるそうなのよ……ごめんね、フリン」

 母は、上から下までフリンをためつすがめつして言った。

「六年ぶりだわね……まったく、相変わらず酷い息子だわ。手紙一つ寄越さないなんて……」

 言葉とは裏腹に、母は心底嬉しそうだった。

 母にハグを求められ、フリンは頭一つ小さな母をぎゅっと抱き締めた。

「ごめんなさい……母さん……」

 言い訳は何も出来なかった。

 イヴとの約束が怖くて足を向けられなかったなんて、とても言えない。

 母は不思議そうな顔で、フリンの後ろで二人の様子を静かに見ている小柄な女性を見た。

 フリンは慌てて紹介する。

「陛下、私の母です。母さん、この方は、地底世界に住む小人族ミングルの女王ナセル陛下です」

 母は怪訝(けげん)そうな顔でナセルを見る。

 東部が被害を受けているのは、地底世界への大穴が開いているせいなのだから、母がその女王の出現に驚くのも当たり前だ。

「言い訳をするようで申し訳ないが、闇の眷族が暴れているのは、私にはどうにもできないことなのだ……。褐色はあくまで、漆黒よりも下位の力であるから……私には、悪魔の手先たちを従える力はない」

 ナセルは悲しそうだった。

「私が地上に来た理由は、乱れた地上を元通りに平定する一助(いちじょ)になればと思ったからだ。それだけは分かってほしい」

「僕も同じ思いです、陛下……」

 思わずフリンは口を挟んでいた。


「あなたが崇拝していたシノン公コールは、皆に酷い言い草で(ののし)られているわ……」

 母は二人を食卓に導き、お茶の準備をしながら話し始めた。

「心優しきシノン公夫人と、小さな娘を生け贄に捧げて、悪魔と取引をしたと。……彼は、帝国全土……いや、ひいては西大陸全土を手中に納めるために、悪魔と取引をしたと言われているわ」

 フリンは怒りを通り越して笑っていた。

「そんな訳がないでしょう。小説の筋書きじゃあるまいし。あの人がそんなことを(くわだ)てるわけがない」

「それじゃあ、いったい、シノン公は何を考えていると言うの……?皇帝陛下に反旗を(ひるがえ)し、エンティナスを手中に入れ、いま、この時も、着々と領土を広げているわ……」

 母は戸惑った声で事実を告げる。

 それが分からない。何をどうしたら、シノンの民が飢えぬよう、自らの身を削ってまで地道に領地の経営をしていたコールが、こんなことを始めると言うのだろう。

「フリン。私が昔そなたに言った言葉を覚えているか……?」

 フリンは(うなず)いた。

 ナセルは六年前、地底世界でフリンと別れる際に、「漆黒の王たるコールの傍を離れるな」と言っていた。フリンはもちろん、その言葉を片時も忘れたことはない。

「僕は、何があってもあの人の味方ですよ」

「よろしい。では、シノンへ向かおう。会いに行くぞ、そなたの崇拝する、エンティナス・コールに」

 ナセルは微笑んできっぱりと言った。

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