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彼女が帝国最強の闇術士と結ばれた理由  作者: 滝川朗
第4部(下)───プロローグ:闇の魔物の氾濫
136/165

(1)

 少女は、三歳年下の妹の手を引いて走っていた。

「待って、待ってよおねえちゃん、もう、走れないよ……」

「だからあなたは家で待っていなさいと言ったのに……!日が暮れるまでに町へ帰らなきゃ、大変なことになるのよ……っ!」

 やっぱり、妹を連れてくるんじゃなかった。

 二人が家を出たのは朝食後すぐだった。まさか、日暮れまでに帰れないなんて思いもしなかったのだ。

 父は、術が使えるということで、数週間前にワイバーンの軍隊に呼ばれたきり帰って来ない。少しでも、呪力がある人間は、残らず徴集(ちょうしゅう)されているのだ。

 父不在の今、家族を守れるのは、長女である自分しかいない。

 母は肺に持病があり、薬が無ければ生きていけない身体だった。いつも薬を出してもらうのは、片道徒歩で一時間ほどの隣町にある診療所の医師だった。

 通常であれば、医師が往診に来た際に出してもらうか、父がもらいに行ってくれるか、いずれにしても大して難しい話ではなかった。

 ところが、今、東部は大混乱の最中にあった。

 ようやく辿り着いた診療所は、怪我人で溢れており、肺病の薬一つ出してもらうのに、一日中待たされ続けたのだ。

 町を出る頃には、夕方になっていた。

 診療所の看護師は、今からコナーブルクの町へ戻るのは危険だと少女たちに忠告した。

「分かっているの?日が暮れて、暗くなれば、街道には人喰い鬼(オーガ)が出るのよ!」

 そんなことは、重々承知だった。少女の知り合いも、何人も魔物の餌食になっていたのだから。

 だが、少女は薬を待つ母のために、どうしても今日中に家へ帰らねばならなかった。

「おねえちゃん、どうしてなの……っ。どうして、人喰鬼なんかが出るようになったの……?どうして、お父さんは帰ってこないの?」

 妹のメイは、べそをかきながら、姉をなじるように言う。

「そんなこと……」

 十二歳になる姉ローラにも、まったく分からないことだった。つい数ヶ月前まで、ランサー帝国は、平和そのものだったというのに。

 たった数ヶ月で、世界はがらりと変わってしまった。

 結界で守られていたはずの街道に、突然魔物が現れるようになり、次々と人が襲われた。

 帝国軍の術士が派遣されたが、結界はもはや、機能しなくなっており、軍人の数は全く足りていなかった。

 闇の魔物の氾濫(はんらん)は、北部シノンからエンティナス、東部ヴィンランド領に至るまで、広範囲で同時に発生したのだ。

「闇の力が強まっているのだと父さんは言ってた……。東部には、地底世界への大穴があるせいで、もともと闇の力が強い地域なんだって」

 帝国内で無事なのは、帝都のある南部と、大穴のある東部から、もっとも遠い西部地方だけだった。

「お、おねえちゃん……っ!魔物が……っ」

 妹が悲鳴をあげた。

 コナーブルクの町への街道を、中程まで来た頃だった。

 ローラは震え上がった。

 赤銅色の筋骨隆々とした肌、人間の身の丈の倍半分もあろうかという巨体に、腰当てだけを付けた醜悪な(オーガ)が、ギザギザの牙を剥き出しにしてこちらを見ていた。

「どうして……。まだ、日暮れ前なのに」

 二人は身を寄せあった。

 人喰鬼は、美味しそうな獲物を見つけた、とでも言うように、舌嘗(したな)めずりしてニタニタ笑っているようにも見える。

 手にした(なた)のようなものを振り上げて、二人の少女の元にゆっくりと迫ってくる。

 こんなことなら、素直に看護師の言葉に従って、家に帰るのは明日にするべきだった。

 ローラは後悔したが、今さらもう遅い。

「メイ、逃げるよ……っ!」

 ローラは妹の手を引き、全力で走り始めた。

「キシシシシシ……」

 オーガは凶悪な笑い声を上げながら、二人を追い掛けてくる。簡単に捕まえられるはずなのに、二人を恐怖に陥れるのを楽しむかのように、わざと走らせているのだ。

 すぐに息が上がる。

 ローラは必死だった。

 以前であれば、たくさんの人が往来していたはずの街道に、人っ子一人見当たらない。助けを求められる大人は誰も居なかった。

 コナーブルグの町まで辿り着けば、何とかなるかもしれない。

「おねえちゃん……っ」

 メイが転倒した。

「メイ……っ」

 必死に起き上がらせようとするローラだったが、恐怖と疲労に足が竦んだように、立ち上がることが出来ない。

 ローラは思わず目を(つむ)った。へたりこんだ姉妹に、オーガは嬉々として襲い掛かり、振り上げた鉈を叩き下ろそうとする。

「キャーーーー……っ!!」

 妹の甲高い悲鳴が上がる。

 神様……!!

 その時だった。

「〃空五倍子色(うつぶしいろ)の壁〃」

 ローラの目の前に、巨大な壁が現れ、オーガの攻撃を受け止めた。

「あ、貴方は……」

 二人の少女を守ったのは、旅人風の外套(がいとう)(まと)った一人の男性だった。

 男はそれには答えず、

「〃焼夷(しょうい)〃」

 もう一つスペルを口にすると、

 男の右手から激しい炎が渦となって吹き出し、あっと言う間に(オーガ)の巨体を焼き付くしてしまった。

「あっ……ありがとうございます……っ!」

 ローラは目尻に涙を浮かべながら、顔も名も知らない行きずりの男性に礼を述べた。

「怪我はない……?」

 ローラは、優しく声を掛けてくれたその人の面差しを見てときめいた。

 落ち着いた焦げ茶の髪に、同じ色の瞳。童顔なので、十代の学生のようにも見えなくはないが、落ち着いた物腰と口調からして、もう少し年齢は上だろう。二十代半ば、と言ったところだろうか。

「はい……っおかげさまで……!メイ、あなたもお礼をいいなさい」

 妹も、泣きじゃくりながらお辞儀をする。

「ありがとうございます……っ」

「災難だったね……。君たちは、この先の町へ向かっているの?」

 ローラは頷いた。

「日が暮れるまでに、うちへ帰らなければならないんです」

「僕が、送ろう。街道の結界は、やはり用をなしていないんだね……。こんな時間帯にオーガが出るなんて」

「違う地方から来られたんですか……?東部では、今や当たり前のことです。日が暮れたら、家の外を出歩くこともできません」

 送ってもらうなんて、申し訳ないです、と断ろうとしたが、彼は自分の目的地も同じ方向だから、と言って、二人の護衛を買って出てくれた。

「私はローラ・ウッドと言います。こちらは、妹のメアリーです。あなたは、術士なんですね。それも……そのへんの術士とは違うみたい……。私の父も、多少呪力があるので、軍隊に臨時徴集されているのですが、あなたの術は、全然レベルが違います」

 ローラは親切な旅人に自己紹介をして、先ほどの彼の見事な術への素直な感想を口にした。

「僕は、帝国軍の地術士です。フリン・ミラーと言います。いまは、訳あって軍隊を離れているんだけどね」

「帝国軍……どおりで……」

 ランサー帝国軍の術士と言えば、この国の術士の頂点にいる方たちだ。国民を守る(かなめ)だ。


「お母さん!ただいま……っ」

 母は心配して、玄関の前でうろうろしながら、二人の娘達を待っていた。

「ああ、ローラ、メイ……っ心配したのよ!全然帰って来ないのだから……」

「ごめんなさい。診療所が混んでいて、やっと薬をもらったところだったの」

 ローラは母の抱擁(ほうよう)を受けながら説明した。

「彼、術士のフリンさんが、私たちを守ってくださったんです。偶然、街道でお会いして。まだ夕方なのに、オーガに襲われたところを、助けてくださって……」

「まあ……それはそれは、ありがとうございます」

 母は驚いて二人の背後に立つ青年を見つめた。

「フリン・ミラーと言います。お母様思いの、優しい娘さん達ですね」

 フリンは微笑して言った。

「フリンさん。今日は、うちに泊まっていってください。お母さん、構わないでしょう?お礼をしなくちゃ……。夜が更けたら、町の中であっても、安全ではないんです」

 その場を辞そうとしたフリンに、ローラは慌てて言った。

「よろしければぜひ。大したお構いもできませんが……」

 母も重ねて言う。

「分かりました。僕も、ちょうど今夜の宿を探さないとと思っていたところなので……」

 姉妹は歓声を挙げた。

 二人とも、いまやこの物腰柔らかな青年をすっかり気に入ってしまっていた。


「たった、一月ですよ……。たった一月で、全てが変わってしまったんです」

 フリンは、東部に来てから、繰り返し耳にしてきた話を、ここでも聞かされることになった。

「すべてのきっかけは、シノン公が、帝国に反旗を(ひるがえ)した日からです」

 食事を(きょう)しながら、母親は愚痴(ぐち)るように言った。

「皇帝陛下も、なんであんな恐ろしい男を、シノン公なんかに()えたのか……お陰で私たちの生活は無茶苦茶ですよ。ヴィンランド中の術士という術士が、集められて戦場に送られている。……それでも、到底敵いやしないのです。『魔王』が操る闇の軍勢にはね……」

 耳を塞ぎたかった。

 東部ヴィンランド領の人々は、口々にシノン公コールへの怨嗟(えんさ)の言葉を吐いている。

 到底信じられないようなことだが、すべては真実なのだ。

「あの、一つだけ教えていただきたいのですが、シノン公には夫人と一人娘がいたはずなのです。二人はいま、どうしているのですか……?」

 フリンはここでもその疑問を投げ掛けた。

 恐ろしいシノン公の話は嫌と言うほど耳にするが、シノン公夫人とレイン姫の所在が分かっていない。

 ところが案の定、ローラの母親も同じように首を横に振る。

「分からないのです。二人は悪魔と取り引きをするための生け贄にされたと聞いています」

 フリンは渋い顔をした。

 いつぞや、地底の女王が言った言葉が耳に甦る。

『ひとつだけ、私からそなたに願いたいことがあるとするならば、…… どうかそなたは、『漆黒の王』の傍を離れないでほしい。その男の傍には、そなたのような人物が必要だ』

 フリンは、コールの傍を離れるなと言われていたのに、もう五年近く、コールに会っていなかった。

 コールとクアナ姫は、幸せそのもののようだったようだし、二人は領地の経営と、子育てに忙しくしていた。

 リッカは結婚して帝国軍を引退し、エリスはとっくに自国へ帰っていたし、キリエも、それから、とうとうエレンブルグ家の嫁になったアリシアも、それぞれ育児のために職を離れ、コカトリス第三小隊は、隊長のオーランド・セカールと、副隊長を命じられたフリンをのぞいて、みんなバラバラになっていた。

 かつて、同じ釜の飯を食べていた仲間達は、みんなそれぞれ、少しずつ疎遠(そえん)になってしまっていたのだ。

 それでも、何かあればお互いすぐに駆け付けるつもりでいたし、かつてのコール隊長の仲間達は、みな、離れていても心のどこかでは繋がっているつもりだった。

「急がなければ……」

 フリンはさらに東、地底世界への洞穴を目指していた。

『お前は必ず、私の力を求める時がくる』

『十年後……いや、もう少し早いかもしれない』

 数年前、地底の女王が予言したことが、現実になってしまったのだった。



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