(2)
怖すぎる……。
コールからは邪悪なオーラが溢れ出ていた。
何かろくでもないことを思い付いたに違いない。
さっきまで天使のように無防備な姿をさらしていたと言うのに、この変貌ぶりはなんなんだ。
エリンワルドはクアナの叫びを無視してさっさと結界の解除を始めている。
魔に対する結界を張るのは聖術士にしかできないことだが、一度張られた結界の打ち消しや一時的な解除ならば、水術士の得意とするところだ。こればかりは闇術士のコールにはできないことだった。
「器用だな、任意の範囲の解除とは。ついでに、目眩ましの結界も作ってくれるか?」
エリンワルドはそんなことは織り込み済みだとでも言うように、水術による目眩ましの壁を作った。
「〝幻影の壁〟」
円形に非透過の壁が立ち上がる。
「なになに、いったい何が始まるの?」
オーランド達が興味深々で集まってきた。
「お前らは真面目にギラン様のご指導を受けてろ。俺はこの泣き虫を鍛え直してくるから」
「結界の解除だと……?まさか、こんなところで召喚術を使う気か?上層部にバレたら大変なことになるぞ」
オーランド達を指導していたギランも駆け付けて言った。
「そのための『壁』だろ」
「えー、僕も見たいな、『邪悪な魔術士に虐められるお姫様』の姿」
オーランドは相変わらずの軽口を叩き、
「『聖女様に討伐される暗黒魔術士』の姿だろ」
ケンが混ぜ返す。
「離れてた方がよさそうですね。巻き込まれたら、命がいくつあっても足りませんよ……」
フリンは本気で怖がっている様子。
誰も、虐められるお姫様の心配はしてくれないのか?
誰かこの人たちを止めてください……。
わずかな願いもむなしく、クアナは恐ろしい黒魔術士とともに幻影の壁に閉じ込められた。
「す、すごいな、エリンワルドの水術は。高度な術をいとも簡単にやってみせる」
クアナは時間稼ぎの喋りを試みてみることにした。
「ああ。腕のいい術士だよ。聖術士がいない穴をうまく埋めてくれていた。……本来、聖術、水術はそれぞれ闇術、焔術への対抗術だ。術士同士の戦いの場合、基本的には、術の打ち消し合いになる。攻撃系の術である闇術に対抗する防御の聖術、同じく攻撃系の術である焔術に対する防御の水術、風術に対する地術……と言うように」
コールは喋りながら、跪いて足元に手をかざした。
「〝深淵からの召喚〟」
クアナは全身が粟立つように感じた。
エリンワルドも言っていたように、これはもう聖術士の本能としか言いようがない。
『邪悪』なるものを探知すると、身体が勝手に臨戦態勢になってしまうのだ。
闇色をしたインプ達がコールの足元から出現する。クエストで何度も目にした姿と寸分違わない姿。
怖い……。姿は醜悪。
でも、自分には充分対処できる相手だ。
「〝雪色の刃〟」
呪力の量か……。
クアナは数ある手持ちの技から、軽めの術を選んだ。
確かに、実戦経験の乏しいクアナには、どの級の魔物に、どの程度の術で対抗すべきかというさじ加減がまだよく分からない。
こればかりは、実戦の中で試行錯誤していくしかないだろう。
インプ達は順調に消されていった、
やることは、先ほどまでのエリンワルドとの攻防と同じだった。術の打ち消し合い。
ただ、相手は本物の悪魔なので、攻撃されれば命を削られる。
インプの次は、グール。人の形をしているが、肌は爛れて闇色。眼窩は落ち窪んで底無しの闇のよう。手足は溶けて、闇が雫となって垂れ落ちるかのようだった。
そんな醜悪な魔物達が、二体、三体と次々に現れては、クアナに迫ってくる。
怖がるなと言われても、怖いものは怖いんだ。
こんな、見るもおぞましい者達を平気で使役するなんて、やっぱりどう考えてもこの人はイカれてるとしか思えない。
「こ、こないで……っ」
クアナは思わず後ずさりながら、
「〝鉛白の刃〟」
雪色の刃の上位互換だ――必死に術を放ち、グール達を蹴散らした。
しかし、次の瞬間、背後に邪悪な気配を感じた。
「死神っ……いつの間に……」
今度はスプリット系の高位の魔物……コールの足元から現れる者だけに注意を払っていたから気付かなかったが、スプリット系は、姿を眩ますことができる。
いつの間にか背後に回られていたらしい。
とっさに身構えて次の術を放とうとしたが、一歩間に合わずに巨大な死神の鎌が、クアナの右肩を掠めた。
「……っ痛……!」
クアナは右肩を抑えて倒れこんだ。
クアナにとって、生まれて初めての痛みだった。
部隊に配属されてから今日まで、何度かのクエストを経験したが、敵からの攻撃を受けたことは一度もなかったからだ。
スピリット系の魔物の攻撃には、物理的な怪我を負わせる力はないが、魂を削られるような苦しみは、肉体を切られる痛みと大差ない。
この人、本気だ……。
これは……、呪力コントロールの演習どころではない。普段のクエストとはレベルが違う。
普段のクエストで、これほどの魔物の猛襲を受けることなどありはしない。
「〝不言色の波動〟」
クアナは痛みをこらえ、とっさに思い付く高位の浄化呪文を使った。
死神の鎌は消えたが、本体はまだ生きている。
もう一度……。
クアナは術を畳み掛けようとして右手を掲げたが、すぐ傍にコールの姿が迫っているのに気付いた。
「な……っ」
倒れこんだクアナの上に覆い被さるように、邪悪な影が広がる。
クアナは恐怖を感じた。
「聖術は闇術の唯一の対抗手段。――つまり、闇術士にとって、聖術士は天敵だ。闇術士は聖術士の攻略法を常に検討する必要がある」
「ち、ちょっと待って……」
「〝思考奪取〟」
クアナは一瞬、脳内が空白になったように感じた。これは、
精神攻撃……!
闇術が最も恐れられ、退けられてきた理由。ダメだ。精神攻撃への対抗をすべきか、死神を消滅させるのが先か……
「〝絶対防御〟」
クアナが取ったのはその両方を退ける術だった。一つの発生源からのありとあらゆる術の効果を無効化する術だ。
聖術における防御術の最高峰とも言える。
クアナも、存在は知っていたが、もちろん使ったことなどない。術士と闘ったことなどあるわけがないからだ。
凄まじい光を放ち、すべての闇の力が祓われた。クアナの全力だった。
クアナは全力で闇術を防御したのに、コールにはまだ余裕がある。
これが本当の戦いであれば、クアナはこの時点で完敗している。
「お仕舞いだ……」
クアナはその場に仰向きに倒れた。呪力を使い果たしてしまった。




