(1)
その明くる日のこと。
帝国最強の軍師と呼ばれるラマン・オーランド改め、オーランド・セカールは、ランサー城の簡素な執務室に突然呼び出され、待ちぼうけを食らわされていた。
いったい何事だと言うのだろう。
オーランドは、今や七年も前のことになるが、同じように狭い執務室に押し込められて、陰気な人事院担当者と差し向かいで話をした時のことを彷彿とさせられて、物凄く嫌な気持ちになった。
悪い予感しかしない……。
そして、案の定、散々待たされたあげく、優雅に遅れてやって来た男の姿を見て、オーランドは背筋が冷たくなる思いだった。
絹糸のような銀の長髪。世にも珍しい紫の瞳。男の自分でも思わず見惚れてしまうような惚れ惚れとした美男子だ。
これが噂の、皇帝陛下の『お戯れ』か……。
オーランドはもちろん、ランサー皇帝オーギュスト二世とこの至近距離で、しかも『差し』で話をすることなど初めてのことだった。オーランドもまた長年の経験から、このご仁が帝国最強の闇術士すら震え上がらせるような、恐ろしい人物だと言うことをよく知っている。
「陛下……。シノン公コールに飽きたらず、私のような卑賎な者までお招きくださるとは……」
オーランドは不遜にも思わずそんなことを口走っていた。
「安心したまえ。私の好みは硬派な黒髪だ。お前のようなずる賢く軽薄な輩はおよびでないので、そなたを呼び出すのはこの一回限りだと思ってもらって構わない」
きっぱりとそんなことを言う皇帝に、オーランドは顔を引きつらせた。真面目な顔をして何を仰るのだ、天下のランサー帝国皇帝ともあろうお方が……。
このお方が飴と鞭を巧みに使ってコールの心を支配しているのは、あの危険極まりない闇術士に寝首を掻れないための戦略だとばかり思っていたのだが、まさか、本気で硬派な黒髪がお好みなのか……?
しかも何故かこの方、少し機嫌が悪そうだ。
オーランドは全く身に覚えがないのだが、なぜか皇帝陛下に毛嫌いされているらしい。
「君のような手合いとわざわざ一対一で話そうなどと言うには、もちろんきちんとした理由がある。他ならぬ、コカトリス第三小隊に新しく配属になった聖術士のことだ」
アリシア・メイのことか……?
オーランドは意外な人物の名が出てきたことに驚いていた。新しく配属になった闇術士エリスのことが取り沙汰されるならまだ分かるが、アリシア・メイなんて……たしかに、優秀な聖術士であることは確かだが、あくまで数多くいる聖術士の一人に過ぎない。
この方がその存在を知っているというだけでも驚きだ。
「クアナ姫の代わりになるような逸材など、なかなか存在しないから、新しい聖術士を探し出すのに苦労したんだ……」
彼は嘆くように言う。
この人、やっぱり相当な暇人なんだな……。
コールが遠くへ行ってしまって寂しいのだろうか。
有事には何万と言う頭数が集められる帝国軍の、小さな小さな小隊の人事について、皇帝陛下自らがここまで心を砕くなんて、普通じゃない。
「非常に優秀な人材ですよ。総合的なポテンシャルから言えばクアナ姫には及びませんが、賢くそつないですし、実践慣れしている分、即戦力としてはクアナ姫をゆうに越えています」
「そうだろう、そうだろう。私も今回、調べさせてみて初めて知ったのだが、なんせ彼女は『僕の妹』らしいからね……」
「……?」
帝国最強の軍師は、しばし理解が及ばずに静止した。
「そなたは噂に聞くよりもずいぶん頭の回転が遅いようだな……」
皇帝は皮肉たっぷりに言う。
陛下の……いもうと?
「え、ええーーーーーーーっ!?」
そのあまりに意外な事実にたどり着き、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「『私生児』なのだよ……まったく、恥ずかしい話だよ。アリシアの母親はよほど魅力的な女性だったにちがいない、下賎な下流貴族がするならまだしも、天下のランサー帝国皇帝が、城の召し使いに入れ込むなど、聞いたこともない話だ」
そう言うものなのか、とオーランドは逆に感心していた。小説の筋書きなどではよくありそうな話ではないか。
「相手が高貴な出の者ならば、側室に迎えて、子どもを正式な皇女として迎えることも可能だっただろうが、アリシアの母親は最下層の平民だったそうだ。父自身がどのように考えていたかは分からないが、周りがとても許さなかったのだろう。だいたい私の母も、嫉妬深い人だったと聞いているからね……」
オーギュスト二世は、憂鬱そうなため息をついて続けた。
「アリシアの母は賢く優秀な人材だったそうだから、事情を知った傍流の貴族が、母子を引き取って、二人の面倒を見ながら使用人として使うことにしたらしい。たとえ皇族の血が流れていようとも、悲しいことに、下賎な下流貴族の私生児などと同じ扱いだよ。父親が認知しなければ、彼女が皇帝の血族であると言う証拠など、何一つないわけだからね……。その後は、普通に、ごく普通の使用人の子どもとして、彼女は育てられたのだそうだ」
「彼女自身は、そのことを知っているのですか……?」
オーランドは心底震えながら言った。
どおりで高貴な香りと隠しきれない知性が溢れているわけだ。あのあざとさの中にある強かさは、皇帝の血がルーツだったと言うわけか……。
そう言われて見ると、目の前の青年と、うちの新しい聖術士は、蠱惑的な雰囲気が似ていなくもない。
下手なことをしなくてよかった……。不敬な扱いなどしようものなら、それこそ秘密裏に消されていたかも知れない。
「知っていたら、今頃こんなことにはなっていなかっただろう。申し訳ないことだが、彼女は幸せにしているようだし、彼女本人の今後のためにも、あえてこの事実は伏せておいた方がいいだろう」
懸命な判断だ、とオーランドは思った。
彼女には恋人もいるようだし、今さら下手なことをして、陰謀などにでも巻き込たれたりしたら可哀そうだ。
いやはや、アリシア・メイの恋人とは、いったいどこの誰なんだ……?
当人同士は夢にも思わないことだろうが、これはこれは……とんでもないことだぞ。
しかも、リッカが皇族出身の公爵家のフィリップ殿下と婚姻関係を結ぶと言うことは、彼女らは遠縁になると言うことだ……。
頭が痛くなってきた。
「それでも、彼女が『私の妹』であることには変わりがないのだから、せめて、彼女が不幸にならないようにだけは、計らってやってほしいのだ。だからこそ、私は敢えてアリシアをコカトリス第三小隊へ配属させたんだ。君たちに任せておけば、まず間違いはないだろう……?くれぐれも、彼女を大切に守ってやってほしい」
「……この上ない誉れです。貴方様からそのようなお言葉をいただけるとは……」
なんてことだ。こんな話、プレッシャーが半端ないではないか。
くそ……しかも、この事実を『自分だけ』が知っていると言うことは……しかもそれを隊員の誰にもけして話すことが出来ないと言うことは……。
これからの毎日、板挟みになって地獄を見ることが目に見えているぞ。……これこそが皇帝陛下からの、自分への新手の嫌がらせに違いない……。
話はこれで終わりかに思えたが、陛下はことのついでと言わんばかりにその先を続けた。
「ところでだ。新生コカトリス第三小隊に、さっそく新たな任務を与えたいのだが……?」
オーランドは再び身構えた。
この上いったい、自分たちに何をやらせようと言うのだろうか。この人がこれまで、楽な命令を要求したことなど一度もない。
「来るべき戦いのために、君たちにはせいぜい力を蓄えておいてもらいたいのだ。うかうかはしていられないのでね……。いつ、恐ろしいゲームを開始されるか、誰にも分からないんだ。コカトリス第三小隊、君たちには、次の春、雪解けを待って、北部カゼスヘ向かってもらいたい。【紺碧のプレイヤー】を味方に付けるために」




