(2)
「みなさん、私から離れないでね」
アリシアが少し長い呪文を詠唱し始めるにつれ、その柔らかな金髪が風を孕んだようにふわりと波打つ。
「〝ダイアモンドの盾〟」
綺麗だ……フリンは思わず見惚れた。
アリシアの全身を虹色の金剛石のような結晶がキラキラと取り包む。
聖術の付与魔法の一つだ。
キリエははじめて見る術ばかりだった。
「完全に、遊んでるな……」
オーランドも呟く。これ見よがしの技だ。
お姫様に憧れるアリシアにぴったりの術。
アリシアは、ダイアモンドの盾を身に纏って歩き始める。
彼女は、ただ歩いているだけだった。
輝きを纏いながら寺院を颯爽と歩いていくお姫様に、時折、黒い闇の塊のようなスピリット達が襲い掛かる。
闇の亡霊たちはその光に恋い焦がれる夏の虫のように、ダイアモンドの盾に集い、盾に当たった瞬間、塵ぢりに、消し屑となっていった。
「なんと美しい戦い方でしょう」
フリンの隣でリッカの溜め息が漏れる。
聖なる虹色の光が眩しくて、乙女心をくすぐる光景だった。
「これは、予想以上の実力だ……」
オーランドも舌を巻いていた。
現れた亡霊を一つ一つ、巨大すぎる呪力で撃退していた実践初心者のクアナのやり方とは、対極にある。
彼女が使っているのはシンプルに、たった一つの付与魔法だけだ。
「相手が、『物理系』ならこんなことは出来ないんですけどね。貴方ならご存じかもしれなせんけど、ダイアモンドの盾の『物理防御力』はけして高くはないので」
物理攻撃を受けると、ダイアモンドの盾は簡単に壊れてしまう。キリエは感心するオーランドに、一言解説を加えておいた。
ただ、スピリット系になら、この上なく効果的な戦略だ。
ボスの位置を把握していたアリシアは、そのままさっさとこの寺院の、新しい主の元へ辿り着いた。
ところが、この寺院の新たな主は、余裕のお姫様っぷりを示していたアリシアが悲鳴をあげるような相手だった。
「キャーーーーっ!く、蜘蛛……!?スピリット系のダンジョンのボスが蜘蛛だなんて……!私、蜘蛛だけは無理なの……っ」
アリシアは蒼白な顔をしてオーランドの腕にしがみつく。突然の醜悪な化け物の出現に、隣で彼の妻が睨みを利かせていることもすっかり忘れているらしい。
「ちょっと、どさくさに紛れて何をやっているんですか、あなたたち……っ」
キリエはすかさずアリシアの腕を引き剥がす。
「『あなたたち』じゃ、ないでしょう。僕は何もしてないって……」
そして、静かに獲物が網に掛かるのを待っている蜘蛛を前に、オーランドは続ける。
「蜘蛛、ね……。たしかに、純白の使い手にはちと相性の悪い相手だな」
獲物の襲来を前に、ぞわぞわ小さな蜘蛛の子達が何匹も母蜘蛛の足元から現れて、地を這いながら迫ってきた。
「きゃーーーーー!無理っ!わたし、小さい頃、虐められて大量の蜘蛛を服の中に入れられたことがあるんです……っ」
アリシアは涙目になりながら、オーランドがダメなら……とキリエにしがみついていた。
「か、可愛そうに……それはそれは、蜘蛛が苦手になるのも無理はありませんね……」
根が真面目なキリエは、あざと系女子の、あざとくない姿に、思わず同情していた。
こんなあざとい女なら、虐められた過去があってもけして不思議ではない。
「アリシア、あなたはどうぞ隠れていらっしゃい」
どう考えても蜘蛛を相手に最も適した色、『深紅』の使い手のリッカが、パーティーを守るように進み出る。
「〝朱緋色の一掃〟」
目の冴えるような朱緋色の焔が、蜘蛛の子達を残らず一掃する。
「でも、母蜘蛛をやらなければキリがありませんね……」
リッカが右手を上げて構える。
「〝焼撃〟」
リッカが単体の攻撃呪文を畳み掛けようとした、その時だった。
「ちょーっと待ったーーーーっ!」
プロポーズを遮るライバルの一言のような、ふざけた台詞を口にしながら割って入ってきた術士が一人いた。
「やっと来たか……しかし、このタイミング?」
オーランドは『遅れてやってきたヒーロー』を演じきれていない小柄な闇術士の出現を呆れて見守っていた。
「な、なんですのあなた……」
リッカは驚いて固まる。
「お願いっ、焼き殺すなんて勿体無い……漆黒の蜘蛛なんて、本当にレアな存在なんですよ。おねえさん、知らないの?」
子どものクセに、人を食ったような生意気な喋り方をする。
「軽めの雷にしてください。そしたら僕が、『調伏』しますから」
「わ、分かりましたわ……」
一年間コールの姿を見ていたリッカは、『調伏』の一言に、何とか状況を呑み込んだらしい。
「〝雷撃〟」
小さな闇術士に素直に従い、漆黒の蜘蛛に雷撃を当てるリッカ。
最強の紅蓮術士の雷の直撃を受けて、蜘蛛は戦闘不能に陥る。
「〝深淵への誘い〟」
ランサー帝国史上、二人目の闇術士は、こうして希望通り、蜘蛛の子を撒き散らす能力を持った激レアな召喚獣をゲットしたのだった。
「ありがとう、綺麗なおねえさん。ふふふ……コールに自慢しよーっと。泣いて悔しがるぞあいつ……」
小さな闇術士はほくほくとした笑顔で言う。
「お礼を仰るのならば、名乗っていただいてもかまいませんか?わたくし、あなたがどこの誰か、まだ聞いておりませんわ。わたくしは、コカトリス第三小隊の先鋒、焔術士のアークライト・リッカと申します」
「はじめましてリッカ。僕はニーベルンの第四王子にしてニーベルン唯一の闇術士エリス・ヨハンソンです。今日から一年間、こちらの部隊で厄介になりますので、以後お見知りおきを」
「え、ええーーーーっ!?」
フリンとキリエが、聞いてない、とどよめく。
「人事院に頼まれたんだから仕方ないでしょ。一年間の交換留学だって……」
オーランドが答えた。
「だってあなた、今年まだ十四歳よね、軍隊で戦うには早すぎるわよ……!」
真面目のキリエが、文句を言うように言う。
「うん、だから、クエストがない日は学校の授業を受けなさいと、母に言われております」
エリスはちゃっかりと言う。
「エリスの成長を待っているヒマはないんだと。もうすぐ、大きな戦争が始まるかもしれないと言われてるらしくて……。この子を早急に、本当の意味で帝国の最終兵器に育てておく必要があるんだよ」
オーランドが真面目な顔をしてそんなことを言う。
「まあっ、なんて可愛らしいの男の子……!しかも、正真正銘の『隣の国の王子様』じゃない!」
蜘蛛が残らず居なくなったのを確認して、キリエの陰からアリシアが姿を現す。
そして、馴れ馴れしくエリスの手を取りながら言った。
「私、クアナ姫の後任の、アリシア・メイと言います。困ったことがあったら、手取り足取り教えて差し上げるから、何でもおねえさんに相談するのよ……っ」
クアナ姫にはなかった超ハイレベルの魅了スキルに当てられて、エリスは顔を赤らめている。
い、いつのまにか、コカトリス第三小隊に、綺麗なおねえさまが二人も増えている……!
当然そんな構図を目の当たりにした二人の女術士、リッカとキリエは白けきった顔をしていて……手っ取り早くアリシアとリッカの間にある問題を解決しようと言うオーランド隊長の目論見は完全に当てが外れていた。
「あんなロクデナシなんかほっといて、この子を『私好み』に育てることにしようかな……!」
アリシアは冗談なのか本気なのか、そんなふざけたことを言い始める。
「アリシア、落ち着いて。お願いだから、八歳も年下の男の子を誘惑するのは止めてよね。それに、仮にこの子は『王子』を名乗ってるけど、素性は平民の、ランサーの術士の子どもなんだから……!」
フリンは必死で彼女に突っ込んだ。
レクサール、アリシアが『一途』だと思ってうかうかしてると、この年下の生意気な闇術士に、大切なお姫様を奪われることになるぞ……。
「まっ、ともあれ、これが新生コカトリス第三小隊と言うわけだ。隊長は翠緑の僕で、副隊長は紺碧のキリエ、タンクは褐色のフリンで、前衛は深紅のリッカ。さらに純白のアリシアと漆黒のエリスの六人パーティー……って、すごいね、見事に全色揃っている……!」 オーランドは驚いたように言った。
「しかし、隊長。あなたたちが結婚したからには、キリエさんか隊長は、別の部隊に異動させられるに決まっていると思ったんですけど、意外でしたね。隊長と副隊長が夫婦だなんて、聞いたことがないですよ!」
「そりゃあそうさ。隊長の特権で人事担当者に脅しつけておいたんだもの。僕とキリエを引き裂こうものなら、ただじゃおかないって。過去の悪事やスキャンダル……人事院の担当者を強請るネタを、山ほど仕入れてね……!」
オーランドは悪魔のような顔をしながら言う。
「そ、そうまでしてキリエさんを手元に置いておきたかったのですか……?」
フリンは恐れおののいた。オーランド参謀長の悪どさが増している……。
コールさんよりこの人の方がよっぽど恐ろしいかもしれない……。
帝国軍よ、こんな人を隊長にしておいて大丈夫なのか?
「やめなさい隊長。そんなことしてたら出世に響きますよ……」
真面目のキリエが呆れたように突っ込みを入れるが、そこにいつものような剣幕はない。
「羨ましい限りですわ、副隊長。愛されてらっしゃるわね!」
ふふふ……と愉しそうに笑うアリシア・メイ。
「わたくしの出番を横取りするんじゃなくてよ、アリシア……っ!」
ハグ魔のリッカがアリシア・メイを羽交い締めにして怒っている。
どうやらコカトリス第三小隊に、平和が訪れる日は永遠に来ないようだ。




