第3部おまけ:ガートルード・カイルは、使用人に手渡されたカードの差出人を見て、衝撃を受けていた(2)
「おい、ロー、早くしろ。時間がないぞ」
「時間……?余裕だろ。まだ一時間以上もあるぞ」
学院の寮で、なかなか出てこない弟の部屋に、兄のアーサーが痺れを切らして押し掛けた。
マイペースな弟は、もたもたと制服のタイを結んでいる。
父親のエリンワルドにそっくりのアーサーは、カイル家の特徴をよく受け継いださらさらの黒髪なのに対し、次男のローウェンは明るい褐色のクセっ毛だった。
いったい誰に似たのやら、性格も自由奔放で、水術士とはとても思えない。それで、学院では、長男の自分に負けず劣らず成績優秀と言うんだから、腹立たしいことこの上ない。
「兄上、髪が乱れてる。結婚式だってのに、恥ずかしい」
ローウェンはヘアピンを口に挟んで、兄の長い黒髪を三つ編みに結び直した。後れ毛をきっちりピンでとめ、濃紺のリボンで結び目を飾る。
「髪なんかどうでもいいんだ、早くしろっ」
ファッションに無頓着な兄の服装を整えてやるのは幼い頃からのローウェンの日課だったので、髪を纏めるのなんかお手のものである。
バタバタと歩き出す兄に手を引かれて、二人は帝都で一番大きな聖堂に向かった。
今日の昼食は、旨いものにありつけそうだ。
帝都でも一二を争う術士の名門カイル家と、大貴族ラマン家次男の結婚式は、贅を尽くしたド派手なものだった。関係する諸侯、実力者たちが勢揃いし、それらの人間たちに、両家の実力を見せびらかしているかのようだった。
「どんだけ金が掛かってるんだ、下らない……」
アーサーは吐き捨てるように言う。
「なに言ってんの、兄上。こういう政治的駆け引きが大事なんじゃないか。兄上も、カイル家の当主になるんなら、術だけじゃなくて、政治的駆け引きも身に付けないと、やってけないぞー」
ローウェンはにやにやしながら言った。
「そんなもの、必要ない。父上だって、そう言うタイプじゃないだろう?」
兄の言葉に、ローウェンはますます笑う。
「そうなんだよね。まあ、お母様がいるからなんとかなるとは思うけど。兄上と父上って、ほんとソックリだよ」
「お前は誰に似たのか、まったく分からないけどな!父親が違うんじゃないのか?」
アーサーは生意気な弟に対して、冗談にしては辛辣な一言をぶつける。
「結婚式なのに、物騒なこと言わないの!お母様が父上命なのは知ってるだろっ?それより、せっかくなんだから、美味しいもの食べないと損だよ」
アーサーは父と母、三人の弟妹を探したかったのだが、自由な次男は、そんなことより美食だ、とうろうろしている。
立食形式の宴会で、そこかしこに並べられたテーブルには、食べ物や飲み物がところ狭しと並べられていて、その合間合間で、貴族、豪族たちがたむろして談笑している。
「酒はやめとけよ、お前が酔うと、ロクなことがない」
アーサーは弟に釘を刺す。
「おにーさま!こんなとこに居た!索敵で探したのよっ。人が多すぎて、見つけるの大変だったんだから」
そのうちに、長女のヘザーが兄たちを探しに来てくれた。
「もう索敵が使えるのか?さすがヘザーだな」
アーサーは七歳の可愛い妹の髪を撫でる。何かとライバル視し合っている次男、三男の男二人と違って、長女のヘザーと小さなエリカは、アーサーが手放しで可愛がれる存在だった。
ヘザーも五歳年上の憧れの兄に誉められて、はにかんでニコニコしている。
今日はヘザーもおめかししていて、黒髪を淑女のように結って、白と濃紺のツートンのドレスを着た姿は、貴族令嬢にも引けを取らない。
「お母様がお呼びですよ!ローにーさまも、早くきて!」
ヘザーが先導して二人を引き連れてく。
「ちょっと、待てよー」
ローウェンは不満げな顔で食べかけのミートパイを手に持って妹に続いた。
「ああ、やっと来たのね、二人とも。間に合わないかと心配したんだから!」
親族用の席で、両親とウィル、小さなエリカが待っていた。ウィルは三歳のエリカがうろうろどこかへ逃げ出して行かないか、必死で首根っこを掴んでいる様子だった。気い遣いの三男ウィルは、いつも貧乏くじばかり引かされている。
「みんな着飾ってるねー馬子にも衣装だな!」
ファッションが大好きな次男は、着飾った家族たちの姿を見て、満足そうだった。五人とも、同系統の、濃紺と白のドレス、もしくは礼服で纏めている。言うまでもなく青は、カイル家の色だ。学院の制服で済まされた自分たちが残念なぐらいだ。
「しっ……花嫁の入場だよ」
誰彼ともなくそう言う。
自然と会場の雰囲気が、水を打ったように静かになった。
新郎新婦がゆったりとした足取りで聖堂内を、静かに挨拶しながら練り歩く。
ローウェンは思わず口笛を吹いていた。
やべえ……キリエ叔母様がめちゃくちゃ綺麗だ。あんなに綺麗な人だったのか……。
ローウェンは叔母の軍服姿しか見たことがなかったが、今日は春の花のように、ごく薄いピンクの混ざった白のドレス姿だった。カイル家なら、青じゃないのか?新郎新婦は揃って白の衣装だった。白か。白は陽術の最高位の色だ。青でも緑でもなく、白を選んだのか……。
ドレスの生地は、薄いオーガンジーを幾重にも重ねたもので、物凄く手が込んでいるようだった。春の花びらのような繊細なドレスが、細くて儚く、幸の薄そうなキリエ叔母さまの雰囲気にぴったりだった。
「ああ、やっと、本当に、幸せになってくれたのね……」
母は、本当にお人好しだ。いつも通り、仏頂面でにこりともしない父エリンワルドの隣で、血の繋がらない他人である義妹のために、母は一人、目を潤ませていた。
そんな母の横顔も、花嫁に負けず劣らず、綺麗だった。




