(3)
時は少し遡り――全く同じ日の朝、クアナ・リオンは、寮の自室で、本日の服装に頭を悩ませていた。
侯爵令嬢御用達の高級店に行くのだから、それなりの服装をしていく必要がある。
「うーん、やっぱり、これかな……」
以前、コールと一緒にランサーの城下町で買い物をした時にオーダーして作ってもらったAラインのワンピースだった。純白の柔らかなコットン。首元から胸に掛けて金糸の、透かし網の装飾がキラキラと美しい。長い袖と、スカートの裾にも同じ柄のレース模様が入っている。引き算で大人し目のイヤリングを合わせる。暖かいランサー帝都も、だいぶ寒くなってきているので、足元はしっかり足を覆う黒い革靴を履いた。
クアナは寮のリッカの部屋の扉を叩いた。
ほどなく、赤毛のグラマラスな女性が扉から顔を出す。完全に『オフ』なリッカは、だて眼鏡にラフなシャツとズボンという出で立ちで、物凄い色香だった。
「り、リッカ……貴方のその色香はどこから来るの……ほんとに羨ましいんだけど……!」
クアナは開口一番そう言っていた。
「あら、おはようございます、クアナ姫。朝からどうなさったの?」
「今日は、コールとリッカ御用達の薬局に行くんだ……。この格好、おかしくないかな?」
ランサー帝国軍のおしゃれ番長はどう考えてもこの人だった。彼女に助言を受けておけば、まず間違いない。
「あらまあ!平日デートね、羨ましい限りだわ。そして、全身コーディネート、華やかさと清楚さの差し引きが完璧ですわよ、クアナ姫。清楚な聖女様ね……!じゃあ、最後のひと押しに、わたくしが魔法を掛けて差し上げましょう」
リッカがクアナを部屋の中へ招き入れ、女子力もお値段も高そうな小物たちの中から、鳥と花の柄のメイクボックスを取り出した。
クアナの肌に大きなメイクブラシで白粉をパタパタはたくと、目尻に少しだけ薄青色のアイシャドウを置いて、最後に明るいピンクの口紅と、同系色のチークで仕上げをした。
「はあ……なんて可愛らしいの……っ!私の創作意欲をこの上なく刺激する逸材ね!食べちゃいたくなるぐらいの可愛らしさだわ……」
リッカは惚れ惚れとクアナを見つめている。
「ち、ちょっと止めてくれないかな……、恐ろしい吸血鬼の女の子のことを思い出しそうになるからさ……」
クアナは顔をひきつらせるが、メイクボックスの鏡に映った自分の顔を見て、
「さ、さすがはおしゃれ番長だ……っ」
とびっくりしていた。
リッカはぬっとその背後に忍び寄ると、しゅしゅっと香水を首筋に振りかける。
「いい匂い……」
「完璧ですわ、これであの淡白そのもののコール隊長も、悩殺されることでしょうっ!」
クアナは顔を真っ赤にする。
「それは別に頼んでないぞ、リッカ……!」
「恥ずかしがらなくてよくてよ……早くお行きなさい!」
リッカは追い立てるようにクアナに手を振った。
「う、うん!ありがとう……!」
これは、リッカ嬢にも何かお土産が必要だな、と思いながら、コールとの待ち合わせ場所である城門広場へ向かった。
コールはいつも通り、飾り気のないシンプルでしゅっとした服装だった。
この人はまったく自分を飾ることに興味がないんだけど、その飾り気のなさが逆にお洒落さを醸しているから不思議だ。
「おはよう、コール……っ!」
クアナはコールに会えるだけで嬉しくて、ぶんぶんと手を振って呼び掛ける。
コールはむっつりとした顔でクアナを睨み付けている。
「な、なんでそんな怖い顔をしてるの……っ?私何かしたかな、約束の時間、遅れてないよね」
「ただの買い物なのに、気合い入りすぎだ……俺を殺す気か……!」
お……っ、それは、つまり、リッカの言う『悩殺』という意味の『殺す』なのかな……?
クアナはにまにましながら、その呟きは心の中だけに留めておいた。
先に立ってさっさと歩き始めるコールを慌てて追いかけて、その腕に取り付く。コールも自然にクアナをエスコートしてくれる。
「お店の場所、知ってるの?私はいまだに帝都は迷路のようで、誰かに案内してもらわないと目的地にたどり着かないんだけど」
「俺も、帝都住まいはもう六年目だからな……さすがに覚えたよ。今の時間帯は、市場が賑わってる頃だな。珍しいから、市場の中を抜けて行くことにするか……」
コールは人混みを掻き分けてすいすいと歩いていく。
「絶対に、手を離すなよ。お前なんか、小さいから、一瞬で迷子になるぞ」
「まるで子ども扱いだねえ、相変わらず貴方は……」
口ではそう言いながら、まんざらではないクアナは、遠慮なくぎゅっとコールの腕を掴んだ。
帝都には巨大なマーケットがある。卸売り市場というやつだが、一般の人も売ってもらえる商店もずらりと軒を連ねている。
会話もままならないぐらいの喧騒だった。
「はー……すごい世界だ……はじめて来た……」
小国の王女にとっては、まったく知らない世界だった。マーケットはレンガ造りの巨大な建物で、二階までぶっ続きの吹き抜け。その広大な空間を、肉、魚、野菜や果物などの青果はもちろんのこと、香辛料や加工食品、保存のきく瓶詰のジャムや缶詰まで……世界中のありとあらゆる食べ物が集められているのではないかというほど、雑多に食料品が並んでいる。
「あ、あれはなに……?」
クアナは背を伸ばしてコールの耳に顔を近づけながら言う。そうしないと会話にならないからだ。
「ビールジョッキだな、土産用の」
コールも同じように身を屈めてクアナに言葉を返した。
「えーあれ、ビール入れるの、可愛すぎでしょう……」
ピッチャーぐらいの大きいものから、普通のジョッキサイズまで、陶器の、騎士やお姫様といったお伽噺風の、可愛らしい柄が描かれた、蓋付きのビアマグが、ところ狭しと並べられていた。
コーヒー入れる方がいいんじゃないかな。ちと大きすぎるか。
「あれはあれは……っ?」
「生ハム原木ってやつだな……削って食べるんだ」
「へえー美味しそう……!」
クアナのとどまることのない質問責めにも面倒臭がらず、いちいち真面目に答えてやるコールだった。
「さすが、十年も長く人間してると、物知りだねえコールは……!」
「なんか、失礼な言い方だな、クアナ……。口の悪い連中とつるんでいるからか……」
コールは悲しげにため息をつく。
「魔除けの飾りはいかがですか、お姫さま……」
のんびりウインドウショッピングをしていられる訳もなく、明らかに身なりのいい二人に、怪しげな商人たちは次々と声を掛けてくる。
コールはガン無視だった。
「ねえ、魔除け、綺麗だったよー」
「馬鹿、あんな奴らに取り合うな……お前なんか、一溜りもないぞ。市場の中に正規の店を構えてるとこならまだしも、紛れ込んでる露店商はろくな奴らがいない。あの手この手でだまくらかして、一桁も二桁もぼったくってくるんだからな……」
「そ、そうなのか……」
「特に、押し売りが恐ろしいぞ……言葉巧みに客を気分良くさせて、装飾品を身に付けさせたところで、簡単には外せないんだ、これが……下手な術より恐ろしいぞ。バッタもんをつかまされたあげく、高額な対価を請求されるんだからな……」
「ひー……こわい……っ」
あぶないあぶない、一人じゃとても、帝都は出歩けそうにない。
「やっぱり、年上の彼氏は役に立つなあ……!」
「いや、だから、なんかいちいち言い方に難があるぞお前……」
そうこうしているうちに、二人は市場を抜けて反対側に出た。
「あー楽しかったー!」
「まだまだ、これからが本番だろう?」
「そうだった……!」
クアナは今日もご機嫌だ。ひどい泣き虫だと思っていたが、付き合いが長くなると、中身は陽のオーラの塊だと言うことが解る。
底抜けの明るさ、というやつだ。どんな些細なことにも喜びを見出だして、いつも朗らかに笑っているのだ。
「いい性格してるよほんと……」
どんな意固地に凝り固まった性悪でも、コイツの隣にいれば自然と心を和まされることだろう。
「お前は国宝級……いや、伝説級の人間だな、純白の呪力の」
「あっ、人を召喚獣みたいに言わないでよ、喚び出しには応じないよ……っ!」
「俺の言いたいことがよく分かったな。ユーモアのセンスも抜群だ」
コールはふと思い出して付け加えた。
「ちなみに、美少女吸血鬼なら、いつ俺に喚び出してもらえるか、今か今かと待ってくれているみたいだぞ?」
「やめろーーーーっ!冗談でもそんなこと言うなっ!貴方があの恐ろしい吸血鬼を飼い慣らしているという事実だけでも、精神的ダメージが大きいんだからっ」
クアナは急に涙目になって抗議した。
「名前もちゃんと付いてるらしいぞ、メリーウェザーと言うらしい」
コールはそんなクアナに追い討ちを掛ける。
「やめろ……っ!召喚獣を名前呼びするな!穢らわしいっ!」
これは、格好のネタができたぞ……。コールは面白がって、つい最近十九歳になったばかりの可愛らしい婚約者をおちょくっていた。
「たまには喚び出してやらないと、淋しがってるんじゃないか……?」
「知らないよ、もうっ!コールなんか、ヴァンパイアの餌になっちゃえばいいんだ……っ!い、いや、やっぱりそれだけは絶対に嫌だっ!」
クアナは自分で言った言葉に自分で苦しめられてぶつぶつ言っている。




