(3)
「隊長、クアナ姫と同じ部屋じゃなくて良かったんですか?」
フリンがコールに問う。
女王陛下が、はじめ客人のために準備した部屋は三室だった。キリエとリッカ、クアナとコール、残る男三人……。
それなのに、コールはわざわざお願いして、キリエとリッカの部屋にクアナ、男四人の二部屋となるように配置を変えてもらっていた。
「バカ……あの酔っ払いと一緒に寝てみろ、俺が襲われるに決まってるだろうが……!」
「それなら、僕がキリエと二人部屋を使わせてもらえば良かっただけなんだ……!勝手に決めて……!何が楽しくてこんな、男四人で雑魚寝なんてしないといけないんだ!」
オーランドは本気で怒っている。
「まあまあ、俺は固まって寝る方が得策だと思うぞ。地底世界は奇妙すぎる。……何があるか分からん」
ギランが冷静な一言を告げる。
「女王陛下も、意味深なことを言い残すしな。闇の眷属が紛れ込んでいるかもしれないから、気を付けろ、だと……」
コールも、寝室に案内させる直前に、女王が忠告するように言い残した言葉が気になっていた。
とっととこんな、おかしな世界とはおさらばして、早く帝都に帰りたいものだ……。
「なんだか、旅行気分で、楽しいですわね……」
女性三人は、城の浴室を借りて、久しぶりの入浴を楽しんでいた。
リッカはご機嫌だった。この人は、イメージ通りの酒豪らしく、いくら飲んでも顔色一つ変わっていなかった。
「私は、オーランドと一緒に寝たかった!」
ほろ酔いのキリエは、真面目な顔をして怒ったように言う。奇しくもオーランドと同じ反応である。
「きゃっ……やだ、キリエったら、何を言っているの……遊びに来たわけじゃないでしょう?」
完全に酔っ払いのクアナは、キリエを思い切りどつきながら言う。すっかりキャラが変わっている。
どうやらクアナの本性は、とことん陽気らしい。笑い上戸と言うヤツだ。
「お好きなようにしてくださいませ、二人とも。私は止めませんから」
一番大人なのは実はアークライト・リッカだったりするのかもしれない。
「なあに、これ、いい匂い……」
「クチナシですよ。全身に使える石鹸です」
侯爵令嬢のリッカは、ランサーでも指折りの老舗薬局の超高級品を持参していた。
酔っ払いのクアナの髪を丁寧に洗ってやっている。
「私も私も……っ!何これ、いい!でも、めちゃくちゃ高いんでしょうね、これ……」
キリエも集まってきて、三人できゃあきゃあ言いながら、身体を洗いあっている。
「貴方、思った通りの貧弱な身体付きですわね……」
リッカがキリエに憐れみの声を掛ける。
「うるさいっ!浴室に沈めるぞ!」
キリエも酔った勢いに任せて、力任せに指を立ててリッカの頭をごしごしする。
ついでにキリエの身体に古い折檻の跡がたくさんあるのを見つけ、リッカはぎょっとしたが、敢えて見なかった振りをした。クアナは酔っ払いまくっているので目に入っていないようだが、どうやらキリエがカイル家で虐げられて育ったと言うのは、本当のようだ。
「リッカは大人の身体だ……。胸も大きいし、背も高いし、羨ましいよ……」
クアナは、リッカの美脚を惚れ惚れと見つめながらそんなことを言っている。
「あら、あなただって負けてませんわよ……まだ十代だとは思えない。末恐ろしい少女ですわね」
「そうかなあ……リッカには到底敵わないよー」
三人は仲良く並んで湯船に入っている。
小人サイズじゃなくて良かった。城の浴室はとても広かった。
「お風呂さいこー!」
酔っ払いの三人の、楽しそうな声が、いつまでも響いていた。
そして夜は更け──コールは一人、眠れない夜を過ごしていた。
周りでは、三人の人間の安らかな寝息が聞こえている。こんな状況で、ぐっすり眠れる無神経な男たちの図太さが羨ましかった。
酔っ払いのクアナも、狂ったように笑いころげる女王も、悪夢のように恐ろしかった。
地底世界に来てからと言うもの、奇妙なことが有りすぎる。
いま眠ったら、悪い夢にうなされそうだ。
幼い頃、熱に浮かされながら悪夢を見ていたことを思い出した。高熱が出ると、決まって奇妙な悪夢を見るのだ。小さい頃は、脳と身体がきちんと噛み合って居なかったのか、金縛りに遭うことも多かった。
怖い夢を見て、無理に目を覚まそうとすると、脳だけが覚醒し、眼は見えているのに、身体が動かない状態になるのだ。声を出すことも出来ず、ただ悪夢から覚めたい一心で、水の中のようにもがき続ける……。
そんな時、遠くから人の声が聞こえてくることもあった。
──かわいそうに……呪われているのよ。
あれは、母の声だったのだろうか……。
──『紡ぎ車の呪い』に掛けられると、定められて産まれた子だよ……。
誰かが、幼い子どもの髪を撫でている。
──まだ、たった五歳なのに……。幼い子どもには、あまりにもむごい仕打ちだ。
コールははっとして、身を起こす。
なんだ、今の記憶は?
ベッドに身を横たえて眠っていたのは、自分ではなく、金髪の、年の頃は五歳ぐらいの、人形のように可愛らしい娘だった。
クアナにそっくりだ。
夢でも見ていたのか……?
耳元で囁くように、人の声が聞こえてくる。
今度は夢ではない。はっきりとした声だった。
──愚かね……人間がわざわざ、こんなところに来るなんて……正気の沙汰じゃないわ。……美味しそうな乙女たち。赤……青……白……?どれにしようかしら……?絶対に、『純白』よね。神聖な『純白』が、一番美味しいにきまってる……!
うっすらとした小さな呟きなのに、脳裏に響くようにはっきりと聞こえた。
赤……青……白……だと?
コールは弾けるように立ち上がり、眠れる男たちを置いて、部屋を飛び出した。
胸騒ぎがする……。
まどろみの中で、『かわいそうに……呪われているのよ』と言われていたのは、クアナにそっくりの少女だった。
狙われているのは、クアナに違いない。
コールは走る。
女性三人が寝ているのは、左翼の門部屋だった。コールたちの部屋からは、少しだけ距離がある。
コールは、部屋の前で一息付き、扉をノックした。
返事はない。自分の、思い過ごしだろうか……。
女性三人が眠る部屋の扉を不躾に開けるのは躊躇われた。ただの、思い過ごしかもしれない。
「コール……?」
部屋の中から、小さな声が囁いた。
「クアナ……起きてるのか?」
ゆっくりと、扉が開く。
小さな聖術士が、ひょこりと姿を現した。
コールは、心底安堵する。
「よく俺だと分かったな」
クアナはにこりと笑った。
「そうだといいなと思っただけだ」
コールは思わず赤面して苦笑する。
「二人は、寝てるのか……?」
「うん、ぐっすりだ」
コールはほっとした。酔いは醒めているらしく、いつも通りのクアナだった。
「何か、変わったことはないか?」
クアナは首を横に降った。
ふわりと、クチナシの香りがした。
コールは次の瞬間、はしっ……としっかり、クアナの身体を抱き締めていた。
「おっと、すまん、条件反射だった……」
「なんでいちいち謝るのさ……!いいじゃない、公認の仲なんだから……貴方ったらもう……っ!」
クアナは小声で抗議する。
「こう見えて俺は、心配性なんだ」
「知ってるよ」
クアナがランサーで悪漢に襲われた時も、エンティナス領が侵攻された時も、クアナがコールへの恋心を諦めようとした時も、いつもいつも心配ばかりしていたじゃないか。
「……いい匂いだな」
コールはクアナの身体を抱き締めたまま言う。
「うん、リッカに使わせてもらったんだ。超高級品の石鹸なんだって。ランサーの有名な薬局の」
「よし、買おう。もうすぐ誕生日だろう」
「ふふふ……未来のシノン公は、太っ腹だね!」
「ここでこうしてるのもなんだ、ちょっと……歩くか」
コールはクアナから身体を離して、その手を取って歩き出した。




