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運命を紡ぐ想い  作者: 蓮見庸
第一章 海の見える丘の上の街で
12/29

夕立ち

 鍵を開けて玄関を入ると、猫のこはくが鈴を鳴らしながらやってきた。

「ただいま」

 声を掛けたが、こはくは僕の顔をちらりと見ただけですぐにまたどこかへ行ってしまった。

 僕は制服のまま作り置きの焼きそばを食べ、そして床に寝転んだところまでは覚えているが、その後いつの間にか寝てしまったようだった。


 気が付くと部屋の中は薄暗かった。

 もう夕方なのだろうかと思って時計を見ると、まだ3時半を過ぎたところだった。

 開けたままにしてあった窓から外を見ると、重い雲が空を覆い、見える風景は薄暗く、遠くからくぐもった雷の音が聞こえてきた。

 ずっと近くにいたのか、足元にこはくがすり寄ってきた。

 すると突然、大粒の雨がこつんこつんと屋根を叩いた。

 ひんやりとした風とともに雨のにおいが流れてきた。

 雨音の間隔は次第に短くなり、すぐに激しい雷雨へと変わった。

 あたり一面はノイズに包まれ、余計な音はかき消されたようだった。


 家のチャイムが鳴った。

 こはくが大きく伸びをして、小さくにゃーと鳴きながら玄関へゆっくりと歩いていく。

 郵便でも来たのかと思い玄関を開けると、そこには雨で濡れたけいが立っていた。

 髪は頬に貼り付き、顔をしたたる雨を拭おうともしなかった。

 Tシャツはずぶ濡れになり、靴にも泥が跳ねていた。

 僕は何も口に出すことができず、ただ立ち尽くしていると、昼間に聞いた本川ほんかわさんの言葉が思い出された。けいが言っていたという僕の悪いうわさ。その彼女がなぜここにいるのか。

 けいは上目づかいで僕の顔を見た。

 いつもの元気はなく、その表情は何かを思いつめたような、これまでに見たことのないものだった。

 ふいに空が光ったかと思うと、すぐ近くで雷が鳴った。

 その音に驚いたけいはびくっと首を縮めた。

「皆実くん、ごめん…」

 けいが視線を漂わせながらようやく口を開いた。

「………え?」

 僕にとってはとても意外なひとことだった。

「……あやまりに来たの」

「あやまるって? なにを?」

 ひょっとしてあのことなのか。

「うち、皆実くんのことひどいこと言っちゃった」

 やっぱりそうだった。

「……ひょっとして、図書部の人のこと?」

「知ってたんだ…」

「ちょっとね」

「誰に聞いたん? 本人から? 同じクラスじゃもんね…」

「ううん。違う人から」

「そうなんだ。違う人……。ごめんなさい…」

「いいよ。気にしてないし」

「ううん、でも……」

 顔が雨で濡れていたからそう見えたのか、彼女は泣きそうな顔をしていた。

 けいがどうして僕のことを悪く言ったのか気にはなるが、自分から聞き出す勇気もなく、彼女の言葉を待った。

「うち、怖かったんよ……」

「怖かった?」

「うん。彼女から皆実くんのこといろいろ聞かれて…。話をしてるうちに、ひょっとして、うちら以外の人に皆実くんのことを取られるんじゃないかって。そう考えてたら、思ってもないこと言っちゃって…。でも、そんなの言い訳にならんよね」

 よくは理解できなかったけれど、どうやら嫌われているわけではないらしい。

「よっちゃんにも黙っとったんじゃけど、さっき部活から帰ってきたから思い切って相談したら、すぐに謝りに行ったほうがいいって言われて…。その…ごめんなさい……」

「いいよ。僕は気にしてないから」

「ごめんなさい…」


「にゃー」

 玄関の隙間からこはくが顔を出した。

「ほら、猫ももういいって」

「猫?」

 びっくりしたようにこはくを見つめるけいに笑顔が戻ってきた。

「かわいい猫じゃね。にゃー」

「にゃー」

 けいはしゃがんでこはくの顔をなでた。

「許してくれるん?」

「にゃー」

「ありがとう」

「それで…」

 僕は気になったことを口にした。

「図書部の人とは話をするの?」

「…うん。正直に話してみる」

『彼女感じ悪いよ』そう言われていることはけいは知っているのだろうか。一度貼られたレッテルを剥がすのは、なかなかたいへんだろうと思う。逆にけいの評判もさらに悪くなってしまうかもしれない。でも、多分、けいならうまくやっていけるんじゃないかと思った。


 気が付くと空を覆っていた雲は流れ、雲の間から青空が見え始めた。世間が明るくなっていくなか、まだ小雨が降り続き、狐の嫁入りのようだった。一声、また一声と蝉の声が戻ってきた。

「いつの間にか小雨になったね」

「ほんとだ…」

 小さな束になった太陽の光がいくつも差し込み、その光のもと、あらためて彼女のことを見てみると、髪はびしょびしょで目は赤く腫れていた。

「髪の毛濡れてるよ。タオル使う?」

「大丈夫。これくらいなんともない…。それに、もう帰るけん」

「だったらいいけど…。あ、そういえば…」

「なに?」

「読書感想文におすすめの本、今度教えてよ」

「皆実くん、感想文まだやってないん? うち、もういくつか読んだのがあるけん、どれか貸してあげる」

「いいの? 難しくないやつがいいな」

「そうね…うちらくらいの歳の主人公が出てくる小説はどう?」

「じゃあ、それ読んでみようかな」

「わかった。あとで持ってくるね」

「今日じゃなくていいよ」

「ううん。明日から家族で田舎に行くけん、しばらくいなくなるんよ」

「そうなんだ。じゃ、僕が取りに行こうか?」

「いいよ、いいよ。あとで持ってくるけん、待ってて」

 けいはそう言って立ち上がると、なにげなく空を見た。

「あれ? あ、虹…!」

 空にくっきりとした大きな虹が出ていた。

 それは緑の濃い山の方から伸びて、街をまたぐようにかかっていた。

 ふたりで虹を見ていると、すこし離れた家の角から長い傘を手にしたよしのの姿が現れた。

「よっちゃん!」

 けいが大きく手を振ると、よしのは小さく手を振ってそれに応えた。

「それじゃ皆実くん、あとで本持ってくるね!」

 いつもの元気な表情が戻っていた。

 けいは濡れた地面を蹴ってよしのの元へ。

 彼女の姿は、まるで虹に向かって駆け出していくようだった。

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