44話 謎の商人は取引を持ちかける
エナは少し前からリリアの手元に注目していた。
「本来であれば大金貨二十枚はくだらない代物ですが‥‥‥メイド様、何やら珍しいものをお持ちのこととお見受けします」
「えっ、これのこと?」
リリアが手に握っているのは"閉鎖空間を作り出す"魔道具。イスタとの戦闘の最中、逃走するために回収したものである。
「おぉ!!」
興奮してか、少し荒い吐息で顔を覆う黒い布がふわりと浮き、それをエナは慌てて手で押さえた。
「や、やはり間違いございません。そちらはとても高度な空間魔法の術式が組み込まれた魔道具――簡易型かべまるVer.4!!」
「かべ‥‥‥」
「まる‥‥‥?」
ユキミチとリリアは口々に言って首を傾げた。魔道具にしてはまるで威厳を感じないような呼び方である。
「簡易型かべまるVer.4、その魔道具の名前です。外からも中からも物理的な衝撃を一切通さない"壁"を形成する魔道具として有名な"かべまるシリーズ"。改良に改良を重ねてその軽量化に成功したものの、非常に高精度な術式の組み込みを必要とするため、未だ量産化が実現していない超希少な魔道具なのです!」
つらつらと早口で熱弁するエナ。その瞬間的な情報量の多さにリリアは目を回しそうになった。一方でユキミチは目を丸くしていた。
「凄い能力の魔道具だとは思ってたが、そんなにレアものだったのか」
この反応に対してラバンは半笑いで口を挟んだ。
「まぁそりゃ少し昔の話で、今となっちゃそこらの店で簡単に買え――ぎゃあ!!」
言わせまいとエナがラバンの足を強く踏みつけ、誤魔化すように咳払いした。その間にリリアはこんがらがりそうな頭を押さえながら、なんとか理解を追いつかせる。
「えっと‥‥‥とにかくこれがすごい魔道具だってことは分かったわ」
「その通り、すごい魔道具なのです! ‥‥‥そこで私から一つ提案がありまして」
あまりの激痛でラバンが屈みこむのを他所に、エナは本題に入ろうとして声音を少し低くした。それでユキミチは勘づいた。
「まさか‥‥‥」
「ええ、そのまさかです。簡易型かべまるVer.4と引き換えに、この魔導機関車を差し上げるというのは如何でしょうか?」
エナの提案とは、取引のことだった。
「えっ、私たちはこの魔道具をあなたに譲るだけで良いの?」
「はい。それだけで良いのです」
躊躇いもなく頷くエナ。リリアは歓喜の表情でユキミチの方へ振り返った。
「やったねユキミチ! 乗り物が手に入るって!! これで王国を出てからの移動も心配ないよ!!」
しかし、ユキミチの表情はリリアほど浮かれていなかった。
「‥‥‥いや待てリリア。この話、俺たちにとってあまりに都合が良すぎる」
「えっ?」
追手から逃げながら、まさに王国を出ていこうというこのタイミングで乗用車の取引を持ちかける商人‥‥‥。ユキミチには不自然に思えてならない。
ユキミチは、ここは異世界なのだから自分に起こる何事も意味のあるイベントになるだろうと考えている。しかしそれは良い意味ばかりではなく、悪い意味にもまた同じ。
「例えば、俺たちから受け取ったそのかべまるとやらで再び俺たちを拘束する‥‥‥なんてことができそうだな」
「‥‥‥私を疑っておいでのようですね」
「顔も見せずに虫の良いことばかり言ってるんだ。疑わない方がおかしいだろう」
徐に険悪な雰囲気へと変わっていき、リリアは不安そうに二人を交互に見つめる。
「しかしもう、これ以上無駄話をしている時間もありません。かくなる上は――」
エナが何か動きを見せようとし、ユキミチも臨戦態勢に入ろうとした。この僅かな間でエナは――
「まぁなんと素敵な光沢をした外装!! 高級感溢れる座席のふわふわした座り心地!! そしてなんといってもハンドルの質感が堪らない!!」
魔導機関車に乗り込み、ユキミチたちの目の前でレビューを始めたのだった。驚きの行動にリリアはすっかり目を丸くしていた。しかしユキミチはというと‥‥‥
「あーー!! ずるいぞ!! 一人だけ勝手に乗って!!」
「ずるいも何も、私の所有物ですもん!! とやかく言われる筋合いはありません~」
まんまとエナの挑発に踊らされているのだった。
「かべまるを譲ればこの魔導機関車はあなた方のものになるんですよ? どうするんですか~?」
「ぐぐ‥‥‥! いやしかし、こんなの明らかに罠だ! 俺は騙されない!」
「本当に良いんですかー? じゃあ私このまま魔導機関車で走り出しちゃおっかなーー」
「ぐぐぐぐぐ‥‥‥‥‥‥!!」
――数分後。
「毎度ありがとうございました~!」
大きく手を振るエナとかべまるを手に持つラバンを背に、ユキミチとリリアは王国の門に向かって魔導機関車で走り出していた。
「なんだこれ最高だーー!!」
「二人とも!! どうもありがとう~~!!」
ユキミチとリリアのはしゃぎ声が聞こえなくなるくらいで、エナは前屈みになって大きく溜め息をつく。
「――はぁ~、流石に疲れました‥‥‥」
ラバンはその背中を優しくさすってあげた。
「お疲れさん」
「これで、全て上手くいくでしょう」
役目を終えたと言わんばかりに、エナは自分の顔を覆っている布を取った。




