37話 王女は決意する
ユキミチの周囲で、パチパチと火花が光り始めた。その様子を見ながら、リリアは耳を疑っている。
「スキルを発動って‥‥‥えっ、何? 攻撃するの?」
「ああ、攻撃する! ここら一帯を!!」
ユキミチは確かにそう答えた。"ここら一帯"と聞いてすぐに辺りを見回すリリア。その視界に映り込んだのは、この町の住民たちだった。
自分たちがいつの間にか注目されていたことも驚きだが、それ以上に住民諸とも攻撃しようとしているユキミチへの疑問の方が遥かに大きい。
「ねぇどういうこと? 人がたくさん居るんだよ!?」
「ここを抜けて、旅に出るためさ!!」
リリアはユキミチの考えが信じられない。自分の我が儘のために、その圧倒的な力で全く関わりのない住民たちを屠るというのか?
ユキミチは頭がおかしくなってしまったに違いない。もう言動が滅茶苦茶だ‥‥‥。リリアはどうにかしてユキミチを止めようと、ユキミチに近づいていく。
「止めてよユキミチ!」
――それを見逃す訳にはいかないイスタ。メイドが再び勇者に接近する前に、ケリをつけなければならない。イスタは挙げていた手を振り下ろし、衛兵たちに発砲の合図を出した。
衛兵たちはそれを視界に認めて、人差し指の腹に触れているその引き金を直ちに引こうとしたのだが――。
《照準電撃》
――ユキミチのスキル発動の方が、ほんの僅かに早かった。
ユキミチとリリアを遠巻きにしていた住民たちの間を、一筋の稲光がバチバチと鳴りながら駆け巡る。
一瞬のことで、それを離れて見ていたイスタの目でさえ追い切れぬ内に、稲光は姿を消してしまった。
まるで時間がピタリと止まってしまったかのように、空間は忽然と静まり返る。
それから数秒の沈黙の後に、住民たちは騒ぎ出した。
「な、何だ今のは!!」
「何か光らなかった!?」
「雷か!?」
住民たちの視線はすっかりユキミチとリリアから逸れている。リリアは何が起こったのか全く分からず、戸惑っていた。一方でユキミチはスキルを使った作戦が上手くいき、ガッツポーズを決めていた。
「じゃあ、俺は行くよ。いざ自由な旅へ!」
間もなくユキミチは駆け出し、気が動転している住民たちの間をスルスルと抜けていった。
「あ‥‥‥」
その背中をただ愕然と見つめるリリア。住民たちが騒がしく動き回り、瞬く間にユキミチの姿は埋もれて見えなくなってしまった。
未だに何が起こったのか理解できていないが、ひとまず住民たちは無事のようである。リリアは肩の力が抜けて、大きく安堵のため息をついた。
‥‥‥でも、ユキミチは行ってしまった。
――"これで良いの?"
リリアの中にそんな問いかけが浮かぶ。それに答えるようにリリアは心で呟く。
『ユキミチと一緒に冒険者になれないのは残念。だけどユキミチが"国を出る"という選択をしたのだから、仕方がないこと』
勇者が王国を裏切ることなどあってはならない。自分はユキミチを止めなければならない。だがどうしても彼がそんな悪い人間のようには思えない。むしろ、尊敬の眼差しを向けてしまうほど。彼なら何でもできてしまうのではないかと思う。
だから、これで良いんだ。もうユキミチを止めない。
「‥‥‥」
答えは出たはずなのに、気持ちが晴れない。心の中が、ずっと騒がしい。
リリアは両手で自分の胸を押さえた。トクントクンと波打つ鼓動が手に伝わってくる。『落ち着け、落ち着け』と心に唱えるが、一向に落ち着かない。心の奥で何か叫んでいる。抑え切れない――。
――"私はこれで良いの?"
周囲の雑音が全てシャットアウトされ、心の奥底から、その真の問いかけは聞こえてきた。
「私は‥‥‥」
自分はどうなのか。自分はどうしたいのか。
――好奇心は、昔からあった。知りたいことは何でもアンに訊いて、教えてもらった。やりたいことも沢山あって、色んなことをアンが一緒にしてくれた。
冒険者に憧れを抱き始めた頃から、"王女"という身分を意識するようになった。『王女はこうでなければならない』、『王女としてこう振る舞わなければならない』という縛りを一層強く感じるようになった。冒険者ばかりは、アンも認めてくれない。
諦めるつもりなんてない。‥‥‥でも、具体的に何かできる訳でもなくて。
勇者――ユキミチと出会ってから、それまでの考え方が大きく揺らいだ。
彼はこう言ったのだ。
『この夢にあふれた異世界を、誰かが敷いたレールの上で大人しく生きるなんて勿体ない! 自分のやりたいように、自由に生きる方がずっと楽しいに決まってる!!』
きっと昔の自分なら、そんなの当たり前だと感じていただろう。
ところが今日その言葉を聞いて自分は、大事なことに気づかされたように感じた。
"気づいた"というより、"思い出した"。
王女として生きていく中で、自分は自由なようで、本当はそうではなかった。
ユキミチはあまりに自由だった。それを目の当たりにした自分が漠然と感じていた"何か"。今の自分になら分かる。
自分の周りの環境がどうであれ、最後に決めるのは自分自身なのだ。自分が決意しなければ現状を打破することはできず、夢に近づくこともできない。
この後、どうなってしまうのかは分からない。――いや、きっと大変な騒ぎになる。この意を決してしまえば。
それでも、このチャンスを逃したくないから。不思議と、これを逃してしまえばもう二度とないという確信がある――。
リリアは自分の胸を押さえていた手を離し、前を向いた。
「私も‥‥‥‥‥‥ユキミチと一緒に行く」




