29話 王女は往く
「ユキミチは僕を"最初の友達"って言ってくれたんだ。嬉しかったなぁ」
「ねえ私は? 友達とすら認められてないの? ――ってそんなことより‥‥‥」
ヒロからユキミチの話を聞き、リリアは自分の足元を確認した。そこには確かに、ユキミチの作業着があった。ユキミチが着ていた時よりもしわくちゃで、泥まみれになっている。自分はついさっきまでこれを尻に敷いて眠っていたのだと気づく。
「やっぱりお城のメイドさんって、そんなに忙しい仕事なの?」
ヒロが問いかける。
「‥‥‥うん。だから、すぐ城に戻らなきゃいけない」
リリアは嘘をついた。城に戻らなければいけないのは、メイドが忙しいからではない。自分が王女で、城を無断で抜け出しているからだ。
王女である自分のために、ユキミチはこうしてくれたのだ。それはよく理解できている。
彼は言っていた、「俺は自分のやりたいように生きる。そう決めたんだ」と。ユキミチは"勇者"という与えられた役目を放棄し、国を敵に回してまで自分のやりたいことをやろうとしている。
この世界に召喚される前、ユキミチがどんな生活を送っていたかは分からないが、それだけの強い意志と覚悟が彼にはある。
じゃあ、自分はどうだろう――――。
「ユキミチって、凄いよね」
「えっ‥‥‥?」
ヒロは唐突にユキミチを褒め始めた。
「この国に来たばかりで知らないことだらけのはずなのに、少しも恐れている感じがないっていうか。何だかとっても楽しそう」
「それは‥‥‥確かにそうかも」
「僕も、きっと彼と似た境遇だと思うんだけどなぁ」
ヒロは悲しげに、小声でボソッと呟いた。リリアにはそれが正確に聞き取れなかった。聞き返そうとするが、ヒロが先に尋ねた。
「リリアはこれからどうするの?」
「どうするって‥‥‥、私は城に戻らなきゃ――」
「それは本音?」
引き留めるかのようにリリアの言葉を遮って問いを重ねるヒロ。
「リリア、何か悩んでるでしょ」
「‥‥‥どうしてそんな事が分かるの」
自分が何か決断し兼ねていることを、出会ったばかりのヒロにいとも簡単に見抜かれて少し不愉快なリリア。
「リリアがそういう表情をしてるから。その表情、僕もよく知っているから」
ヒロはさらっと答えた。リリアは驚いた。顔に出るほど自分は悩んでいたのか、と。
このまま城に戻れば、また慣れ切った平穏な日常を送ることになる。別に嫌なことはない。アンは色んなことを教えてくれるし、毎日のご飯も美味しい。広々とした部屋でくつろげるし、綺麗な洋服も沢山ある。
これ以上贅沢な生活はない。自分は大人しく城に戻るべきだ――――。
「――ヒロ。私、‥‥‥ユキミチを追いかけた方が良いのかな」
自分には答えが分からない――否。気持ちはもうそこにあるはずなのに、あと一歩決断に踏み込むことができないでいる。リリアはそう決断するための何か後押しが欲しくて、第三者であるヒロにその回答を委ねようとした。
ところが――。
「えっ、それは駄目でしょ」
「駄目なの!?」
ヒロはあっさり否定したのだった。
「だって、そんな事したら帰りがさらに遅くなってもっと怒られちゃうんじゃないの?」
「‥‥‥そ、それはそうだけどさ!! ヒロが私の本音を訊いたんじゃん!」
「うん。訊いてみただけ」
「何それ‥‥‥」
真面目なのか、ふざけているのか。ヒロと話していると何だか調子が狂う。リリアはため息をついた。
しかし気づけば、その答えは自分の中でまとまっていた。
このまま城に戻るのは嫌だと思っている。どうしてもユキミチを追いかけたいと思っている。
まだ、終わりたくないと思っている――――。
「ねえ、ヒロ」
「何?」
賑やかな表通りとはまるで違い、そこに涼しい風が吹き抜ける。息を大きく吸い、リリアは言った。
「私、ユキミチを追いかけるよ」
ついにリリアは決断した。ヒロは心配そうにリリアを見つめる。
「良いの? お城に戻らなきゃいけないんでしょ?」
「大丈夫。いや、大丈夫‥‥‥ではないけど‥‥‥。でも!」
リリアは凛とした表情でヒロを見つめ返した。
「私はユキミチの所へ往く。そう決めたんだ」
その真っ直ぐな瞳を目の当たりにして、ヒロの不安げな表情は和らいだ。
「‥‥‥分かった。頑張ってね」
ヒロの言葉に力強く頷くリリア。
その時、表通りの方からこんな声が聞こえてくる。
「裏路地に潜んでいるかもしれないぞ!」
「よし、そっちに数を回せ!」
誰かを捜しているような男たちの会話。リリアは訝しげに表通りの方を向く。
「そういえば、目が覚めた時から向こうの方が騒がしい気はしてたんだけど‥‥‥」
「ああ、そうだった。ユキミチがここに逃げてくる時もリリアはずっと眠ってたから、知らないんだよね」
ヒロは、表通りで何が起こっているのかをリリアに教えた。
「――わ、わわわわわわ、私たち‥‥‥街の住民に追われてるの!?!?」
「うん、そうだよ」
あっさり肯定するヒロ。リリアは大慌て。
「た、大変じゃん!! さっきの声、これからこっちに来るみたいに言ってたし!!」
「大丈夫大丈夫。住民たちは"ユキミチがメイドさんに何かしたんだ"って怒ってるみたいだから、リリアは逃げる必要ないよ」
「あっ、そっか。私メイドだから逃げなくても良いんだ~。――って、違う違う違う!!」
一瞬リリアは何も考えずに安心しかけて、しかしすぐに正気になった。自分は王女であり、それがバレる訳にはいかないのだと。
ガシャガシャと、いよいよ物音がこちらに近づいてくる。これにリリアは違和感を覚えた。
「ねえ、ヒロ‥‥‥。ここの住民たちって、あんなに金属音が鳴る洋服を着ているものなの?」
「いや、そんなことはないと思うけど‥‥‥」
ガシャガシャと、その物音はだんだん大きく、近くなってくる。耳を澄ましてそれを聞いていたリリアは、一つの事実に気がついた。
「まさか!」
「‥‥‥どうしたの?」
その物音は、街の住民たちのものではない。
「衛兵たちがもうここまで来てたんだ!!」
衛兵はやはり、ユキミチを追いかけてきていた。国が世界に誇る優秀な兵団だ。相当な人数で国中をくまなく捜索しているはず。当然、城を無断で抜け出した自分も見つかってはまずい。
「兵士さんたちも誰かを捜してるの?」
「そう、ちょっと色々あってね‥‥‥。ヒロ、私もう行かなきゃ。ユキミチのこと、教えてくれてありがとう!」
リリアはユキミチの作業着を両腕で抱きしめ、慌ただしく別れの挨拶をした。ヒロはゆるりと頷く。
「この道は暗いから、転ばないように気をつけて。ユキミチにもよろしくね」
「うん!」
手を振るヒロを背に、リリアはユキミチがいるはずの南の方へ駆け出した。




