27話 王女は天然な少年と出会う
それからしばらくアンは涙を流していた。ユキミチはその様子を、右手を構えたままじっと眺めるだけだった。
このメイドが何をしたいのか、全く分からない。王女のために激しく憤怒したかと思えば、今度はしくしくと泣いている。
もしや、自分の脅しがそんなに恐ろしかったのだろうか? しかしそうだとしても、メイドの発言は依然として意味不明だ。
さて、どうしたものか‥‥‥。今のこのメイドは、もはや戦意を喪失しているようである。もう無視して先に進もうか? それとも何か言葉をかけてあげるべきか? ‥‥‥だがつい今しがたメイドを脅しかけた身でありながら、果たして何と言えよう。
ユキミチが行動に悩んでいると、アンの方が先に動き出した。
「――王女様の捜索を続けます。もうこれ以上考えても仕方がないので」
涙を拭ってはっきりとした声で言うアン。その言葉に、ユキミチは少し驚いた。それは、メイドが自分と戦わない選択をしたことに対してではなく。
「勇者の言葉を一度だけ信じます」
明らかに雰囲気が変わっていることに対してである。
あまりのアンの変わり様に、ユキミチは愕然としていた。
「私はアン、王女様の世話役を仰せつかっているメイドです。もし勇者が言っていたことが嘘だったら、私は今度こそ勇者を許しません。私の名前を、よく覚えておいてください」
迷いなくそう言い切ると、アンはユキミチの反応を待たずしてすぐさまその場を去っていった。
「‥‥‥‥‥‥ええ?」
夢でも見ていたのだろうか? ユキミチは頭の整理が追いつかない。
「――って、別に考えることはないか。この国を出れば関係ない話だし」
ユキミチは考えることを止め、南の方へ向かって再び進み始めた。
* * * * *
時は少し遡り、商店街の出口でユキミチとアンが対峙した頃。商店街の裏路地にて。
「え~!?!? ユキミチ、一人で行っちゃったの!?」
暗がりで驚嘆しているのは、目を覚ましてまだ間もないリリアだった。これに頷く、一人の少年。
「うん、何だか先を急いでいる感じだったよ。君は、ユキミチの知り合いなんだよね。どうして置いてかれちゃったの?」
「それ私が聞きたいんだけど!! ‥‥‥というか、ここはどこ? あなたは誰? 私は? ――いやいや、えっと私は‥‥‥リリア! そう、私はリリア!」
リリアは寝起きで頭があまり回っておらず、疑問が滝のように溢れ出てくる。さらには危うく自分の名前さえ忘れかけた。
彼女は目を覚ますと自分のことよりも先に、ユキミチの行方を尋ねていた。誰なのかも分からない初対面の少年相手に。
「君、リリアって名前なんだ」
意外そうな面持ちで言う少年。それでリリアは、はっと気がつく。自分は今、メイドに扮して城を無断で抜け出しているのだと。
当然、本名を知られてはまずい。
「リリア‥‥‥。その名前は聞き覚えがある。何だっけ‥‥‥」
少年は重大な事実に気づきそうになっている。リリアは慌てて誤魔化そうとする。
「あっ!! 違う違う!! リリアじゃなくて、その‥‥‥リ、リリオ! 私の名前はリリオだよ!!」
しかし遅かった。
「思い出した、王女様の名前だ! 君、本当にリリアって名前なの!?」
「だ、だから違うの! ‥‥‥私はリリオ! リリアじゃないよ」
頬を膨らませ、籠ったような裏声と奇怪な踊りで別人を装うリリア。少年とはそもそも初対面なので、そんなことをする意味は全くないのだが‥‥‥。
「えっ、リリアじゃないの?」
「そう、私はリリオ! ヘヘン!」
リリアは何とか正体を誤魔化せそうで、わざわざ妙な笑い方まで添えて安堵する。
「そんな訳ないでしょ」
「へヘヘン! ‥‥‥‥‥‥へ?」
リリアの動きがピタリと止まる。少年は真顔で言った。
「君は確かにリリアだと名乗ったし、その後の嘘があまりにあからさまだよ」
「す、鋭い‥‥‥」
完全に見抜かれている。その瞬間、リリアは諦めた。この少年は凄く頭がキレる人なのだと。
「はい。リリアです‥‥‥」
頬を萎ませ、視線を落として脱力した様子のリリア。少年は笑顔になった。
「すごいね! 君はリリアなんだ!」
「はい。私がこの国の王女リリアで――」
「王女様と同じ名前だなんて、びっくりだよ!」
「はい。‥‥‥‥‥‥へ?」
少年の反応に、リリアは間の抜けた顔を上げた。
「王女様は確か今年で十六歳になるんだっけ。年齢も同じくらいじゃない? 凄い偶然だね!」
なんと少年は名前を知ってもなお、リリアが王女だと解釈しなかった。
「あー、えーと‥‥‥うん。そ、そうなの! 本当に凄い偶然!」
戸惑いながらも少年に同調するリリア。自分が王女だとバレないのであれば、それに越したことはない。
「僕はヒロ。どうぞよろしく」
丁寧に頭を下げる少年――ヒロに、リリアも反射的に会釈を返す。
「こちらこそよろしく。‥‥‥ところで、ここはどこなの?」
「ここはカイデン街、商店街の裏路地だよ。ユキミチが眠っているリリアをここに連れてきたんだ」
リリアは辺りを見渡して、違和感を覚える。
「商店街は賑やかなのに、ここはとても静か‥‥‥」
「うん。こっちに人が来ることはほとんどないよ」
「へ~。‥‥‥って私、今まで眠ってたの!?」
遅れて衝撃の事実に気づいたリリア。ヒロは大きく頷いた。
「それはもう、ぐっすりね。ユキミチにお姫様抱っこされながら」
ヒロが最後に発した言葉に、リリアの顔は真っ赤になる。
「お、お姫様抱っこ!?!?」




