20話 勇者は住民に追われる
「――そういえば、さっきのお嬢様口調は何だったんだ?」
ユキミチはふと気になっていたことを思い出してリリアに問う。
「えっ? あれはただの演技だよ。正体がバレないためのね」
「それは分かるけどさ、どうしてお嬢様口調なのさ?」
「‥‥‥ああ、そういうことね!」
ユキミチの質問の意図を理解すると、俄然と得意げな面持ちになるリリア。ユキミチは頭上に疑問符を踊らせる。
「理由聞いたらユキミチきっとビックリするよ!」
「ビックリ‥‥‥?」
周囲の人々に聞こえないよう、リリアはユキミチにぐっと近づき、耳打ちした。
「お嬢様口調って、国の王女様や貴族の御令嬢が使いそうなイメージあるでしょ?」
「ああ」
「でも今どきお嬢様口調で話す王女なんてどこにも居ないよね」
「‥‥‥そう、なのか?」
「そこで思いついたの! 敢えてお嬢様口調で喋れば、誰も私が王女だなんて怪しまないじゃん! ってね。どう? 凄くない!?」
リリアはとても上機嫌になっている。何せ城のメイドや街の住人を欺いて"始まりの間"に来れたのも、お嬢様口調で話していたおかげだと思い込んでいるのだから。
そんなリリアにユキミチは一言こう返す。
「お嬢様口調で喋るメイドはもっと珍しいんじゃないか?」
「‥‥‥え?」
"お嬢様口調で喋るメイド"という奇怪な文字列に、全身が凍りついてしまったリリア。そしてカクついた動きで自分の服装に視線を移し、気づく。
――今の自分は、メイドだった。
「王女だと怪しまれなくても、メイドとして怪しいと思うぞ」
ユキミチの指摘によって、リリアの浮かれていた気持ちがスッと消えていく。
「怪しい‥‥‥かな‥‥‥」
自分でも分かりきっているはずなのに現実を受け入れられず、ユキミチにその判定を委ねるリリア。
「かなり怪しいな」
そのユキミチの回答でリリアは一気に赤面した。
これまでの自分の言動を振り返って、むくむくと羞恥心が涌き上がってくる。すると‥‥‥
「――いや、待てよ? メイドがお嬢様口調で怪しいなんてのは俺の固定観念か」
ユキミチがブツブツと独り言を唱え始めた。
「ここは異世界なんだ。俺の価値観でものを考えちゃ駄目だよな‥‥‥。この世界ではメイドがお嬢様口調で喋ることだって何ら不思議じゃないのかもしれない」
「ちょ、ちょっとユキミチ、何を言ってるの‥‥‥?」
ユキミチがおかしな考え方をし始め、リリアは焦り出す。
「いやいや、そもそもお嬢様口調は今や世界中で誰もが使っている公用語のような存在である可能性だって――」
「ないよ!! そんなこと全然ないから!! お嬢様口調で喋るメイドはとっても怪しいです!!」
リリアは耐え切れずに大声で叫んだ。ユキミチの先入観が間違っているのではなく、ただただ自分の言動がおかしかったのだという訂正。それがどれだけ恥ずかしいことか、リリアは全身の鳥肌が立ち、頬も鼻も耳も真っ赤になっていた。
ずっと小声でやり取りしていたはずなのに突然リリアが大声を出すので、ユキミチは目を丸くしていた。
「あなたの考えは何も間違ってないから!! 私がおかしいだけだから!! 私が一人で恥ずかしいことしちゃってただけだから!! ねえ分かった!?」
羞恥心のメーターが振り切れてしまい、目をぐるぐる回しながら叫び続けるリリア。
「わわ、分かった! よーく分かったから!! 頼むから少し落ち着いてくれ!」
ユキミチは必死にリリアを宥めようとする。何故なら――
「おいおい、何の騒ぎだ?」
「ありゃあお城のメイドさんじゃあねえか!」
「隣の男は誰なんだ?」
「何かの揉め事?」
周囲の人々の視線がユキミチとリリアに集まっていた。
ユキミチにはまだよく分からないが、どうもこの国の人々は"城のメイド"に対して気前が良い。
大勢の人が行き来するこの商店街。何か問題を起こせば少なからず人々の注目を浴びるであろう場所だというのに、あまつさえ城のメイドが騒いでいるとあれば、より多くの人が集まってしまう。
このまま人が集まり続けると、いずれ誰かに自分たちの正体が見破られるかもしれない。とにかく状況は芳しくなかった。
リリアは恥ずかしさのあまり、すっかり混乱してしまっている。全く周りが見えていない。
そして倒れそうになるリリアを、ユキミチは支える。そこに人がどんどん押し寄せ、口々に問い詰める。
「おい、そこの君! 彼女は城のメイドさんだろう。一体何があったというんだ?」
「ええと、これは‥‥‥」
「そもそも君は何者なんだ?」
「俺はこの国を訪れたばかりの――」
「お前、さては敵国のスパイか!? 城のメイドを狙ったのか!!」
「ちょっと待て、何故そうなる!?」
「みんな気をつけろ!! 敵襲だぁぁ!!」
大勢がユキミチらに注目しているが、正しくユキミチとリリアの姿を目撃しているのはほんの一部の人のみ。残りは皆、周囲の音や他の人の発言を頼りに憶測を立てるしかない。
そこに"スパイ"だの"敵襲"だのという言葉が飛び交えば、どうなるかは明白である。
「男を捕まえろー!!」
「おいおい嘘だろ!?」
人々はユキミチに襲いかかろうとする。もはやどう説明しようと無駄だろう。ユキミチは紙袋の持ち手を腕に通すと、意を決してリリアを抱え、走り出した。
何気に、人生で初めて"お姫様抱っこ"をした瞬間だった。
人の群れを半ば強引に切り抜け、商店街を逃げ回る。
「リリアお前、軽いな!」
リリアを抱えたまま大勢の人々の囲いを抜け出すことが可能なのか、ユキミチは不安だった。むしろ不可能だと思っていた。それでもやるしかなかったので実行したところ――なんと上手く抜け出せていた。
自分でやっておきながら、ユキミチは不思議に思っていた。走っている今も腕や足に疲労を感じていない。高校の部活を引退して以来、運動はほとんどしていなかったはずなのに。どこにこのような力を秘めていたのか。
そこでユキミチは国王の言葉を思い出した。
"君のように召喚された異世界人は、この世界では常軌を逸するレベルの能力を持っている"
「これがその"能力"ってやつなのか」
そうと分かって少し嬉しくなるユキミチ。しかしその喜びも束の間。ユキミチは慌てて足を止めた。
噂の拡散というのは恐ろしく早いもので、いつの間にか前方からも大勢の人が押し寄せてきていたのだ。
「嘘だろ‥‥‥」
さすがに呆気にとられるユキミチ。気づけば商店街のあちこちで人が騒ぎ立てていた。
まずい。あまりに人が多すぎる。これは‥‥‥逃げ切れない、と諦めかけた時――。
「こっちだよ」
――騒がしい音の中に、一つの澄んだ声がユキミチの耳に入ってきた。
その一瞬、声のした方角は綺麗な一本線を描くように人が全く居なかった。
ユキミチは咄嗟にそちらの方へ駆けて行った。




