17話 王女は赤面する
リリアが馬車を降り、ユキミチも脱いだ作業着を紙袋に詰め込み、それを持って後に続いた。大地に足が着くと同時に、ユキミチの視界には一気に華やかな景色が広がった――。
表通りの両側に並ぶ店の数々。遠目で適当に一つの店を見てみると、そこでは林檎や葡萄に似た目新しい果実を取り扱っているではないか。他にも見たことのない鉱石がずらりと置いてある店や、武具を取り揃えた店などもある。
人々の方に注目してみれば、中世ヨーロッパを彷彿とさせるような衣装の老若男女で賑わっている。そしてその中には、背中に剣を携えていたり全身に防具を纏っている"冒険者"とおぼしき人影もちらほらと。
まさにユキミチの思い描いていた"ファンタジー"がそこに広がっていた。あまりに壮観な景色を目にし、ユキミチは口をぽかんと開けたまま見入っていた。
ユキミチたちを乗せていた馬車は大きく回ると、北の方角へ向き直った。
「それじゃ、あっしはこの辺で失礼しやす」
御者が軽く頭を下げる。そして去ろうとする馬車を、リリアが慌てて呼び止めた。
「待って! まだお金を払ってなかった!」
「あぁ、そのことでしたら構いやせんよ。今回お代は頂戴致しやせん」
御者はさらりとそんなことを言った。思いもよらないその返事に、リリアは目を丸くする。
「え!? あんなに長い時間乗せてもらったんだよ!? お金払うよ!!」
「いえいえ、本当に良いんですよ。――代わりに、良いものを見せてもらいやしたからね」
そう言って妙にニンマリと微笑む御者。"良いもの"という言葉に心当たりのないリリアは不思議そうに御者の顔を見つめる。
「ようやく分かりやしたよ。‥‥‥お嬢さん方の正体が」
「ギクッ‥‥‥!!」
露骨に声を出して驚くリリア。"お嬢さん方の正体"。これを聞いた瞬間、リリアは我に返ったのだった。
まさかバレてしまったのだろうか? 勇者だけでなく、自分が王女だということまで。
「あなた方さては‥‥‥」
睨みつけるような視線をリリアに向ける御者。リリアは全身に緊張が走る。
自分が王女だとバレれば、勇者に加担して"始まりの間"から逃げてきたとバレれば、すぐに国王である父親へ知らせがいくだろう。そうなれば自分は父親からひどく叱責される。
「ほんの出来心で‥‥‥」なんて言い訳は通じないだろう。勇者召喚の儀式を少し覗くどころか、その勇者と共に商店街まで逃亡しているのだから。これは言い逃れようのない国家反逆だ。
そういえば、どうして自分はここまで勇者に協力しているのだろうか? 初めは脱走しようとする勇者のことを説得していたはずなのに。
気づけば勇者と馬車に乗り込み、気づけば商店街を訪れ、気づけば正体がバレないようにと勇者のための衣服を買っていた。
何をそんなに衝動的になっているのだろうか。勇者召喚の儀式で少し勇者を見ることができれば、それで良かったはずなのに――。
「あなた方さては――――――付き合ってるんでしょ!!」
「‥‥‥‥‥‥へ?」
想像の斜め上をいく発言に呆然とするリリア。しばらく硬直し、それからゆっくりと御者の言葉を反芻し始める。
"付き合ってる"‥‥‥‥‥‥?
"付き合う"‥‥‥‥‥‥。
"男女が付き合う"‥‥‥‥‥‥、それはつまり‥‥‥‥‥‥
――――――――"恋人"ということ‥‥‥?
ユキミチと‥‥‥‥‥‥【恋人同士】!?!?
俄然と頬が真っ赤に染まり、リリアは両手で顔を覆った。御者はずっとニヤニヤしている。それまでの自分とユキミチのやり取りが、全てそういう目線で見られていたのかと思うと余計に恥ずかしくなる。
「ああわわわわ‥‥‥そ、そんな訳、なななないでしょう!? 突然、何を言い出すの!!」
目をぐるぐる回しながら必死に否定するリリア。それが御者にはとても面白い。
「あはは、そんなに取り乱すことはないでしょうに。初めは大人しい雰囲気だったのに、森で旦那と戻ってきた時からはずっと楽しそうにしてて。顔に大きく"好き"って書いてあるようなもんですよ」
「えっ、私そんなに楽しそうだった‥‥‥?」
「それはもう、無邪気に遊ぶ幼い子供のように」
そう言って御者は続ける。
「異国人の旦那に、メイドのお嬢さん。となるとおおよその粗筋は‥‥‥"国王様にその恋を否まれ、旦那に処罰が与えられそうになってるところをお嬢さんが救出、そしてそのまま逃亡!"ってとこですかね。さしずめ"愛の逃避行"って訳だ!!」
御者の憶測がエスカレートしていく。リリアはもう耐えられない。
「だ、だからそんなんじゃないってば!!」
「お嬢さん頑固ですねぇ。そんな真っ赤なお顔じゃあ、さすがに誤魔化せやせんよ?」
リリアはこれまで"恋人"というものを考えたことがなかった。周囲からそういう話を聞くこともなかった。故に、その手の話を聞くことへの耐性が皆無だった。
事実ではないのに御者の憶測をそのまま頭で想像してしまい、リリアの羞恥心は限界まで高まっていた。
リリアは激しく高鳴る胸に手を当てて、自分に落ち着け落ち着けと言い聞かせる。
自分が王女だということはバレていないじゃないか。ユキミチが勇者だということはバレていないじゃないか。それなら何も問題はないのだから、堂々と振る舞わなくては。このままでは余計に怪しいだけだ。
「も、もう放っておいてくださいっ」
必死で涼しげな顔を繕うリリア。御者はニヤニヤしたまま頷く。
「ええ、これ以上首を突っ込むのは野暮ってもんですね。今度こそ、失礼致しやす」
「あっ、でも本当にお金払わなくて良いの?」
「あっしはもう満足でさぁ。"愛の逃避行"に加担して、久々にドキドキさせてもらいやしたからね!」
御者の言葉にまたもリリアは赤面した。馬車は逃げるように走り出す。
「だからそれ止めてってば!」
「あははは、どうぞお達者で~!!」
こうして馬車は去った。リリアは頬にほんのりと赤さを残したまま、ユキミチの方へ振り向く。
「御者さんの言ったことなんか気にしなくて良いから、早く行こ‥‥‥って、あれ?」
さっきまでそこに居たはずのユキミチの姿が見当たらない。リリアは慌ててあちこちを見回す。
すると遠くから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「おぉ! すげ~!!」
声のした方を探してみると、ここから少し離れたところにユキミチの姿が。どうやら彼には御者の話が一切聞こえていなかったらしく、リリアを待ちきれずに一人先走っていたようだ。
「ちょっとユキミチ! 待ってよ~!!」
リリアは羞恥心などすっかり忘れて、急いでユキミチの元へ走っていった――。