第1話「なぜか裸足じゃないと魔法が使えないの」
「う,いててて…」
私は頭や体に痛みを感じながら目を覚ました。体を起こそうと手をついて、横たわっていたのが土の地面だと気づく。周りからは風が草木を揺らす音と、何かわからない動物の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
「え、どこ、ここ…」
空を見上げると太陽は沈みかけ、夕焼け色に染まっている。どこを向いても、道のようなものはなく、ただ森が続いていた。私は立ち上がると、体に付いた葉っぱや土を落とす。着ているものは、気を失う前と同じ、学校の制服だった。土でところどころ汚れてしまっているが、破れなどはない様子だった。同じく土で汚れた白いハイソックスに、ローファーもちゃんと履いている。ただ、持っていたはずの通学かばんは近くになかった。もちろん、その中に入れていた財布やスマホなんかも、手元には残っていなかった。
「とりあえず、誰か探さなきゃ…」
ここはどこだろう、今何時なんだろう。私はとにかく誰か人を探そうと立ち上がって、ふらふらと森を歩きだした。どこに行けばどこにたどり着くのかもまったくわからないままなので、とりあえずこっちかなと思った方へ歩き出す。
私の自宅の周りはきちんと舗装された道路で、こんな森の中など歩いたことはなかった。記憶にあるのは、小学生の自然教室や、中学入学したての頃に行った登山だろうか。そのときは運動靴を履いていたおかげで、歩きにくいということはなかったけれど、今履いているのは山道には不向きなローファーだ。しばらく歩き続けると、かかとや足先がすれて、日ごろ履きなれたローファーではあるものの、足が痛くなってきた。一休みしようと、ちょうどいい感じの切り株があったので、虫とかがいないことを確認してそこに腰かけた。ローファーを脱いで、切り株の上に足を上げる。左足は見たところ血は出ていない様子。だた右足の方はかかとの部分がすれて、白いソックスに血がにじんでいた。おまけに両足とも、ローファーの中に入ってきた土で全体的に茶色く汚れてきていた。
「足、いったい…。何かないかな…」
私はブレザーのポケットを探して、ようやく1枚の絆創膏を発見した。よかった、奇跡的に残っていた。私はソックスを脱ぐと、右足のかかとの部分にそれを貼った。よし、これであともう少しは歩けそうだ。ソックスの汚れは、いまはどうしようもないのでそのまま履きなおして、ローファーも履いて、また立ち上がった。
時計もスマホもないので、何分、何時間、何キロくらい歩いたか全くわからない。ただただ、土の地面と森が続くばかり。飲み物も食べ物もなく、私は再び休憩をとることにした。座るのによさそうなものは見当たらなかったので、適当に、近くにあった木にもたれて座る。ふう、と一つ息をついたとき、目の前の茂みが急にわさわさと動き出した。
「なに…?」
すると次の瞬間、その茂みから何か大きな黒いものが飛び出してきた。日常では決して見たことのないもの、動物園でも見かけない、大きなモンスターのような生き物。私は声も出せず、動くこともできなかった。頭に、目のようなものが付いて黄色く光る。そのフォルムは、クモのようだった。全長は3メートルはありそうな、巨大なクモ。マンガやアニメの世界でしか見ないようなそれが、大きな口を開けて、私の方へゆっくりと近づいてくる。私、これに食べられちゃうんだ…。私は死を覚悟した。
「大丈夫?早く逃げて!」
巨大クモが今にも私に襲いかかろうとして大口を開けたその時、何かが私の前に現れて、持っていた杖をクモに向けた。すると一瞬で、その巨大クモは光とともに消えてしまったではないか。え?え?何が起きたの?私はすっかり腰が抜けてしまって、立ち上がることも、相変わらず声を出すこともできないでいた。「あなたは、誰?この世界の人間じゃない、わよね?この森にはほかの世界の人間は入って来れないはずなのに、どうしてここにいるの?」
私の方へ歩いてきたその子は、小学生くらいの背丈で、絵本で見るような真っ黒な魔女の衣装を身に着けていた。頭には魔女の帽子をかぶっている。けれど、足元は、何も履かない、裸足だった。土の地面をずっと歩いていたのか、土で茶色く汚れてしまっている。
「あ、わ、私…、アカネって言います。わからないんですけど、気づいたらこの森にいて…。あの、あなたは…?」
その子は私の前にしゃがんで、目線を合わせて応える。見た目は小学生なのに、なんだろう、慣れているような…。裸足の足が私の目の前にある。土で甲の部分まで汚れてしまっている。靴はどうしたのだろう。
「あたしは、リリっていうの。リトルウィッチよ。アカネ、どうやってここに来たか覚えてる?」
そう聞かれて、気を失う前のことを思い出す。けれど…。
「えっと、確か学校からの帰り道に…、あれ?思い出せない…」
「まあ、いいわ。とりあえず、うちにおいで。ほかの世界の人間がこの森にいると、数時間も生きられないわ」
「え、いいんですか?」
「だって、いくところ、ないんでしょ?」
森で出会ったリトルウィッチという種族の女の子、リリに連れられて、私は彼女の家へおじゃますることになった。魔法が使えて、さっきの巨大クモも、リリの魔法のおかげらしい。リリの家は、私があの巨大クモに遭遇したところから歩いて10分くらいのところにあった。
「アカネは、何歳なの?」
ライトを照らすリリが振り向いて聞く。これも魔法の一つのようで、私たちの周りだけ、ずっと街灯があるように明るい。そのせいで、前を歩くリリの、土で真っ黒に汚れた足の裏がちらちら見える。どうして裸足なんだろう…。そればかりずっと気になって仕方ない。他にも聞きたいことは山ほどあるんだけれど…。
「私は、えっと、16歳、かな。高校生なんだ」
「コウコウセイ…。そうなのね、アカネはコウコウセイっていう種族なのね」
「種族ってわけじゃないんだけれど…」
「その衣装も、コウコウセイの衣装なの?」
歩きながらも、リリはたまにわきから現れる小さな動物を追い返していく。確かに、この森を私だけでは絶対に過ごせなかっただろう。
「あ、これ?うん、そうだよ。制服なんだ」
「初めてみたわ。かわいいのね」
「え?えへへ、ありがとう。…リリは、それが魔女の衣装?」
「ええ、そうよ。これが、リトルウィッチであることの証なの」
今がそのタイミングだと思って、私は気になっていたことをひとつ、リリに聞いた。
「…裸足なのも、リリが、リトルウィッチ、だから?」
ドキドキしながら聞いてみると、リリは意外にも、あ、これ?と何でもないように答えてくれた。
「あたし、リトルウィッチなんだけれど、なぜか裸足じゃないと魔法が使えないの。そういう体質みたいね」
「そう、なんだ…」
「ついたわ、さ、入って」
理由がわかったところで、リリの家にたどり着いた。リリのように小さくてかわいい、森の中のおうちだった。
「疲れたでしょ?お風呂の準備をするから、アカネはイスに座っていて」
「あ、ありがとう…」
私はいつもの癖で、家に上がろうとローファーを脱いだ。それがリリには意外に映ったらしい。
「あら、どうして靴を脱ぐの?」
「あ、そっか、私の住んでることろでは、家の中は靴を脱いで過ごすんだ」
「そうなのね!あたしはそんなこと気にしないから、履いたままでいいわよ。掃除もきちんとしているわけじゃないし」
「うん、わかった」
この世界はアメリカ式なんだな、と思ったところで、リリが帽子を脱いで、杖を入り口近くに立てかけると、裸足のままペタペタと奥の部屋へ歩いていく。そこがお風呂場なのかな。
「あの、なにか手伝うこと、ない…?」
助けてもらったのに、何もしないのはいたたまれなくって、私はリリについていく。すると石造りのお風呂で、リリは土で真っ黒になった足の裏を、布で拭いているところだった。
「アカネ、いいのよ、座って待ってて」
「それは、悪いよ。…私、拭いてもいい?」
「…わかったわ。じゃあ、お願い」
意外とすんなり受け入れてくれて、持っていた布を手渡すリリ。私は、痛くないように最初は優しく、リリの小さな足の裏に布をあてた。綿でできているのか、タオルのような肌触りだ。優しくゴシゴシとするけれど、汚れがこびりついているのか、なかなか土汚れは取れない。
「アカネ、もっと強く拭かないと、汚れは取れないわよ?あたしいつももっと強くしてるから、大丈夫」
「そ、そう?じゃあ…」
私は布を持つ手に力を込めて、ゴシゴシと拭いていく。くすぐったかったり痛かったりしないのだろうか、リリは平然としている。
「…いたくない?」
「ええ、大丈夫よ」
「…ケガとかは、してなさそうだね」
裸足のまま、あんな森の中を歩いていたら、きっと石や木の枝なのでけがをしてしまいそうだ。魔法のためとはいえ、ちょっとかわいそうに思えてくる。
「いいのよ、ケガも魔法で治せるの。今日もちょっと木の枝でケガしてしまったけれど、治癒魔法で治したの」
「そうなんだ、すごいね、魔法って」
たっぷり時間をつかって、なんとか元の肌の色に戻った。けれど爪の間や皮膚にこびりついた細かな土は残ったままだ。
「ありがとう!一人だとなかなかここまできれいにはできないわ。助かった」
「ううん、ほんの少しのお礼だよ」
「じゃあお風呂の準備をするから、アカネは服を脱いでおいてね。あとできれいにしておくわ」
「ありがとう!」
その後、リリがいれてくれた温かいお風呂に浸かり、リリが出してくれた、いわゆるナイトウェアのような服を着て、その日は眠りについた。リリは床で寝るって言ってたけれど、とんでもないことで、結局私とリリは一緒にベッドに横になっていた。眠りにつきながら、目を覚ましたらこれが全部夢で、自宅のベッドに戻っていないかなって、考えていた。
ガシャアアン。
突然大きな音がして、私は飛び起きた。横にいたはずのリリはそこにおらず、寝ぼけた目であたりを探す。するとローブを羽織って杖を持って、裸足のままのリリが、目の前にいる何か大きな生き物と対峙しているところだった。昨日の巨大クモよりも大きい、黒い生き物。
「アカネ、起きた?すぐに窓から外に!」
「リリは!?」
「こいつを押さえておくから!はやく!」
「わ、わかった!」
私はすぐにベッドを飛び出して、すぐそこの窓を開けて家を出た。上は半そでのシャツ、下は半ズボン、そして裸足のままだ。靴は部屋の入り口に置いていて、とても取りに行けるような状況ではなかった。家から離れるため、土の地面を裸足で走る。中学校の体育祭、女子は裸足でダンスを踊ったけれど、裸足で外を走るのはそれ以来だ。雨が降ったのか、土は湿っていて、すぐに足の裏にまとわりつく感触。おまけにところどころ小石や木の枝があって、ちくちくと足の裏に刺さる感触もある。気を付けないと、ケガをしてしまう。リリはこんなところをずっと裸足で過ごしていたのか。しばらく走ったところで家の方を振り向く。すると驚くことに、家の半分があの巨大な生き物で壊されていた。そこからリリが走ってこちらへ向かってくる。
「リリ!」
「アカネ!いくよ!」
リリは素早く私の手を取ると、森の中へ走りだした。
「あれは、なに?」
「わからない、けれど、たぶんあなたを狙っていたわ」
「そう、なんだ…」
「いまは魔法で押さえてるけど、いつ動き出すかわからない。アカネ、走れる?」
「うん、がんばる!」
これからどこにいくんだろう。私は大丈夫なのかな。元の世界に、戻れるのかな。リリに手を引かれ、裸足のまあ森の中を走る私。心の中は不安で仕方がなかった。けれど同時に、少しだけ、この世界にワクワクもしていたのだった。
つづく