最終話 戦争終結~エピローグ
「同志諸君、ファシストの一員であっても日本が義理堅い事に変わりはない。我が国はそれに報いるべきだと思う」
スターリンの言葉に出席者のほとんどが驚いた。外交的な信義を重視し対日戦に反対だったロゾフスキー外務人民委員代理すら驚愕の表情を浮かべている。
表情を変えていないのはベリヤだけであった。彼はスターリンの心理を推し量ることに長けている。その言葉からスターリンがこの大戦の先に何を見ているかをベリヤは瞬時に理解していた。
「良きご判断だと思います。同志スターリン」
ベリヤはすぐに追従した。
「ほう、同志ベリヤ、なぜそう思う?」
スターリンが試すように問いかける。
「はい。我が国が参戦すれば確かに日本を下せましょう。領土も得られましょう。しかし国境の日本軍はほとんど消耗しておりません。最終的に勝利を得るのは間違いありませんが、我が赤軍も相応の損害を被ります」
これは原子爆弾の開発遅延を挽回するチャンスである。ベリヤは堂々と考えをのべた。スターリンは黙って先を促す。
「そして日本を下した功労者は人民が血を流した我が国ではなく、ただ爆弾を落としただけの米国だと皆が考えるでしょう。つまり我が国は払った代償に見合った称賛を得られない事になります。こんな理不尽な話はありません!」
「ならば、どうする?」
スターリンの表情が興味深げなものに変わった。
「慈悲です。大いなる慈悲を示すのです、同志スターリン。日本の望みどおり米英との停戦を仲介しましょう。もちろん相応の見返りを条件として。そうすれば我が国は何の損失もなく、利のみを得ることができます」
「米国や英国は日本に無条件降伏を求めていたはずだが?」
「汚い言葉をお許しいただければ『くそくらえ』ですな。交渉に応じなければ我が国は日本の側に立つとまで言ってやっても良いでしょう。どうせ彼らだって、さっさと戦争を止めたがっているのです。資本主義者どもには我が国と新たに事を構える度胸など有りません」
そう言ってベリヤは笑った。スターリンも彼の物言いが気に入ったのか笑う。
「そ、それでは米英との信義が失われます、同志ベリヤ!」
ロゾフスキーが慌てて異論を挟んだ。
「同志ロゾフスキー、それが何か問題とでも?どうせ戦争が終われば今度は米英が我が祖国の敵となるのですよ。早いか遅いかの違いしかありません」
ロゾフスキーの言葉を笑い飛ばすとベリヤはスターリンに向き直った。
「ここはむしろ日本を取り込んだ方が得策です。資本主義者とはいえ我が祖国に友好的な国家が近くにある意味は大きいはずです。もちろん仲介の対価として相応の領土を割譲してもらうのは当然でしょう」
こうしてソ連は日本に停戦の仲介を申し出た。条件は満州北部(ソ連は国家として認めていない)、南樺太、千島列島の長期租借(返す気など無い)である。さすがに北海道の割譲は日本も認めないだろうとして断念した。
この提案はすぐにモロトフ外相から佐藤大使を通して日本側に伝えられ、同時にソ連は米英に対し日本と停戦するように『要請』した。
日本は、停戦が本当に成ったならばという条件でソ連の提案を飲んだ。
米英は当然ながらソ連の変節に怒り狂った。戦争が終わったはずのドイツでは、一度は手を握りあったはずの米ソの軍が一触即発の状態で睨み会う事態となる。
だが今さら米英に欧州でしかも今度はソ連を相手に戦争を再開する気などなかった。ソ連が本気であることを知った米英は結局渋々ながら停戦を認めざるを得なかった。
1945年(昭和二十年)9月2日サンフランシスコにおいて、ソ連のオブザーバー参加の下、日米英3ヵ国による停戦合意書の調印式が行われた。
調印後に撮影された集合写真では、満面の笑顔のスターリン、無表情の東条英機に対し、トルーマンとチャーチルは苦虫を噛み潰したような表情をしている。それがこの調印式の意味を何よりも雄弁に物語っていた。
なお、中華民国はソ連の反対により参加していない。どのみち中国国内で中華民国は支配領域と民衆の支持を大きく減らしており、すでに各国からも戦争当事者として認識されていなかった。
結果的に枢軸3カ国の戦争は、その立ち位置によって大きく結末が分かれる事となった。
ドイツは国土を完全に蹂躙され無条件降伏したのに対し、イタリアは政変により停戦に近い無条件降伏、そして日本はソ連仲介により条件付き降伏に近い停戦という結果となった。
翌年の講和会議でもソ連は徹頭徹尾、日本の支持に回った。米英は当然ながら過酷な講和条件を主張したが、戦後に日本の国力が必要以上に低下することを良しとしないソ連が戦争をちらつかせて悉く反対する。
結局米英は、開戦前の状態まで日本が占領地を返還すること、委任統治領の放棄、ある程度の軍縮、中国からの撤退、満州市場の開放を要求するに留め、日本もこれを認めた。
ここにおいて第二次世界大戦はついに正式に終結した。
■1947年(昭和二十二年)7月
米国コネチカット州ハートフォード
プラット&ホイットニー本社
「お久しぶりです、ミスターウォード」
「やあミスター深尾、元気そうでなによりです」
「あれからもう10年ですか……お互い変わりましたね」
「ええ、白髪が増えた以外にも色々と」
昨年に講和会議も一応はまとまり日米は通商を再開している。三菱の担当者が戦時中のライセンス費用の清算処理で渡米するのに同行して、深尾はウォードと旧交を温めるため米国に来ていた。
既に役員となり現場の第一線を引いている二人は、事務手続きの些事などには参加せず屋外のベンチに座って近況を報告しあう。以前の様に笑いあう二人だが、日本と米国の関係は決して旧に復した訳ではなかった。
日本ではソ連の要請で共産党が合法化されていた。だが不思議な事に政権与党に協力的であり政府を批判する事も少ない。過激な共産革命を目指す者はいつの間にか姿を消してしまう。そこにはどうやら日本を安定した資本主義国家に留めておこうというソ連の意思が大きく働いている様だった。
この様に資本主義国家でありがなら共産圏に近い立ち位置となった日本に対して、米国は決して警戒を緩める事はなかった。通商や金融面でも様々な制約を日本に対して課している。
事実、重要人物と見られている深尾には米国の地を踏んだ直後から四六時中あからさまな監視が付きまとっていた。そんな監視の黒服達を遠目に見ながら深尾とウォードは久しぶりの会話を楽しんでいた。
「貴社の土星エンジンには驚かされました。まさか日本があの様なエンジンを作るとは思いもしませんでしたよ」
「覚えていますか?あなたにR-2800の写真を見せて頂いた時のことを。私はあの時、あれを超えるエンジンを作ろうと思ったんです」
事実、三菱の土星エンジンは排気量が違うだけでR-2800と瓜二つと世間では言われていた。もちろん使用されているP&W社の技術は正式な契約に基づいたものであり、開発も三菱単独で行っている。(感情面は除いて)誰からも後ろ指をさされる謂れも無い。
「その目的は達成されたようですね。米国人としては少々不謹慎かもしれませんが、ライバルを超えるエンジンを古くからの友人が作ったというのは個人的には嬉しかったですよ」
ウォードが笑う。米軍のB-29やB-32にはP&W社ではなくライト社のR-3350が使用されていたが、それより土星エンジンは大きく出力も上だった。
「いやいや、御社もとんでもないモンスターエンジンを作ったじゃないですか。戦後にあれを知った時、正直いって私はちびりそうになりました」
P&W社はR-4360ワスプメジャーというエンジンを開発していた。それは四列星型エンジンという過去に無い巨大なエンジンであった。
「そうですか、ミスター深尾を驚かせたのなら意味はありましたね。良かった良かった……」
ウォードは笑う。だがそれはどこか寂しそうな笑顔だった。
「確かにR-4360は量産では最大最強のエンジンです。それは我が社の誇りでもあります。まだしばらくは売れもしましょう。しかしもう時代がね……」
「そうですね……時代はもうすっかりジェット一色ですからね……」
二人はため息をついた。戦争後半から実戦投入されたジェットエンジンは日に日にその性能・信頼性を増している。
いずれ航空機のエンジンは全てジェットエンジンになる。土星もワスプメジャーも、巨大化の末に絶滅した恐竜の様に時代に取り残され消え去るもの、二人はそう諦観していた。
その後数年のうちに、二人が予想した通り航空機に巨大レシプロエンジンが使われる事はなくなってしまった。
現在では、小型なものと乗用車用を転用したものだけが航空機用レシプロエンジンとして生き残っているだけである。大出力の星型エンジンという存在は、すっかり過去のものとなってしまった。
だが世界には物好きな人間が必ずいるものである。
米国ネバダ州のリノでは毎年9月に第二次世界大戦で戦った戦闘機で競うエアレースが行われている。
そこでは、R-4360、R-3350、グリフォン、セントーラスといった名だたるモンスターエンジン達に交じって、土星エンジンも轟音を響かせ空を飛び続けている。
ソ連が無理やり仲介して停戦となったため、日本は東側寄りの資本主義国家として戦後を生きていく事になりました。
米国市場への参入は史実より相当厳しいでしょうが、ソ連を含む東側諸国の市場と資源が利用できます。西側と接点があるため技術面でも東側をリードしていく事でしょう。
もしかしたら、ソ連の戦車や戦闘機を魔改造してしまうかもしれません。日本海軍の影響でソ連海軍も史実よりずっとまともになっちゃうかもしれません。
さらに日本のお陰でソ連は延命してしまうかもしれません。
本編はこれで最終回となりますが、次話でちょっとだけ『おまけ』の話をお送りします。