第十話 ニューギニア沖海戦
火星エンジンと零式陸攻が完成したので、
ここからは零式陸攻の終戦までの戦いをいくつかお送りします。
1940年(昭和十五年)より運用が開始された零式陸攻であったが、その活躍は零戦の陰に隠れる形となり欧米から注目を集めることは無かった。
その傾向は太平洋戦争が始まってからも変わらなかった。
マレー沖海戦やジャワ沖海戦の結果はあくまで制空権の喪失と貧弱な対空装備によるものであり、南方作戦での活躍も零戦の援護があればこそという認識である。
連合国戦闘機パイロットの一部では『JAPの爆撃機Betty(零式陸攻)は落としにくい』という認識も出始めてはいたが、まだ軍全体の共通認識とはなっていない。
そもそも爆撃機がある程度の防御力を備えている事は常識であるため、零式陸攻も他国の爆撃機と大差のない凡庸な機体と見られていた。実際、連合国パイロットの多くが零式陸攻を撃墜したという戦果を報告している。
だが真実は違っていた。
零式陸攻が実戦参加してから2年間で撃墜された機体はわずか5機だけだった。それも4機は高角砲弾や大口径機関砲の直撃、残り一機はコントロールを失った敵機が不幸にも空中衝突した事による。
九六式陸攻のように戦闘機の銃撃によって炎上爆発し失われた機体は一機も無かったのである。
この零式陸攻の強靭さは国内では高く評価されていた。九六式陸攻の生産がすぐに縮小されただけでなく、中島飛行機でも生産が始まっている。このため前線の陸攻部隊には九六式陸攻に変わって零式陸攻が急速に行き渡りつつあった。
零式陸攻がようやく連合国の注目を浴びる様になるのは、米機動部隊がヒットエンドラン戦法を行うようになる1942年(昭和十七年)に入っての事だった。
■1942年(昭和十七年)2月 ラバウル東方海上
空母レキシントン所属 VF-3戦闘機部隊
この日、空母レキシントンを中心とした第11任務部隊はラバウルに対する奇襲攻撃を企図していた。だが予測より遙か東方で日本の偵察機に補足されてしまった。
飛来した大型飛行艇などはすぐに撃墜したものの、レキシントンのレーダーは接近する12機の大型機の編隊を捉えていた。シャーマン艦長はすぐに6機、つづけて4機のF4F-3を迎撃に送り出した。
VF-3戦闘機隊の指揮をとるのは新たな空戦戦術として知られる「サッチ・ウィーブ」を生み出したジョン・S・サッチ少佐であった。
そのサッチ少佐は焦りの絶頂にあった。
「もう一度やるぞ!続け!」
彼は降下速度を利用して強引に上昇をかける。
「こちらヘインズ少尉。残弾なし。攻撃できません」
「こちらテール中尉、こちらも弾切れです。申し訳ありません」
すでに攻撃開始から5分が経過している。何度も反復攻撃をしたため弾切れの機体も出始めていた。
「くそっ!弾が残っていない奴もついてこい!攻撃のフリをするだけでいい!」
サッチは普段の冷静さをかなぐり捨て怒鳴りつける。
VF-3は12機の爆撃機に対して10機のF4F-3で攻撃をしかけていた。だが未だに1機も撃墜できていない。サッチ少佐自身も数百発の機銃弾を敵機に命中させていた。だが煙すら吐かせられていない。
それどころか逆に敵機の防御機銃で3機のF4Fを失っていた。
敵編隊の上空に出たサッチ少佐はもう一度敵爆撃機を確認した。もう前方に味方の艦隊が見えている。攻撃チャンスはあと一度だけだろう。
「なんだ?なんなんだ、こいつらは?不死身なのか?」
サッチ少佐は半ば恐怖の籠もった目で敵爆撃機を見つめた。
■ラバウル第二四航空戦隊 第四航空隊 陸攻隊
第二中隊 隊長機
「距離4000。針路このまま、ヨーソロー」
爆撃手の声に操縦桿を握る中川正義大尉が頷く。
「5時方向上空、敵機2ふたたび接近!」
上部機銃手の叫び声とともに後方から機銃の発射音が聞こえてきた。ベルト給弾の零式13ミリ機銃は、装填の手間は多少増えたが以前の7.7ミリ機銃のように何度も弾倉を交換する必要がない。軽快な発射音は祭り太鼓の様に途切れなく続く。
直後、頭上からドラム缶を叩くような音が機内に響いた。
「主翼上面に被弾した模様!」
「損害を確認しろ!」
中川が叫ぶ。
「発動機に異常なし。回転数、筒温ともに正常」
「主翼中央に被弾しました。穴だらけですが、燃料漏れはありません。発動機も正常に見えます」
機関士と上部機銃手からの報告に中川は胸をなでおろした。周囲を見回しても脱落や異常のある僚機は見えない。中隊全機はきれいな編隊を保ったまま敵艦隊に向かっていた。
「まったく丈夫な機体だな、こいつは。もしこれが九六式だったら何度死んでいたことやら……」
中川はこの丈夫な機体を設計してくれた何処かの誰かに感謝すると投弾に向けて最終準備に入った。
■VF-3戦闘機部隊
バラバラと爆弾を投下する敵爆撃機をサッチ少佐らは指をくわえて見ていることしか出来なかった。
すでに自分も含めて全機が残弾ゼロになっている。そこまで銃撃しながら結局一機も撃墜出来なかったのだ。しかも最後の攻撃でさらに一機のF4Fが撃墜されている。
更に悪い事に別の新たな敵編隊が迫ってきていた。そちらに向かえるのはわずか2機のF4Fしかいない。10機のF4Fでどうにもならなかったものを、わずか2機でどうこう出来るとはサッチには全く思えなかった。
眼下には必死に対空砲を放ちながら回避運動をおこなう空母レキシントンの姿が有った。その周囲に水柱があがり始める。そしてついに甲板に火柱が上がった。
「ああっ……」
サッチの口から思わず声が出る。
「こちらオヘア大尉。デュフィーリョ中尉機の機銃故障。これより単独で攻撃に移る」
もう一つの敵編隊に向かった2機のF4Fから連絡が入った。最悪な事に攻撃できるのは1機になってしまったらしい。オヘアはサッチが目を掛けるほど技量が高いパイロットだが、その彼をしてもたった1機ではどうにもならない。
「この……くそ……がっ……!」
そのオヘアからの通信が悲鳴とともに途切れた。
「どうした!オヘア大尉!返事をしろ!」
おそらく単機で向かったために集中砲火を浴びてしまったのだろう。無駄とは知りつつサッチは無線でオヘアに呼びかけ続けた。
しばらくして新たに現れた敵編隊が爆弾を投下した。ふたたびレキシントンに火柱があがる。それを遠目で見ながらサッチは酷い無力感に苛まれていた。
■第四航空隊 陸攻隊 第二中隊 隊長機
もう敵戦闘機は弾切れらしい。遠巻きにしながら何も手出しをしてこない。それを良い事に中川は投弾後も残って戦果確認を行なっていた。
「敵空母に命中2、敵巡洋艦に命中1、といった所か……」
「空母はサラトガ型、重巡はアストリア型と思われます。空母はせいぜい中破、重巡は小破といった所でしょうか」
副操縦士が艦種を確認する。冷静に観測できたため、中川らは敵艦隊の艦種と戦果を正確に見積もる事ができていた。
「惜しいな。魚雷さえあれば撃沈できたものを」
中川が悔しがる。今回の出撃は部隊がラバウル進出直後であったため魚雷や80番爆弾の在庫がなかった。投弾した爆弾は25番に6番と小型なものばかりである。これでは到底撃沈など望めなかった。
この戦いでの日米両軍の損害は数字の上では小さなものだった。
日本軍は偵察と触接を行った九七式飛行艇3機を失った。また零式陸攻24機は全機が帰還したが、その半数が100発以上の被弾をしており修理に相応の時間がかかると見られていた。後部機銃手が戦死した機も多い。
米軍は空母レキシントンと重巡サンフランシスコが小破し、F4F-3戦闘機5機を失った。作戦目的であったラバウル空襲は断念したが損害自体は非常に小さい。
だが心理的な衝撃はともに大きかった。
日本軍は零式陸攻に対する信頼を更に高めた。
直掩機も無しに敵戦闘機の迎撃の中で行った攻撃が成功し、しかも損失が無かったという事実は非常に大きい。
その一方で対艦攻撃能力の不足も認識された。ジャワ沖、ニューギニア沖、そしてその後の珊瑚海海戦でも多数の陸攻が投入されたにもかかわらず、1隻も敵艦を撃沈できなかったからである。
このため日本軍は零式陸攻をより積極的に運用すべく、機体と兵装の充実を推し進めることになる。
逆に米軍は大混乱に落とし込まれた。
戦闘の状況は戦闘機部隊と艦艇の両方からつぶさに観測されている。しかも攻撃には空戦の第一人者であるサッチ少佐も含まれている。自軍の戦闘機がBettyに対してまったく歯が立たなかったという事実は動かしようがなかった。
これを受けBettyが飛んできそうな拠点に対する攻撃は当面行わない事が決定した。このため米軍空母部隊のヒットエンドラン作戦はこれを最後になりを潜める事となる。
そして過去にBettyを撃墜したという自軍の戦果の再検証も行なわれた。その結果ほぼ全てが撃墜未確認かSally(九七式重爆)の誤認であることが判明した。
つまり自軍の戦闘機は一度もBettyを撃墜できていないという事実が明確となった。
Bettyを撃墜するには現在の標準的な武装である12.7ミリ機銃では不可能であり、少なくとも20ミリ、可能であれば30ミリ以上の機銃が必要だろうと推定された。
だがそんな大口径機銃を搭載するのは簡単ではない。しかも携行弾数が大幅に減るだけでなく、発射速度や弾道性能も悪化する。これは戦闘機を相手にする場合、特に恐ろしいZEEK相手では逆に不利になってしまう。
この相反する要求から米軍の戦闘機開発は迷走を始める事となる。
また、この戦いの後よりいつしか米軍パイロットの間では、零式陸攻がなかなか火を吹かない事から『ダンプ・ライター』(湿気ったライター)の綽名で呼ばれるようになったという。
零式陸攻の存在が戦争に影響を与え始めるのは、このニューギニア沖海戦からとなります。
その前の戦いにも当然参加していますが、陸攻の損害が少ないくらいで戦争の推移は変わりません。ただし損害がない分、部隊の充足率が高く、九六式陸攻との入れ替えも早く進みます。
史実のニューギニア沖海戦では17機の一式陸攻が参加し、ほとんど全滅という悲惨な結果になりました。この戦いでエドワード「ブッチ」オヘア大尉は単機で5機の一式陸攻を撃墜しており、「ワンショット・ライター」の綽名の由来になったとも言われています。
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