第96話 母は強し
水美が居るお陰で……そして、火凛のお父さんと連絡が取れたお陰で、希望がより鮮明に見えてきた。
水美が居るから火凛の性欲にセーブが掛かる。以前は……セックスでしかお互いの温もりを感じられなかったのにだ。
やはり水美が来てくれて良かった。この調子だと、夜も……今日は大丈夫だろう。もちろん楽観視はしない。昨日母さんに言われ……そして、俺は考えたのだ。
あの頃に無かった幸せを火凛に教え込む。それで、過去では無く今を選ばせる…そのためには――
「そういえば水音。さっきお父さんになんて言われたの?」
火凛の言葉に思わず変な声を上げそうになった。水美も気になっているのか俺をじっと見ていた。
「あー……」
俺は返答に迷い……そして、決めた。
「秘密だ」
「……珍しい。水音が秘密って」
「ほんとだね。いつも聞いたら答えてくれるのに」
「」
……後でならともかく、今は言えるはずが無い。
『今は何よりも火凛の命を優先して欲しい。……子供が出来たとしても構わないから。絶対に怒らないし、全力でサポートする』
などと言われたとは。まさかの父親公認とは俺も困惑したぞ。
……いつか、笑い話にしよう。大人になってお酒が飲める歳になったら、火凛のお父さんとこの事を話して笑い合うんだ。
覚悟を決めないといけないな。
火凛と水美の頭を撫でると、二人とも嬉しそうにしていた。
◆◆◆
「こっちにも今電話あったよ。火凛ちゃんをお願いって。言われなくてもするって言っといたわよ」
「やっぱり母さんにも言ってたか」
少しして母さんへ報告しに行くと、そう言われた。
……少しゆっくりし過ぎていたな。あれから一時間ぐらい二人と抱きしめあっていたし。
「でも良かったわね。火凛ちゃん」
「はい……色々ありがとうございます」
「もう家族みたいなもんだしお礼も要らないわよ」
母さんがそう言ってニコリと微笑むと、火凛も嬉しそうに微笑んだ。
その時、火凛のスマホから軽快な通知音が鳴った。火凛がスマホを見る。
「……あ、奏音だ。今日私と水音が休んでたから気にしてくれてるみたい」
俺は思わず火凛を見てしまう。火凛が悩む素振りを見せた。
「迷っているのか?」
「……ん」
どうして迷うのか、などと言えるはずが無い。そして……俺が助言をする訳にもいかない。
「……」
火凛は腕を組み、考える。じっと、目を閉じて。
そして……ゆっくりと、口を開いた。
「話そうと思う。そうしないと奏音が悲しむ、とかじゃなくて。私が奏音にも助けて欲しいと思ったから」
火凛は俺を見てそう言った。その答えが正解なのか聞いてるような顔だ。
……生憎だが、俺にも正解は分からない。だが――
「成長している、と思うぞ」
「うん、そうだね。誰かに頼るのって難しい事だよ。……水音もそうだけど、二人とも成長してるよ」
母さんの言葉に火凛と顔を見合わせて微笑んだ。
「む……おかーさん、僕は僕は?」
「水音に頼られるようになったんでしょ? 十分成長してるわよ。偉い偉い」
「えへへ……」
母さんが水美の頭を撫でると、水美は頬を弛めて嬉しそうにしていた。
その時だ。
ピンポン、とチャイムが鳴った。場に緊張が走る。
母さんを見るが、首を振られた。父さんでは無いらしい。
火凛を見るが……怯えが酷い。奏音では無さそうだ。
「水音。二人を連れて上に。私が出る」
「ああ……何かあれば連絡してくれ。走っていく」
カチカチと歯を鳴らし、目を泳がせる火凛を一度抱きしめ、お姫様抱っこをする。
「大丈夫だからな。水美。火凛の手を」
「うん、分かった」
水美が火凛の手を握る。俺はそのまま上の階へ二人を連れて行った。桐島雅一
◆◆◆
扉を開くと……そこには、懐かしくて…………今は憎い女性と、憎たらしくて仕方が無い男が居た。
「ずいっぶんと久しぶりだね。瑠璃」
「……真奈?」
「ああ? 誰だこのおばさん」
瑠璃は驚いた様子で……桐島は私を見て首を傾げていた。
「……どうも。私の息子達によく合わせる顔があったね。」
「……ああ、あの生意気なガキの母親かよ。ぷっ、ははっ! なんだあいつ、あんな啖呵切っといて親頼りかよ、だっせ」
桐島は意地汚く笑った。
思わず手が出そうになった。だけど、ここで我を失ったら意味が無い。
「……って言いながらその生意気なガキに組み伏せられたのはどこの誰でしたかね」
「お? なに? やるの? 喧嘩ならいくらでも買うぜ?」
「ちょっと、違うでしょ。カズ君」
瑠璃が桐島の腕を自分の胸に抱き寄せた。……水音はこれを見せられたのか。それはあれだけ苛立っていても仕方が無いはずだ。
ふと、私は違和感を覚えた。
「……瑠璃、メイク濃くなってないかい?」
「そ、そう? 気のせいじゃない?」
……いや、気のせいじゃない。あの時……去年までは瑠璃はあまりメイクをしなかった。それこそ薄いメイクで、瑠璃の可愛らしさが強調されるようなものしか。
まだ違和感がある。眼をじっと見た。……淀んだ、暗い眼だ。あの時とは違う。
嫌な予感がした。
「瑠璃、あんたまさか「それよりさ、真奈ちゃん。火凛は居る?」」
瑠璃の言葉に思わず絶句する。
嫌な予感が胸中をざわめく。嘘だ。そんなはずが無い。あれだけ拓斗の事が好きで、火凛の事が大好きだったこの子がそんな事をするはずない。
だけど、今私が見ている瑠璃はあの時の瑠璃では無いのだ。
「……理由を、聞かせて」
「理由? ほら、あれだよ。可愛い娘に会いたくなったんだよ」
「ならその男は要らないでしょう! その男が火凛に何をしたのか分からないはずが無い」
私の言葉に瑠璃は黙り込んだ。そうだ。この男が都合の良い言い訳をしている可能性だってある。
目を、お願いだから目を覚まして。私の想像している中で一番最悪な結末だけは避けて……
しかし、瑠璃の口から飛び出した言葉は私が一番聞きたくない言葉だった。
「でも、そんなに悪くないよ? 無理やりされるってのも」
◆◆◆
「大丈夫だ。大丈夫だからな、火凛。母さんに任せれば例え殺人鬼が来ようとテロリストが来ようと返り討ちだ」
「そうだよ。昔、一回家に空き巣が来た事があったんだけどさ。その時お母さんが一撃でやっつけちゃったんだから!」
二人で火凛を抱きしめる。火凛は目が虚ろになり、体が震えていたが……
十分ほどそうしていると、火凛は少しずつ落ち着き始めた。
「……ご、ごめんね。二人とも。もう大丈夫だから」
「いや、ダメだ。まだ離れんぞ。俺達は」
「うん! まだぎゅーってする!」
……それにしても、やはり水美を呼んで正解だった。
心から……とまでは行かないだろうが、かなりリラックスしている。
「……ふふ」
すると、水美が笑った。
「どうした? 水美」
「昔さ。……本当に僕がちっちゃい頃。怖い夢見て僕が起きちゃった時にさ。こんな事があったなって。僕がわんわん泣き喚いてて兄さんと姉さんがぎゅって抱きしめてくれたから」
「……ああ、あったな。そんな事」
確か……俺や火凛が小学三年生とかだったな。目を覚ましたら水美が泣いていて、どうにか慰めていたら火凛も起きたんだった。
そして……今のようになったんだ。
「……懐かしい」
「ね!」
火凛が呟くと同時に水美が笑顔で頷いた。そのまま水美が続ける。
「そういえばさ、姉さん。姉さんに相談したい事があったんだ」
「……なに?」
「最近色んな男の子に好きだって告白されてさ。なんか上手い断り方とか無いかなーって」
世間話へ繋げてきた。水美はこれぐらいならもう大丈夫だと踏んでいるようだ。
……そして、その予想は正解だった。
「やっ、やっぱり。好きな人が居るって言うのが……一番良いと思うよ」
「あ、そっちの方がいっか。今まで勉強とか部活で忙しいって断ってたけど」
「ん……それだと、落ち着いた時にまた来ちゃうから」
「そっかぁ……そうなっちゃうか」
水美が残念そうに溜息を吐いた。火凛が俺へ抱きつきながらも水美へ尋ねる。
「……水美はさ。恋人は作らないの?」
水美は火凛から質問された、という事に喜んで笑顔になった。
「うん、作らない。……兄さんよりかっこいい人でも……うーん。やっぱ今の無し。兄さんよりかっこいい人なんて出てくるはずないし」
「………………世の中広いぞ?」
「でも僕会った事無いもん。兄さんより……ううん。兄さんとおなじぐらいかっこいい人も、優しい人も」
水美の言葉に火凛が押し黙り……笑った。
「ふふ……そうだね。水音よりかっこいい人は居ないもんね」
「うん! 兄さんは世界一かっこよくて優しいし、姉さんは世界一可愛くて優しいんだよ!」
……ここに俺必要か? とか思わない訳では無いが、火凛が少しでも落ち着けるよう居なければいけない。
それにしても、やはり水美は会話の回し方が上手い。意識してやっている訳では無いのだろうが。
「……私もなんだね」
「当たり前でしょ。だって姉さんだもん」
「ふふ。そっか」
気づけば、火凛の顔から怯えはほとんど無くなっていた。
その時、俺のスマホの着信が鳴った。火凛がビクリと跳ねたが、頭を何度か撫でると落ち着き始める。
相手は……母さんだった。
『もしもし、母さん?』
『水音。報告だよ。二人とも追っ払った。特に桐島にはキツいのぶち込んだから。多分しばらく来ないと思うよ』
……思わず体の力が抜けた。
「火凛、水美。無事追い返したらしい」
二人にそう言えば、ホッとする表情をしたのだった。




