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肉体関係を持っていた“元”幼馴染と関係を取り戻す  作者: 皐月陽龍
二章過去のトラウマを乗り越えるためには
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第93話 母の言葉

「……寝たな。五回、か」


 火凛の体を軽く拭き、清潔なベッドシーツの上に寝させる。


 ビキリ、と腰が少しだけ痛んだ。


「……少し危ない、な。湿布は……リビングか」


 慎重に下の階へ下りる。今までの経験上一度寝れば治るだろうが、念の為。


 とん、とんと包丁がまな板を叩く音が聞こえた。まさか、と思ってキッチンを見てみる。


 ……母さんが料理の仕込みをしていた。



 母さんは俺を見て不思議そうな顔をした。

「どうかしたの? 水音」

「……ああ。腰が怖いから湿布を貼っておきたくてな。母さんは明日の仕込みか?」

「ええ。手間のかかる物は今のうちにね」

「やっぱりか。それじゃ俺はちょっとリビング行くから」


 そう言ってリビングの方へ行き、湿布の入っている箱を取り出すと母さんが来た。


「お母さんが貼ってあげるから横なっときなさい。水音も休まないと体壊すわよ」

「……ああ、そうだな。ありがとう」


 その言葉に甘えて横になると、母さんがテキパキとした所作で俺の腰に湿布を貼ってくれた。


「今あんたがぎっくり腰になったら火凛ちゃんが大変なんだから。適度に頑張って、適度に休みなさい」

「善処する。……それに、秘策も無い訳では無いからな」


 そう言えば、母さんがきょとんとした顔をした後に……笑った。


「……何を企んでいるんだが。ま、何かあったら言いなよ? 滋養強壮に良いご飯にも出来るし、ね?」

「…………出来ればそうして欲しい」

「分かった、そこら辺は詳しいからお母さんに任せておきな」



 母さんが頭を撫でてきた。大人しく撫でられておく。


 ……少し恥ずかしいが、悪い気はしなかった。


「……あと、一つ。聞きたいことがある」

「なんだい?」



 一瞬だけ言葉を出すのに躊躇った。……だが、知っておいた方がいい。


「…………聞こえていたりしたか?」



 どうにかそう声を絞り出せば……母さんは笑った。


「ははっ……ふっ……大丈夫大丈夫。この家は相当防音性能高いからね。……軋みは聞こえたけど」

「そうか、ならよ……くないな。軋みは……そうか。…………そうか」



 つまりは火凛のお父さんにも知られていたと。いや、薄々そうだろうとは思っていたんですが。そうですか。



「……まあ、仕方ない。うん。覚えておこう」

「そこまで気になるやつじゃないから大丈夫だって。リビング以外だと軋む音も聞こえなかったし」


 というか俺は母さんに何を聞いているんだ。いや、こんな事母さんぐらいにしか聞けないのだが。



「あ、そうだ。水音。ちょっと待っててね」

「……?」


 母さんはキッチンへと向かった。そして数分も経たないうちに帰ってくる。一つのコップを持って。


「……あ」

 それがなんなのか分かった瞬間声が出た。


 ことり、とコップが置かれ、母さんが俺を見て微笑んだ。


「水音、小さい頃眠る前によく飲んでたもんね。よく眠れるって」


 その中身はホットミルクであった。


「もちろんハチミツ入りだよ」

「覚えてて……くれてたのか」

「当たり前よ。水音が生まれてからこれまで。それこそオムツを替えてあげた日から離乳食になった日。火凛ちゃんと初めて会った日。……それから今までの中で忘れた日なんかあるもんですか」


 その言葉を聞いて……俺はホットミルクを口にした。


 一口だけ飲み、机へ戻す。


「……熱かった」

「もう、昔からそうなんだから。……ふーふーしてあげよっか?」

「俺が不注意だっただけだから勘弁してくれ」


 ゆっくり、少しずつホットミルクを飲む。



「……本当に懐かしいね。水音が昔、怖い夢を見て眠れないって時も飲ませてあげたんだっけ」


 母さんの言葉にその時の事を思い出した。


「……そんな事もあったな」

「ね。水美も水音が居ないって起きちゃってさ。うつらうつらしながら水音に寄りかかって。……可愛かったなぁ、今もだけど」

「気を使わなくて良いぞ……可愛くない育ち方をしているのは知ってる」


 そう言えば、コツンと頭を小突かれた。


「馬鹿な事言わない。自分の子供はいつまで経っても可愛いもんだよ。……例え水音が百歳のおじいちゃんになってもね」

「……いくつまで生きる気なんだ」

「そりゃなるべくだよ。水音と水美が幸せに暮らしているのを見届けたいし……もちろん、火凛ちゃんもね」


 母さんはそう言って微笑む。俺はコップを置き……母さんを見た。



「……親孝行も、そのうちする。……受けた恩は全部「そんな事考えなくて良いから」」


 母さんは、また俺の頭を撫でた。


「水音が幸せに暮らす。それが一番の親孝行だよ。心配事も何も無くなって、夢も叶えて、火凛ちゃんと幸せに暮らしてくれれば。お母さんもお父さんも幸せなんだよ」

「……だが」

「ああ、でもそうだ。強いて言うならね」




 母さんはニヤリと笑う。


「孫はなるべく早いうちに見たいかな。お父さんも、火凛ちゃんのお父さんも喜ぶだろうし、ね?」

「………………色々と面倒事が終わって、生活が安定すれば。というかそれ以前にまずは火凛と交際しないといけない」



 そう逃げ腰な態度を見せると、母さんはため息を吐いた。


「はぁ……あんたね。いや、火凛ちゃんもなんだけど。もう交際=プロポーズになってるのよ」

「……」

「もう最後までしちゃったからなんだろうけど。あとするべき事が無くなって、自然と交際はプロポーズを前提にしないと思い込んじゃってる」

「……否定はしない」

「あんた達、キスだけまだちゃんとしてないんでしょ?」




 母さんの言葉に思わず目を丸くした。


「どうして、それを」

「子供の事なら大抵の事は分かる。それが親ってもんだよ。……多分、火凛ちゃんに言われたんじゃないの?『キスは恋人がするもの』とか、『キスは好きな人同士がやる事』って」


 思わず喉が詰まった。どうにか頷き、言葉を絞り出すと母さんがしたり顔で笑う。


「……合ってる」

「でしょ? ……まあ、火凛ちゃんを責めるつもりは無いけど。でも、それで二人が縛られちゃったのは事実のはずだよ。『キスは恋人がするもの』って。……でも、正直に言わせてもらうと二人はカップルよりもカップルらしい事をしている。だから、二人ともややこしい事になってるんだよ」


 そのまま母さんが続けた。


「そのままでも交際は時間の問題。そのはずだったんだけど、火凛ちゃんにあの事が起こった。それで火凛ちゃんは水音が居ないと生きられない。……依存状態になってしまった。だから水音からは付き合おうって言えなかったんじゃないのかい? 依存は良い事じゃない。そんな不安定な彼女と付き合う事は出来ないって」





 全て図星だった。


「それに、火凛ちゃんも賢い子だ。このまま付き合いたいって言っても水音は許してくれるはず。でも、水音が幸せになるか分からないって。考えに考えて、二人ともどこまでも沈みこんじゃってる」


 ホットミルクを口にしながら母さんの紡ぐ言葉を心の内に刻む。自分でも言語化出来ていない部分があったから。


「……という事で、水音に解決策を与えます」

「…………え?」



 母さんはニヤリと笑い……言った。


「今回であの子を振り切らせなさい。過去を断ち切らせなさい」

「…………また随分と無茶な」

「そうかしら? 私は今日まではあと少しであの子は立ち直ると思ってたんだけど」


 ……やはり、母さんには敵わない。


「ピンチこそチャンスに変えるべきよ。桐島の事はお母さんとお父さんに任せてじっくりやりなさい」

「……努力する」

「ええ。それじゃ、お母さんから言いたかった事はこれだけよ。ホットミルク飲んでゆっくり眠りなさい」



 母さんの言葉に頷き、ミルクを飲み干す。


 まだ暖かく、甘さが身に……心に染みた。



「ありがとう、母さん」

「どういたしまして。それじゃおやすみなさい、水音」

「ああ。おやすみなさい、母さん。……そうだ、寝る時は俺の部屋を使ってくれ。掃除はしてあるから」

「分かったわ」




 そうして手を振ってくる母さんへ手を振り返し、俺は火凛の居る部屋へ戻ったのだった。


 ◆◆◆


 火凛の寝顔を注視する。別にこれは火凛の寝顔を記憶に焼き写しておきたいなど思っている訳では無い。……まあ、普段なら思ったかもしれないが。


 だが、今これは必要な事なのだ。


 穏やかに寝息を立てる火凛。まだ良い。



 一瞬。本当に一瞬だけ、火凛の呼吸が止まった。俺はその瞬間に火凛を抱き寄せ、耳元に口を近づける。


「……可愛いぞ、火凛」

「ひゃん!」


 火凛は耳が弱い。別に音フェチと言う訳では無いが……こうして囁くだけで準備が万端になる。


「ぅ、あ……い、今は……」

「現実だ。起きて早速だがするぞ」



 火凛は精神が不安定になると、現実と夢か曖昧になる。それは……恐らく、一番幸せだった頃の夢を見ているから。



 夢を現実だと思いたがっている。



 だから、俺は現実を教えなければならない。夢よりも現実の良さを。


 それを……毎朝、そして毎夜。それ以外でも出来る限り伝えなければいけない。そうでなければ……



 火凛が現実に絶望してしまう。それが一度や二度ならまだ立て直せるだろう。だが……




 ……それ以上続かせた事は無いから分からない。でも、火凛が壊れてしまう可能性など零にさせたままの方がいいに決まっている。



 そのためなら俺がどうなっても良かった。そう思っていた。


 ……だが、それは火凛が許してくれなかった。

 だから、俺は少しだけ頑張らねばいけない。今日の朝……今現在の事を終えるまで、だが。


 それから後は……俺では無理だ。()()にも手伝って貰う。


 ◆◆◆


「火凛ちゃん、今日は食欲ありそうかい?」

「えっと、その……ごめんなさい。あんまり」


 母さんの言葉を聞いて、火凛が遠慮しがちにそう答えた。


「分かったわ。じゃあ今日も軽い物にしておくわね。栄養管理は安心なさい。ちゃんと美味しくて栄養満点な物を選んでるから」

「……ありがとう、ございます」


 母さんが俺と火凛の頭を撫でた。


「……それじゃ、朝は昨日の残りのスープだけで大丈夫かな? パンは要る?」

「……スープだけで大丈夫です」

「分かった。水音は?」

「俺は貰っておこうかな。助かる」

「どういたしまして。果物は入りそう? 無理なら遠慮無く言ってね」

「あ……いただきます」

「よし、じゃあ準備してくるから待ってて」



 母さんは笑顔を見せながらキッチンへと向かう。





 その後、火凛が長い間ぼうっとしていた。どこかを見ているようで、どこも見ていない。そんな状態。


 あの事が起きてから、時々火凛はこんな状態になるのだ。

 そんな時に俺がしているのは……


「そういえば火凛」

「……ん」


 触れれば切れてしまいそうなほど細く、柔らかい糸のような。今にも崩れ落ちそうな火凛を抱きしめる。


 火凛は抱き返してくれなかった。


「少し遠いが……電車で何駅か行った場所に水族館が出来たらしい。今度一緒に行かないか?」

「……ん」


 火凛は頷いた。しかし意識は帰ってこない。


「それと、俺達って動物園なんかにもあまり行ったことなかったよな。また今度行かないか?」

「……ん」


 頷くのは二度目。しかし、火凛の意識は帰ってこない。


「奏音なんかを誘っても良いかもしれないな」

「……ん」



 ……三度、頷かれる。しかし、火凛の瞳はいつまでも虚空を見つめている。



 俺では精々、今を繋げる事しか出来ない。こんな言葉は今の火凛に言っても届かない。


 分かっていた。間が悪い事は。普段の……とは言わずとも、会話が出来る状態なら笑顔で応えてくれただろう。


 それでも、涙が零れそうになった。……本当に断ち切らせる事が出来るのか、と不安になって。


「……ぅ…………ぁ、ぇ? ……水音、どうして……私何か言ってたかな。……あれ、今水音なんて言って――」

「いや、良いんだ。何でもない。少し早とちりをしただけだ。気にするな」


 そうだ。前を向くためにはまず起き上がる事から始めないといけない。そう、分かっているはずなのに――


 あんな、いつ消えてもおかしくない火凛をこれから先も何度も見ないといけないのがどうしても悲しくて――


 悔しかった。

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