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肉体関係を持っていた“元”幼馴染と関係を取り戻す  作者: 皐月陽龍
二章過去のトラウマを乗り越えるためには
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第90話 火凛のトラウマ(火凛視点)

「エプロンは……っと、確かここだ」


 タンスの中からエプロンを取り出す。シンプルな黒の色調の物と桃色の可愛らしい物。


 中学生の頃に二人で買った、今でもお気に入りの物だ。


「……ふふ」


 あの頃は今思い出しても嬉しくなる。水音と仲直りが出来て、家で晩御飯を作ったり……作られたり。


 毎日する度にドキドキして胸がはち切れそうで……それが水音にバレないかちょっと不安で。でも、水音も私に負けないぐらいドキドキしていた。お互いの心臓の音が重なりながらするのはとても良かった。


 ……そのせいで、水音と胸を重ね合わせる度に心音が重なるようになってしまったけど。でも、それはとても良い事だ。


 水音がドクドクと鼓動を早めたら私も早くなるし、とくん、とくんとゆっくりなら私もゆっくりになって安心する。


「……ふふ♪」


 思わず笑みが零れた。水音と私のエプロンをぎゅっと抱きしめると、ふわりと柔軟剤の香りが漂った。


「……そろそろ行かなきゃ。そういえば、誰だったんだろう? 通販は頼んでないけど」


 そういえば、最近する用の下着とか買えてないな。もういっぱい持ってるからいっか。目に移ったら買うか考えよう。


 そんな事を考えながら、私は下へ向かった。


 ◆◆◆


「……? あれ、水音は?」

 下に降りたのだが、水音は居なかった。


「奏音が来てたなら家に上げるはずだし、輝夜ちゃんとか来栖ちゃんでも家に上げるはず。……水音のお友達は来ないはずだし……トイレかな?」


 そう思ってトイレをノックしたけどノックは返ってこないし鍵も開いていた。当然水音は居ない。



「……悪質なセールスかな?」


 この家は防音性にかなり優れている。部屋でナニをしても外には漏れない。


 ……さすがに玄関でしたら声を抑えないといけないんだけど。でも、普通の会話ぐらいなら外に盛れない。

 それはつまり、外からの声も聞こえにくいという事だ。


 そっと扉に近づく。いきなり扉を開いたらもしかしたら水音にぶつかってしまうかもしれない。

 私はドアスコープを覗いた。







「……え?」



 まず最初に目に付いたのはお母さんだった。

 一瞬……本当に一瞬だけ、心が弾んでしまった。



 やっと目を覚ましたんじゃないか。もしかしたら、お父さんと……そして、水音とまた四人でご飯を食べれるんじゃないかって。






 でも、違った。その隣にはあの男が立っていた。



「ひっ……」


 思わず悲鳴を上げそうになった。ドアスコープから顔が離れた。……後退(あとずさ)ってしまったのだ。


 思わず自分の腕を強く握った。そうでもしないと正気が保てなさそうだったから。



 その時、扉がバンと叩かれた。ビクリと肩が震え……最悪の想像をしてしまった。


「水音……!」


 ドアスコープを覗く。しかし、何も見えない。水音が扉を背にしているのだと遅れて気づいた。



「……だ、大丈夫そう?」


 もたれかかっている訳では無い。今、ドアスコープから覗く外が少し揺らめいたから。


 しかし、ホッとするのは遅かった。


 パン、と。



 勢いよく叩かれたかのような音が扉から響いたからだ。



「……ぁ」


 思い出してしまった。



 あの噎せ返るような暑さを。


 ギラギラと光る獣のような眼を。


 ニタニタと意地汚く笑うあの顔を。


 叩きつけられた壁の冷たさを。


 細く筋張った手の硬さを。






 ……そして、欲望に染まった真っ黒な感情を。




「……ぉ……ぅぁ」



 呼吸を忘れていた。息をしないと。


「……ッ、ぁ、」


 だめだ。のどが……詰まってる。


 思わずへたりこみ、自分の首を触った。


「………………ぁ、はぁ、はぁ」



 どうにか息が吸えた。だけど、今度は視界が定まらない。



 這う這うの体でその場から離れようとしてしまう。


「……ちがっ、み、みな、みなと……たす、たすけないと」


 ……でも、脚も腕も扉へ進まない。


「う、うご、うごいて……うごいてよ」


 早くしないと水音が危ないかもしれない。




 そう思っているのに、扉へ向かおうとしても体は動かない。……ただ、震えるのみだ。



 しかも――


「……ぁ」



 数秒おきにあの光景が脳裏に過ぎってしまう。


 その度に私の心は打ち砕かれそうになる。……ううん。




 もう、むりかもしれない。






















 気づいたら、私はキッチンの隅で震えていた。


 水音を助けに行けなかった罪悪感と恐怖がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる頭をまわっている。


「……ぁ、ぁあ」


 情けなく涙を流しながら。自分の腕を痛くなるぐらい握りしめながら。





 水音が殴られたんじゃないか。

 お母さんが酷い目に遭っているんじゃないか。

 あの男に襲われるんじゃないか。

 水音が怪我をしたんじゃないか。

 どうして私は水音を助けなかったんだ。

 やっぱり私がいたから水音が不幸になったんじゃないか。

 あの男に襲われる前に死んでしまっだ方がいいんじゃないか。

 水音を助けられなかった私なんか居なくなった方がいいんじゃないか。

 どうせまたあの悪夢にうなされる事になるんだ。







 ――ここはキッチンなんだから。いくらでも方法はある。



 ――でも、そんな事をしたら水音が悲しむんじゃないか。


 ――違う。私は死ぬのが怖いだけだ。水音を死なない理由にするな。



 もう頭も心もぐちゃぐちゃだ。





 そんな私に更に追い打ちをかけるように……あの声が聞こえた。



「ぜっってぇに逃がさねえからな!」


「ひっ」




 真っ白になっていた手を耳に押し当てた。




『ぜってえ逃がさねえ』




 しかし、それでもあの男の声が聞こえてくる。本当に目の前にいるのか、それとも幻聴なのか分からない。


 もっと強く。耳が潰れてもいい。この声が聞こえなくなるなら。




 バクバクとした心臓の音が唯一の安らぎだ。でも、このまま心臓が爆発するんじゃないか。



 思わず泣き声が漏れた。いや、さっきから漏れているのかもしれない。もう何も分からない。








 ふと、暖かくなった。どうしてなのかは分からない。


 手も暖かい何かに触れられていた。







 やがて、氷のように固まっていた私の手から力が抜け……脚もまっすぐ伸びた。





 視界が滲んでいて何が起きているのか分からなかった。











 でも、すぐに分かった。彼の鼓動に私の鼓動が重なり始めたから。




「……みっ、みな……ぅっ」


 言葉が上手く出せない。嘔吐く私の背中が暖かいものに撫でられた。


「大丈夫だ。俺が居る」

「ぅ、うぅ」



 水音が目を合わせて言った。私の視界は滲んでいたけど、それでも分かった。頬を伝っていた涙の量が増え……それを何度も何度も水音が優しく指で拭ってくれた。






 ――それから、何分の時が経っただろうか。私はずっと水音の顔を見て、抱きしめてを繰り返した。



 それでも、怖かった。一瞬でも目の前から水音が居なくなったらあの幻聴が、幻覚が見えるんじゃないかって。


 そんな私が情けなくて……また泣いた。水音の迷惑になるって分かってるのに。分かってるはずなのに。



「火凛」


 そんな私に水音は優しく声をかけてきた。



「……一回しておくか? 一度眠って、ゆっくり休むべきだ」


 その言葉に私は……頷く事が出来なかった。


「で、でも……」


 震える声を無理やり喉から絞り出す。


「わ、私、み、水音達見て、て、なぐ、なぐられたのも聞いて、そ、それ、それで、わた、わ、わたし」


 声が震え、つっかえながら。しかし、水音は全部理解してくれた。


「……見てたんだな。俺は大丈夫だ。あんな輩に負けるはず無い。殴られたのも俺の手が受け止めた音だし、やり返した。……殴ってはないがな。それで、そのまま帰らせた。もう近くにあの男は居ないからな」


 その言葉に安堵しながら……しかし、心が引きちぎれるみたいな痛みがあった。


「で、でも、わたし、みな、とをおいてにげて、あしも、ても、う、うごかな、くて」

「仕方ない。というかそれで正解だ。……下手に表に出てきたらもっと大変なことになっていたかもしれないからな」



 ……本当に、水音は私の欲しい言葉を欲しい時に言ってくれる。



 ……少しだけ、心が落ち着き始めた。



「み、水音……」

「ああ」


 水音がひょい、と私をお姫様抱っこした。私は水音の首へ手を回し、なるべく体を密着させた。


 そのまま私は部屋へと連れていかれる。そして、優しくベッドに寝かされ……服を脱がされた。




 水音も服を脱ぎ……避妊具をいくつも取り出した。いつもの光景だ。





 でも、無性にそれが不安になった。


「み、水音は……」


 水音はじっと私を見た。少しだけ怯んでしまったが……頑張って見返した。


「水音は、居なくならないよね」



 自分でも、酷く怯えた声だと思った。涙が混ざり、非常に聞にくい声。そんな私を見て……水音は言った。





 酷く真面目な声で。



「火凛。そんなに不安なら……絶対に居なくならない理由、作るか?」





 そう言ったのだった。

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