第9話 幼馴染だから大抵の事は分かる
「獅童君、一緒に食べよ」
火凛の言葉に辺りがざわめき立つ。理由は言わなくても分かるだろう。
さて、この提案を受け入れれば男子が敵に回る。かと言って断ったとしても敵に回る。その場合は女子も敵に回るのだろう。
昨日の俺だとそう考えたのかもしれない。だが、今の俺には受け入れないという選択は無い。
「あ、それとね。今日は獅童君の分も作ってきたから食べて欲しいな」
そう言って、火凛は弁当箱を二つ取り出してきた。一つは赤色の、そしてもう一つは青色の布で包まれている。
……朝、何かやっていると思っていたがこれだったのか。
それにしても周りからの視線が痛い。陰口も多い。誰か一人ぐらい直接文句を言ってきても良いんだぞ。いや、朝の事があったから居ないだろうが。そこまで学習能力が低い奴なんて――
「オイオイ、そんな陰キャにやるなんて勿体ねえじゃねえか。俺に食わせてくれよ」
居た。あと、お前には絶対にあげないからな。
そんなチャラ男を火凛はキッと睨みつけた。
「は? なんであんたにあげないといけないわけ?」
……火凛? そんな声初めて聞いたんだが? そんなに冷たい声出せたのか?
周りもそう思っていたのか、皆が真ん丸な瞳で火凛を見ていた。
「もー、錦も諦めなって。ほら、皆もう購買行ってるよ」
微妙な空気になりそうな絶妙なタイミングでそう声を上げたのは火凛の親友。白雪であった。ぐいぐいとチャラ男の背中を押している。
「ちょ、待っ、まだ話は」「はいはいさっさと行く」
白雪はチャラ男を教室の外へ追いやる直前、俺と火凛を見てウインクをしてきた。
◆◆◆
奏音には本当に感謝をしないといけない。私一人だけだったらここまで上手く事は運べなかったはずだ。今のだって、奏音が居なければすぐに私は限界を迎えていた。
……その時はきっと、水音がどうにかしてくれたはずだけど。
赤い包みを解くと、ピンクのお弁当箱が。そして、青い包みを解くと少し大きい水色のお弁当箱が出てきた。
「はい、獅童君」
「…………ああ。ありがとう」
少しだけ渋る様子を見せた水音であったが、拒否することは無かった。
水音は周りの目を気にしているのだろう。だけど、私からすれば大切な人以外からは何を思われたって良い。邪魔さえしてこなければ。
私はただ、水音に私がどれだけ水音の事が好きなのか知って欲しいだけだから。
水音の為にいっぱい努力をした。体重管理も徹底したし、肌のケアも一日たりとも欠かした事は無い。
可愛くなったら、いつか水音が我慢できなくなってキスしてくると思っていた。
だけど、彼はどこまでも誠実だった。
「どう……かな?」
お弁当を開けた水音は、目を丸くして固まっていた。
「……凄い。これだけ作るのにどれだけ時間が掛かったんだよ」
一瞬、力を入れすぎて引かれたかと思ったけど、目の輝きを見てホッとした。あれは感動している眼差しだ。
「……というかいつ作ったんだ?」
ボソリと呟かれたその言葉は、周りには聞こえなかっただろう。しかし、私には聞こえた。
「前から準備はしてたから。……朝ご飯を準備しながらも色々やってたし」
最後の方は周りに聞こえないように、口もほとんど開けずに呟いた。しかし、水音にはしっかりと聞こえていたらしい。
「……そうか」
水音はどこか恥ずかしそうにそう言って、手を合わせた。
「いただきます」
細かいところになるけど、私は水音のきちんと挨拶する所が好きだ。
「……」
水音がハンバーグを口に運ぶのをじっくりと見る。
「どう、かな?」
「美味い」
「……良かった」
その一言に胸を撫で下ろす。自身も弁当に口をつける。よく知るいつもの味だ。良かった、失敗してなくて。
「くそ……あいつなんで竜童さんに弁当作って貰ってるんだよ」
「許せねぇよ……俺」
周りの喧騒はまったく耳に入らない。が、水音はその手を止めていた。
「やっぱり美味しくなかった?」
「いや、違う。そうじゃなくてだな」
分かっている。でも、どうしようもなく不安になってしまう。
「……ほんと?」
「ああ。いつも……ごほん。お、俺も多少は料理をするからな。善し悪しぐらいは分かるし、隠しもしない」
その言葉がじんわりと心を暖めてくれた。
その言葉通り、普段は水音が料理をしてくれていた。
……元々は体力の残っていた方が朝の準備や料理を作ることになっていたのだけれど、いつの間にか水音が作るようになっていた。休日とか、今日みたいに水音に言い出さない限り私が作る事は無い。
実際、私は水音の胃袋を掴みたいのだけれど、逆に掴まれてしまっている。前にも一度私がご飯を作ると言ったのだけれど断られてしまった。
『世話になっているからこういう時ぐらいはな』
とは彼の言葉だ。どちらかと言うとお世話になっているのは私の方だし、私がお世話したいけれど。こればかりは譲ってくれなかった。
それで私はかなり楽をすることが出来た。最初の頃は体力的に限界に近かったので特に。
だけど、変わらないといけない。水音に頼っていた生活を、水音に頼られる生活に。
「それで……なんだけどさ」
「ん?」
心臓がバクバクとうるさい。声を絞り出すのに気力を全て持っていかれそうになる。
大丈夫。大丈夫だ。
勇気を出して。水音に好きだと気づいてもらうんだ。
「明日から――」
「おいテメェ! 何火凛の弁当食ってんだよ! 俺のもんだぞ!」
「ちょ、良いところ……ああ、もう!」
教室のドアが開かれたその瞬間。その怒鳴り声に私は思わず口を噤んでしまった。
私は男の人が得意じゃない。先程あんなに強気になれたのは、介入するはずだと予測出来ていたから。
今みたいに弱い所を突かれれば、繕えなくなる。
「ぁ……」
……言うタイミングを逃した。振り絞った勇気が逆流し、体が震えている。
口がパクパクと開く。だけど、声が出てこない。
――それどころか鼻の奥がツンとなり、視界が滲み始めた。
だめだ。泣いたら水音に迷惑がかかる。それだけは――
「……はぁ。ここだと落ち着いて話す事も出来ないか。竜童。別の場所に行くぞ」
「え?」
気がつけば、水音は私の弁当と私の作った水音の弁当を包んで持ち、私の手を引いていた。
そのまま、私は水音に連れられる。扉の前で水音は止まった。錦君に塞がれていたから。
「邪魔だ」
「ああ? 何言って」
「本当に、怒るよ!」
奏音が無理やり退けようとした。しかし、錦君は意地でも退こうとしなかった。
「邪魔だ。聞こえなかったのか?」
「ああ!? うるせえ。そもそもテメェが」
「邪魔だと言った。俺だけじゃない。通行の妨げにもなってる事に気づけ」
顔を上げてみれば、教室の外で不満そうに錦君を見ている女子生徒が……あ、来栖ちゃんと輝夜ちゃんも居る。
見知った二人の顔を見つけて思わずまた俯いてしまった。すると、私を庇うように立っていた水音が私を隠すように少し下がった。
「チッ」
一つ舌打ちが聞こえた。それと同時に水音が私の手をしっかりと掴み直してゆっくり歩き始めた。
申し訳なさそうにする奏音に対し、大丈夫だと言おうとしたが言葉が出なかった。
泣いているのがバレてしまいそうで。
◆◆◆
そして、私は一つの空き教室に連れ込まれていた。
「ここは文芸部の教室でな。入ってみたは良いんだが、部員は俺一人。担当の先生とは最近仲良くなってな。一応部長って事になってるらしく、鍵を預けられたんだ。今まで使う機会は無かったがな。この廊下は人通りも少ないし、カーテンを閉めれば外からも見えないから邪魔が入る事も無い。絶好の隠れ場とも言える」
そう言って水音はカーテンを閉め、カチャリと鍵を閉めた。
ベランダに通じるカーテンは開いているため、教室はそこまで暗くない。
「さて、食べるか……とはならんぞ。さすがに」
机に弁当を置いた水音は、俯いている私の前に立った。
今顔を上げたら泣きそうになっている所を見られてしまうかもしれない。
「何を言おうとしていたのか気になるが、それより先に言わせて欲しい」
頬に暖かいものが触れる。それが水音の手だと気づいた瞬間にはもう遅く、無理やり目を合わせられてしまった。
「……なんて顔してるんだよ。それでだな。言いたいことって言うのはだな」
「な……に?」
どこか歯切れの悪い言い方に思わず疑問の声が出てしまう。
「……お前の弁当が美味かった。負担にならないんだったら、明日からも作って欲しい」
どこか恥ずかしそうに水音は言った。照れているのだろう。しかし、目はしっかりとこちらを見ている。
心がじんわりと暖かくなる。
「……俺も言ったんだから、お前も――」
水音は最後まで言葉を言えなかった。どうしてか?
私が抱きついたからに決まってる。
「どうして……どうして私の言いたいことが分かったの?」
「何を言いたかったのか俺には分からんぞ。あくまで俺の本音を言ったまでだ。あの場で言う訳にもいかなかったし」
水音はそう言ってぎこちなく頭を撫でてきた。
水音は嘘をつく時に頭を撫でると、どこかぎこちなくなる。
「水音は……いったいどれだけ」
私を理解しているんだろう。
これ以上好きになることはないと思っていた。
でも、もっと好きになってしまった。
「……? どうかしたか?」
「なんでもない。ご飯、食べよ?」
水音は私のこの気持ちはまだ分からないのだろう。あの事があったから、少し依存気味とは思っているのかもしれない。
でも、絶対に気づかせる。それで、付き合った日には――
◆◆◆
「ね、水音」
「なんだ?」
その後、ただ昼食を食べようとした。
……したのだが、火凛の様子がおかしい。
ちゃんと対面に椅子を用意して火凛の弁当も置いたのに、それを持って隣に来た。
一つの机に、二人の生徒が隣同士で座って食べるのはどうしても狭くなる。
「食べさせてあげよっか?」
「ただでさえ食べづらいのにそんな事をする気か」
だから距離が近い。互いの肌が簡単に触れ合えるほどに。というか左腕が柔らかいものに当たっている。
「でも、結構前に私が寝込んでた時は食べさせてくれたじゃない?」
「あれは風邪ひいてたからだろ」
「それとも……嫌だった?」
火凛は少し悲しそうに顔を俯かせた。
……その顔はずるい。
「ああ、もう分かった。分かったから」
仕方なく……仕方なく、その提案を受け入れた。
「はい、あーん♪」
「んぐっ」
緊張して味がしない……という訳でもなく、めちゃくちゃ美味い。
市販の冷凍品ではこの美味しさは引き出せないだろう。
「……美味い」
「良かった♪ ね。家でも作ってあげよっか?」
「それも……良いかもな。たまには頼む。一緒に作るのも楽しいかもな」
そうして話しながら食べていると、思っていたより早く食べ終わることが出来た。
「いつの間にかお前も食べ終わったのな」
「えへ」
火凛が可愛く笑う。やはり火凛には笑顔が似合っている。
「明日からもさ。この教室って使っていいの?」
「まあ、そうだな。もし先生に見つかっても部活の一環と言えばいいし問題ないはずだ。……教室だとあのチャラ男がうるさいしな」
「……本当にうるさいよね」
火凛の声に感情が篭っていなかった。地雷を踏んだかと時計を確認する振りをする。
「あと二十分はあるが……そろそろ戻るか?」
そう尋ねると、火凛は数秒迷い、そして抱きついてきた。
「ね、一回だけ……口でさせて」
そして、火凛は小さな声でそう言ってきた。
「いや、学校でそれはまずいだろ。というか飯食ってすぐだぞ」
「お願い。水音と……したくなったの。でも、さすがに全部するのはまずいし」
「それはそうだろうが……」
正直な話、反応していないと言えば嘘になる。いい匂いはするし、柔らかいものが当たっているしで距離が近いからだ。
「おねがい」
吐息が交わるほどに顔が近くなる。潤んだ瞳に見つめられ、妖しい動きで太腿を撫でられて体が動かなくなった。
「お前な……一回だけだぞ。あと臭いが付くからこれを着けてからだ」
カバンから銀色の四角いものを取り出すと、火凛は忌々しげにそれを睨んだ。
「……むぅ。生が良いのに」
「お前な……そんな事したらすぐバレるだろ」
そういう漫画では学校でする描写があったりするが、現実ではすぐにバレるだろう。
掃除の準備や歯ブラシを持っていくなどしなければ……いや、やめておこう。
そして、本気の火凛相手だと俺は十五分も持たなかった。