第84話 憧れ
遅れて申し訳ないです
「こっちの方ってあんまり来た事が無かったので新鮮です」
「前獅童君の家に行ったぶりだもんね」
輝夜と来栖が物珍しそうに辺りを見渡している。火凛は急いで家に帰って準備をしないといけないのでもう居ない。俺と奏音で目的地まで先導していた。
「……まあ、この辺りもそこまで何かある訳では無いからな」
「あのカフェぐらいだよね……水音達からすればスーパーもあるか」
「ああ……そうだな」
高校の近くこそカラオケだの飲食店だのが多いが、この辺は少ない。
「スーパー……って確か、苅谷君の彼女の……久佐さんが働いてる所だよね?」
「ああ。こっちとは少し離れた……火凛の家の方だな」
一度見てはいるのだろう。来栖がうんうんと頷き……輝夜がむむむっと唸った後にパッと顔を輝かせた。思い出したのだろう。
「ああ! あっちですか!」
「ああ。あそこは品ぞろえが良いし、品質も良い。……時々、高級肉なんかも仕入れてくるからな。毎日チェックしている」
「へぇ……お金持ちなんだ」
来栖が意外そうに見てくるが、俺は苦笑する。
「母さんからの教えでな。食事は一日三回あるんだから、手を抜くべきじゃない。大切な人と食べるなら尚更だ、とな。幸い俺は趣味はほとんど無かったから、お金は余ってたんだ」
「あれ? ご飯は獅童君が作ってるの? というか、お母さんが出してくれてる訳じゃ無いんだ」
――しまった、と思っても遅い。どう言うべきか迷っていると、奏音が口を開いた。
「……ほら、火凛のお父さんってなかなか帰って来ない訳じゃん? 時々水音がご飯作りに行ってるらしいのよ」
この一瞬で思いついた言い訳に思わず感激しそうになるが、それを表に出す訳にはいかない。
「……ああ。そういう事だ。それで、母さんや火凛のお父さんからは食事代とお小遣いを貰っているんだがな。食事代に消えていくと言う訳だ。……あとは貯金だ」
まさか避妊具にかなりの費用を費やしてるなど言えない。
「そういう事ね。納得」
「ほぇぇ……夕御飯まで一緒に食べてるんですね。仲良しさんです」
……奏音のお陰でどうにか切り抜けられた。一目奏音を見ると、パチリとウインクをされた。
……本当に将来大物になるんじゃないか?
その言葉を飲み込み、足を止める。
「ここだ、例のカフェ――」
俺が言葉を言い終える事は出来なかった。なぜなら、見慣れた少女が目に映ったから。
「兄さん!」
その少女はタッタッタッと駆けてきて、俺へ飛びついてきた。
「水美……相変わらず元気そうだな」
「兄さんが見えたから疲れも吹っ飛んじゃった!」
ぎゅっと抱きついてくる水美の頭を撫でると、嬉しそうに目を細められる。
「……本当に仲良いよね。カップルみたい」
「えへへ……そうかな」
奏音の言葉に水美が更に嬉しそうに頬を緩めた。それを見た輝夜が目を輝かせる。
「兄妹……禁断の恋!? 好きな人が居るのに実の妹と一線を―――」
「輝夜、いい加減にしなさい」
「いたっ」
暴走しかけた輝夜を来栖が諌める。思わず苦笑してしまった。
――と、水美が出てきた横道から一人の少女がこちらを伺っているのが見えた。
「あ、おーい、咲良ちゃんもおいでよ!」
「あ、うん!」
水美に呼ばれてその少女はやって来る。
「……ああ、久しぶりだね。咲良ちゃん」
「お久しぶりです! 水音先輩!」
小麦色に焼けた肌に、短く切りそろえられた髪。水美と同じように溌剌としている姿は、見るだけで元気を貰える。
「……あれ、あの時のかわい子ちゃんパート二じゃん」
「……あ、白雪奏音さんですよね! この前会ったって水美から聞きました! あの時はありがとうございました!」
「良いって良いって。困った時はお互い様っしょ」朝比奈咲良
そういえば、水美達二人が男に絡まれている時に奏音に助けられたんだったか。
「輝夜ちゃん達にも紹介しとくね。この子は私の友達の朝日奈咲良ちゃん!」
「どもです! 紹介されたです! 気軽に咲良ちゃんって呼んでください! 陸上部に入ってて長距離専門です!」
咲良はそう言ってぺこりと行儀よく頭を下げた。
「ご丁寧にありがとね。それじゃ私も改めて、白雪奏音だよ。水音の友達で、部活は……水音と同じ文芸部。それでこっちが……」
「来栖春です。同じく獅童君の友人で、文芸部の副部長をやってます」
「平間輝夜です。え、えっと……水音君のお、お友達で同じく文芸部です!」
咲良ちゃんは「はい! よろしくお願いします!」と言った後に俺を見た。
「それでそれで? 水音先輩、火凛先輩という人がありながら浮気ですか? ってか今日は火凛先輩いないんですか?」
「誰が浮気だ。火凛は私用で来れなくなった」
「へぇ。折角なら火凛先輩にも挨拶したかったんですけど。居ないなら仕方ないです」
残念そうにしながら、咲良ちゃんは頷いた。
「それじゃ、これ以上邪魔する訳にもいかないんで私は行きますね」
「……そうなのか? どうせだし奢るぞ?」
「や、遠慮しときます。最近走るのサボってたんで走り込みしときたいですし。また今度お願いします。あ、そうだ。水音先輩、今度一緒に走りましょうよ。水美から聞きましたよ? 体力がえげつないって」
「……ああ。別にいいぞ。……期待通りに出来なくても文句は言うなよ?」
「おけです。そんじゃ、自分は行きますね」
そう言って咲良ちゃんは走り出した。
「……嵐みたいな子だね」
「咲良ちゃん、せっかちだから」
奏音の言葉に水美が微笑む。
「……とりあえず、ここでずっと話しているのも迷惑だろう。中に入ってゆっくり話をしよう」
慌ただしい状況で軽く呆然としている輝夜達へそう告げて、俺達はカフェへと入った。
◆◆◆
「私はカフェラテかなー。水音は何飲むんだっけ?」
「俺はアイスコーヒーだな」
「私もアイスコーヒーにしようかな……輝夜はどうする?」
「私は……えっと、ミルクってありますか?」
「あ、ありますよ。アイスとホットどっちがよろしいですか?」
「あ、アイスで」
「承りましたご注文の確認をします――」
そうして注文を終えた俺達は、席へと着く。
「そういえば明日スキットの本番だったよな。皆は大丈夫そうなのか?」
そう聞けば、輝夜がうっと喉を詰まらせた。
「……覚えるのはどうにか。でも、発音があんまりです」
「発音は慣れるしかないからね。カタカナ読みはどうにか避けられたけど……」
「まあ、先生もそこまで厳しくは見ないと思うが。……奏音はどうだ?」
奏音はふふふと笑っている。
「よゆーもよゆー。あの子あんまり話したこと無かったけど発音も悪くないし、真面目にやるし。覚えて何回か合わせるぐらいまで出来たよ。そっちは……って聞くまでもないか」
奏音の言葉に苦笑する。
「まあ、火凛が居るからな。どうにでもなる」
「って言いながら獅童君もかなり成績良いよね。二人揃って文武両道って……本当凄いと思うよ」
「ありがとな……って言っても、来栖の方が凄い気もするが」
勉学や運動はともかく、人をまとめる事など俺は出来ない。その点人望の厚さや積極的な行動など来栖から見習う事は数多くありそうだ。
「みなさん凄いです。本当に。水音さんや火凛ちゃんも、春も、奏音ちゃんも。……水美ちゃん達も」
輝夜が少し。本当に少しだけ寂しそうに呟いた。
「輝夜も凄いぞ」
「いえ……私は凄くなんてないです」
「いや、凄いだろ。だって、上級生率いるチームから得点を取ったんだぞ。あの高校でそれが出来る女子はほとんど居ないだろ」
俺の言葉に輝夜がハッとなって顔を上げた。
「自信を持つべきだ、輝夜。そうでなければ……あれだけ練習していたのが意味がなかったみたいで少し悲しいぞ」
「そ、そんな事……!」
ふと、奏音が疑問に思ったのか口を開いた。
「そいえばさ。輝夜はどうしてあんなに頑張ってたの?」
その言葉に輝夜は少し考え込んだ様子を見せる。
「や、別に言いたくなかったら良いんだけどね。普通に気になっただけだから」
しかし、輝夜は奏音の言葉に首を振る。
「えっと、火凛ちゃんには内緒にして貰えますか? ……ちょっとだけ恥ずかしいので」
「ああ。分かった。……ここに居る人は皆口が堅いはずだから安心してくれ」
そう言えば、輝夜は頷いた。
「私、火凛ちゃんに憧れてるんです」
その言葉に奏音と水美は少し驚いた顔をし……頷いた。
「……やっぱり水音さんにはバレてましたか?」
「薄々察してはいた……と言っても、なんとなくでしかないが」
俺の言葉に輝夜は微笑み……続けた。
「私が初めて火凛ちゃんに会った時です。春が居ない時に男の人に絡まれて、火凛ちゃんが助けてくれた時……の話は水美ちゃん以外には前しましたよね。あの時、火凛ちゃんに『男性不信を一緒に克服しよう』って言われて。私、思ったんです」
輝夜はその時の事を思い出したのか、優しく微笑んだ。
「かっこいいなって。こんな人になりたいって」
そして、輝夜は続ける。
「でも、どうすればなれるのか分かりませんでした。私、勉強もあんまり出来ませんし……スポーツに関してはだめだめで……」
来栖がそっと輝夜の手を握った。輝夜は微笑み、その手をきゅっともう片方の手で握る。
「でも、あの時。……やった事ないって言ってたサッカーでもあれだけ活躍してて、私思ったんです。なりたいっていつまで思ってても変わる事は出来ないって。だから、私……水音さんから教わりたいと思ったんです」
輝夜はじっと俺を見た。
「あの後……私、水音さんに助けられたのに怯えてしまって。でも、ここで水音さんを信じなければまた何も変われないままだって思って……あの時、教えてもらいたいって言いました」
「一つ、聞いてもいいか?」
ずっと気になっていた事があった。
「はい、何でも聞いてください」
「どうして俺だったんだ? ……少しずつ変わる、と言うなら火凛に聞けば良いし、男性不信を治すのと並行してやるんだったら響へ聞いても良かったはずだ」
輝夜は優しく微笑みながら言った。
「一度だけ、火凛ちゃんが言ってたんです――」
『私ね。大切な人が居るんだ。私、その人にいっぱい迷惑を掛けて、でもいっぱい助けてくれて。……その人に恩を返したいんだ。もっと綺麗になって、男の人が苦手なのを治して。そうすれば、彼も喜んでくれると思うんだ。それが一番の恩返しになると思う。……もちろん、それとは別で恩返しもするけどね』
「って。火凛ちゃんが変わりたいと思わせた人。その人が水音さんなんだって分かりましたから。……私も色々教えて貰えたら変われるかなって」
……火凛が変わりたいと思っているのは将来の事を考えて、だと思っていた。
確かに、火凛が元気に過ごしてくれるのなら俺も嬉しい。
「……ごめんね。横入りして。輝夜、それ獅童君に言って大丈夫な話なの?」
「あっ!」
輝夜は声を上げ……目を泳がせた。
「……後で火凛ちゃんに謝ります」
「大丈夫だとは思うけどな。……まあ、そうした方が良いか」
口止めされていた訳では無いだろう。だが、それはそれとしてだ。
俺が黙っていれば火凛に伝わる事も無いはずだが……それは不誠実だろう。
「……えっと、それじゃあ話を戻しますね? 私が水音さんに頼んだ所からですよね」
「ああ」
輝夜はじっと俺の目を見た。
「……やっぱり、水音さんを信じて良かったです。毎日遅くまで練習に付き合ってくれましたから……苅谷さんも。ありがとうございます」
「俺も苅谷も好きでやってたからな」
「それでもです。お陰で私、二年生と三年生の方々相手に点を取る事が出来ましたから」
そして、輝夜はほう、と息を吐いた。
「私、ちゃんと変われていたんですね」
「うん。変わったよ、輝夜は」
来栖が優しく輝夜の頭を撫でた。輝夜はくすぐったそうにしている。
「俺が輝夜を凄いと思った理由はあと一つあったんだが……聞いてくれるか?」
俺がそう尋ねると、輝夜は勢いよく頷いた。
「はい! 聞きたいです!」
俺の脳裏に一人の少女が思い浮かんだ。
「俺は今まで火凛を見ていた。それこそどん底にいる頃から、今までずっと。……だから分かる。変わるのはとても難しい事だとな。……実際、俺も変わろうとしていて苦労しているしな」
火凛だけに目を向けてはいけない。もっと視野を広くするべきだと。……しかし、気がつけばまた火凛を見ている。
……まさかとは思うが、今日火凛が居ないのはその事を気にしていたからなのか?
いや、それは考えすぎか。
「……水音さんも変わりたいと思ってるんですか?」
「ん? あ、ああ。俺も視野が狭かった事に最近気づかされたからな」
意外そうに見てくる輝夜へそう答える。
「だから、俺も変わろうとする人はかっこいいと思うし、凄いと思う。……それで、実際に輝夜は変わった。運動が苦手なはずなのに、同級生でもやり遂げるのが難しい事をしたんだ。凄くない訳が無いだろう?」
そう言えば、肩を寄せられた。
「……兄さん。僕は?」
「水美も凄いだろう。あれだけ成果を上げたんだ。水美のこれまでの努力が伝わってきた」
何かに打ち込んでいた事は他の経験にも繋がる。今回のサッカーでは水美が最たる例だろう。
反射神経と指揮能力。そして、集中力。水美の日々の頑張りがヒシヒシと伝わった。
「だが、一つだけ。輝夜にも言える事だが……無理はしないで欲しい。何かあれば周りにすぐ相談してくれ。……生きていればどうにでも出来るし、支えてくれる人だって居るからな」
こういう事はあまり言いたくないが、言っておかねばならない。
「はい!」「うん!」
水美と輝夜は笑顔で頷いたのだった。




