第72話 世間は狭い
「……無理でした」
「まあ、相手は三年生だったからな。仕方ない」
結論から言えば、平間が点数を取る事は出来なかった。
ガックリと肩を落とす平間を励ますように言ったのだが、あまり効果は無かった。
「ごめんね、輝夜」
「う、ううん! 春もちゃんと頑張ってましたよ!」
来栖の言葉を平間が首をぶんぶん振って否定した。
「まあ、勝ったから次もチャンスはある。落ち着いてやればいいさ」
俺としても、一度で成功するとは思っていなかった。しかも相手は三年生なのだから。
「大丈夫だからな。チャンスは必ずやってくる。落ち着いて見極めてくれ」
そう言えば、平間は頷いた。
「はい、ありがとうございます!」
微笑んでくる平間に微笑み返す。
さて、時間があるがどうしようか。他クラスに知り合いは居ないが、試合を見ておくべきだろうか。
「え……え? あれ、なんで? ……え?」
と、考えていた時に来栖が焦った様子をみせた。
「どうかしたのか?」
「ううん……いや、だって……」
来栖が目を泳がせる。相当テンパっているようだ。
来栖は平間を見た。
「……もしかして、来てって言ったの?」
「はい……? ああ。もう来てたんですね」
平間は観客席を見て笑顔を見せる。
「お母さん」
その言葉に理解するのに多少の時間を要した。
……母親が来る、というだけなら全然理解出来る。というか良い親なんだなとは思う。だけど、今は状況が違う。
その母親は俺の事を知っている。……最近、平間にサッカーを教えていた事まで。いや、それは良い。問題は……平間の母親はかなり過保護な親という事だ。……平間も何かしら良くない過去があったようだし、男に対する印象が良いとは思えない。
「……どうするか」
「折角ですし挨拶しに行きませんか? お母さんもきっと獅童さんに会いたがってると思いますよ?」
「……」
「ちょ、輝夜。水音が凄い顔してるから」
「……水音のこんな顔初めて見た」
「えっ、どうしたの兄さん?」
水美達の言葉を聞いて俺は我に返る。
「……奏音。簡易的にで良いから遺書の書き方を教えてくれ」
「ちょ、何言い出してんのさ。てかなんで私に聞いた?」
「……奏音なら何でも知ってそうだしな」
「私をなんだと思ってるのさ」
奏音とそんなやり取りをしながら、俺は一抹の望みに縋る。
「……ちなみに来栖。平間の母親ってどんな人なんだ?」
「あー……輝夜が大好きで、悪く言えば親バカかな? ……あと、男の人が嫌いかな」
「…………死んだか」
一発殴られる覚悟ぐらいはした方がいいかもしれない。
「まあ……とりあえず行くしかないか」
「はい♪ 春も行きましょ」
「ん。もちろん……何かあったら私がフォローしないと」
「あ、私も行くー。火凛達も挨拶しとこ」
「そうだね。折角だし。水美も行こ」
どうせなら響も道連れにしようと辺りを見渡したが、見当たらず。……逃げたか? いや、元々席を外していたか。悪運の良い奴め。
そして、俺達は大所帯で平間の親へ挨拶しに行くこととなった。
◆◆◆
「輝夜、大丈夫? 怪我してない? ボールとか強くぶつけたりしてない?」
「大丈夫だよ、お母さん 。くすぐったいって」
……平間の母親は平間が来て嬉しそうな顔をした後、ぺたぺたと体を触り始めた。
それにしても、随分と綺麗な母親だ。お世辞抜きで平間の姉と言っても通じそうな見た目をしている。
そうしてしばらく平間の体を心配した後、平間の母親は俺を見た。
「はじめまして。平間輝夜さんの友人の獅童水音と申します」
「……そう、あなたが」
平間の母親は俺の眼をじっと見据えた。俺は決してこの眼を離してはいけないと直感的に悟る。
そうして数十秒ほど見つめられたかと思えば……ほう、と息を吐かれた。
「急に『今日は遅くなる』って連絡が来た時はびっくりしたわ。それに、男の子にサッカーを教えてもらうだなんて聞いて、もっと驚く事となりました」
「それは……」
つい口から謝罪の言葉が出かけたが、思いとどまる。
「娘さんが自らの殻を破ろうと……自分から成長したいと思ったからですよ」
謝るのは違うだろう。それは平間の覚悟を否定した事になる。
平間は驚いたように俺を見た。平間の母親も同じような表情だ。
「……謝罪はしない、と?」
「友人である来栖さんもいましたし、身勝手な行為では無いと判断しています」
来栖と平間は従姉妹同士らしいし、面識はあるはずだ。そして、来栖に信頼を置いているのも確かだろう。
その時、来栖が俺の隣に並んだ。
「彼は誠実な人です。輝夜とも適切な距離感を置いていましたし、優しく気の遣える人でした。二人きりで教えたい、と言われたとしても輝夜が了承していれば私もその通りにしましたね」
「……そう。あなたがそこまで言うのね」
平間の母親は来栖の言葉を聞いて目を閉じた。その時だった。
「あれ? 誰かと思ったら、来栖さん?」
聞きなれた声が後ろから聞こえた。そこに居たのは母さんだった。
「……白間さん?」
「ああ。私結婚して名前変わったんですよ。今の姓は獅童です……今ではそこの子達の母親ですよ」
「そうだったんですか……」
俺はもちろん、火凛達も驚いたように見ている。
「……母さん、平間の母親と知り合いだったのか」
「ああ。昔ね。お店に来てくれて仲良くなって……ちょーっと人生相談されたみたいな感じよ?」
「……あの時の言葉はちゃんと聞くべきでした」
平間の母親は……酷く後悔した顔を見せた。
「そっか。……まあ、こんな可愛い子が産まれたみたいなんだから良いんじゃない?」
「それは……はい。とても良い子に育ってくれてます。……それにしても、まさか彼が白……失礼しました。獅童さんの子とは思いませんでした」
……俺もまさか母さんが平間の母親と知り合いだったとは思っていなかった。
「……一つ、よろしいでしょうか。獅童さん」
「ええ、もちろん」
平間の母親が母さんへと尋ねる。その内容は……
「獅童さんの息子さんは、どんな子なのでしょうか」
「どんな子……ですか。そうですね。一言でいうなら…………一途な子、ですかね」
「おい母さん」
思わず突っ込んでしまった。
「この子ったら、本当に優しい子なんです。好きな子を想いすぎるあまり、他の女の子には目もくれなくて。……最近やっと、女の子の友達が出来たみたいで。私からしてみるとホッとしてますよ」
……そんな事を心配してたのか。では無くてだな。
「母さん。恥ずかしいからそれぐらいにしてくれ」
「あらあら? 私は水音がモテモテになってうれし――むぐっ」
もうダメだこの母さん。早く何とかせねば。父さんはどこだ? どこにいるんだ?
「……ふふ。仲良しさんなんですね。獅童さん……水音さんの所も」
「まあ……悪くは無いな」
平間が微笑み、俺は渋々同意する。
すると、平間の母親が俺をじっと見てきた。俺は母さんの口から手を離し、向き直る。
「……本当は、文句の一つでも言おうかと思っていました。ですが、あの時私を助けてくれた……信頼してくれた獅童さんの息子さんなら信頼したいと思います」
……母さんに助けられた、か。ホッとしながらも、少し微妙な気持ちだ。
「……いえ。私こそ生意気な口を聞いてすみませんでした」
そして自分の言動を思い直し、少々敬意が足りていなかったと自省する。
「良いんです。……あと、お礼を言わせてください。ありがとうございます。輝夜が男の子と一緒に居られるとは思いませんでしたから」
平間の母親が頭を下げる。俺は慌てて口を開いた。
「頭をあげてください。……それに、頑張ったのは平間……娘さんで、俺は手伝っただけですから」
「……獅童さん…………いえ、水音さん。私のことはもう輝夜と呼んでください。友達なのですから」
平間……否。輝夜にそう微笑まれ……俺は考え直した。
「……そうだな。そうしよう。それで、俺にお礼を言うのではなく……輝夜をたくさん褒めてやってください」
「……本当に良い子なのですね。親の教育のお陰もあるのでしょうか」
「ふふ。水音はびっくりするぐらい良い子だったからね。私なんかが教える事も少なかったよ」
「そんな事は無いぞ、母さん。俺は母さんからは数え切れない程の事を学んだ。……もちろん、父さんや水美からもな」
母さんからは料理以外にも様々な事を教わった。父さんからも、水美からもまだまだ学ぶ事は多い。
水美の頭を撫でれば、嬉しそうに目を細められた。
「……こちらも獅童さんの子供で?」
「はい! 兄さんの妹の獅童水美です! 輝夜ちゃんとはさっき知り合って友達になりました!」
溌剌とした水美を見て、輝夜の母親は嬉しそうにした。
「……そっか。輝夜も友達がもう出来たんだね」
「そうだよ、お母さん。私、高校でも大切な友達がいっぱい出来たんだ」
輝夜の母親は少しだけ涙ぐみながら、輝夜の頭を撫でた。輝夜は嬉しそうに言う。
「……貴方達も、輝夜の友達なんですね」
「はい。私は入学式の日から仲良くさせて貰ってます。竜童火凛です。水音の幼馴染でもあります」
「私は春繋がりで輝夜と知り合いました。今でも仲良くさせてもらってます」
輝夜のお母さんは火凛を見て驚き……何かに気づいたのか笑った。そして、奏音を見て微笑んだ。髪色に対する偏見などは無いらしい。いい事だ。
……その時、母さんがぽんと手を叩いた。
「ああ、そうだ。実はお母さん張り切りすぎちゃって、お昼作りすぎたんだよ。折角だしみんな食べていかない?」
「え!? 良いんですか?」
母さんの言葉に一番驚いたのは輝夜のお母さんだった。皆から視線を向けられて恥ずかしそうにしている。
「……獅童さんの所のご飯はとても美味しいんです。その……」
「あの時はうちの常連だったもんね。来栖さんは」
……なるほど。
「えっ、獅童君のお母さんって料理人だったんだ」
「ああ。息子の俺が言うのもなんだがめちゃくちゃ美味いぞ。……なんせ、俺の料理の師匠だからな」
「本当ですか!? ……あ、あの時のサンドイッチも美味しかったですけど」
「あれより美味いぞ。悔しいが」
来栖と輝夜の言葉に頷き、母さんを見る。ふふん、と嬉しそうに鼻を鳴らしていた。
「……ちなみにどれぐらい作ったんだ? 母さん」
「水音の友達が五、六人来ても問題ないぐらいにはね」
……なら大丈夫だろう。というか、奏音達が一緒に食べる事を想定していたのか。
「よし、折角だ。皆食べていってくれ。父さんも喜ぶはずだ」
俺の言葉に、皆嬉しそうに頷くのだった。
◆◆◆
「それにしても、まさか輝夜のお母さんとまで仲良くなるなんて」
「ふふ。頑張って水音さんの良い所を毎日伝えてましたから……わっ」
ニコリと微笑む輝夜の頭をうりうりと撫でる。
「要らない気苦労だったか。どうやって獅童君をフォローしようかずっと考えてたんだからね」
私からしてみても、輝夜のお母さんと獅童君の仲が悪くなるのは気持ちのいいものでは無い。
輝夜のお母さんとは最近会ってなかったけど、どうフォローするべきかかなり悩んでいたのだ。
「……ふふ。でも、春の言葉はちゃんと届いてましたよ?」
「……なら良いんだけどね」
輝夜のお世話係……と言う訳では無いけど、輝夜の事は頼まれている。だから、今まではなるべく離れないようにしていた。
……もし獅童君に火凛が居なければ、輝夜を猛プッシュしていたかもしれない。いや、火凛を疎ましく思ってるとかは全然無いんだけど。
これを足掛かりとして、色んな男の子と仲良くなって欲しいとは思う。……私も輝夜が変な男に引っかからないよう見極めないといけないけど。
ふと見れば、獅童君と火凛は肩が触れるほど近くにいて……微笑みあっていた。前見た時と違って、少しだけ獅童君も照れている。
……どうして付き合ってないんだろうな、この二人は。本当に。




