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第71話 水美の実力

「水美、本当に大丈夫?」

「うん! 大丈夫だよ、反射神経には自信あるんだ!」


 女子キーパー専用の桃色のビブスを着け、グローブを嵌めた水美を心配そうに火凛が見ていた。


「大丈夫だぞ、火凛。水美の運動神経は中学生の中でもトップだ。俺は何度か試合を見ているからな」

「えへへ……姉さんも今度兄さんと見に来てね!」

「え、えっと……うん、もちろん行きたいけど……怪我とかしないようにね?」

「もちろん!」



 水美は靴紐を結び直し、観客席に手を振った……父さんがぶんぶんと手を振って……カメラを取り出した。懐かしいな、あれ。



「……何あれ? やば、カメラゴツイんだけど」

 それを見て奏音が引きつった笑みを見せた。


「昔父さんが貯金叩はたいて買ったやつだ。あの時は凄かったな……母さんを怒らせないようにしようって初めて思ったのはあの時だったな」

「水音のお父さんのご飯だけ一週間インスタントになったんだっけ……?」

「ああ。あの時は子供の俺でも可哀想だと思ったぞ。泣いて謝りながら食べてたからな」



 もしかしたら俺が反抗期を迎えなかった理由の一つかもしれない。それほどまでに父さんは痛ましい姿を見せた。



 ……まあ、それで撮った写真は母さんも喜んで見ていたんだが。


「それじゃ、水美にアドバイスをしておく」

「はい! 兄さん!」


 水美はわざとらしく敬礼した。隠そうとしているが、やはり緊張しているらしい。


「まず一つ目。普段と同じように指示をするんだ。キーパーが一番視野を広く出来るからな。次期キャプテン、という事で指示とかしてたもんな。あの調子だ。そして、二つ目。相手が来た時は眼ではなくボールだけを見ろ」


「普段と同じ……でも相手が来たらボールだけ……うん、分かった!」


 

「あ、水美。あと一つ良いか?」

「ん? どうしたの? 兄さ……わっぷ」


 水美を抱きしめる。


「あまり気負いすぎるな。点を取られたとしても俺達が残ってるからな。点差はいくらでも取り返せる」


 火凛もやってきて、後ろから水美の頭を撫でた。


「ん。いざとなったら私達が居るから無理はしないでね」


「……うん! 僕、頑張ってくる!」


 水美は笑顔でグラウンドへと向かったのだった。



 ◆◆◆



 舐められてる、と。そう思った。



 なんなんだ。錦とかいう一年がそこそこやる、と聞いていたのに。【悪魔】の女に手を出そうとしてやられただとか。



 そんで、代わりに出てきたのがその【悪魔】の妹。


 中坊を出すなんざ舐めてるとしか思えない。




 開始のホイッスルの音が鳴る。それと同時に俺は駆け出した。



 ……やっぱり一年は弱い。このクラスには全国レベルの奴が居るって話だったが、このチームでは無いらしい。


 ハズレだ、ハズレ。


 あーあ、良さそうな奴が居ればサッカー部にスカウトしたんだが。……まあいい。とりあえず一点取って【悪魔】に赤っ恥をかかせてやろう。





 すぐにゴール前へ来た。女子がキーパーをやっている時は本気で蹴るな、って話だったんだが……




「サッカー部舐めんな」


 本気なんか出さずとも取れる。




 思い切り右脚を突き出し……直前でアウトサイドから蹴り出す。足の向きから四十五度近く変わった感じだ。


 ボールはゴールポストの右端へ行く。……取ったな。







「……よっ、と」


 ぱす、と。()()()()()()()()()()ボールは、その少女が両手でしっかりと捕まえていた。




「……は?」



「八番さん! 投げます!」



 取られた、という事を理解せぬまま俺は癖で振り返る。




「……くそ、ブラフか!?」


 八番は確かにフリーだ。しかし、居るのは自陣のゴール横。



 多分、中央にいる五番あたりが本命だろう。



 走り出そうとした時だ。










 ボールは、俺の頭上を軽々と超え……まっすぐと八番の元へと飛んで行った。




 ◆◆◆




「……凄い」

「ああ。まさかここまでやるとはな」


 水美の活躍に思わず鳥肌が立つ。




 サッカー部らしい動きをしていた男のボールを止め……相手コートの奥にいる生徒へ狙いよくボールを投げている。……何メートル投げてるんだ、あれは。



「……待って。まじで? あれサッカー部のキャプテンでエースなんだけど。そんな奴のボール止めたの? え? やばすぎない?」

「……凄くかっこいいです」

「というか肩強すぎない? あれだけ投げられるのって、野球部とかその辺だけだと思うんだけど」



 奏音達も驚いた様子を見せた。



「……確か、水美は友人との遊びでコート外からシュートを決めたりしてたからな。実践だと集中力が足りなくて出来ないらしいが……まあ、邪魔されない時ならあれぐらいは出来るんだろう」

「……漫画の世界じゃん」



 来栖の言葉に思わず苦笑する。


「判断力に、反射神経……そして、運動神経と集中力。全てに置いて水美に才能はあったし……努力も人一倍やってきた。正直、体力と握力以外なら俺は負けると思うぞ」



 サッカー部のキャプテンらしい男が全力でドリブルし……フェイントを掛けながら全力でシュートをした。確か、女子がゴールキーパーをしている時に強いシュートを打ったり、本気で蹴るのはルール違反だったはずだが……





 水美は止めた。それも余裕を見せながら。



「うっそ……ガチじゃん。何あれ。プロ目指せるじゃん」

「あれ止められるの……?」

「み、見えませんでした……いつの間に取ったんですか?」


 奏音達の反応に思わず微笑んでしまう。やはり、身内が褒められると俺まで嬉しくなってしまう。




 火凛は興奮した様子で水美を見ていた。


「な? 心配無いって言っただろ?」

「……ん。驚いた」



 と、その時奏音が俺の肩をちょんとつついてきた。


「ね。さっき水美ちゃんにアドバイスした時さ。相手のボールだけを見てろって言ってたけどどういう事なの?」

「ああ……簡単だ」


 水美から目を離さないようにしつつ、奏音からの質問に答える。


「水美は脳のリソースの割き方が上手い。マルチタスクが上手いと言った方が良いか。辺りを見て、自分がどう動けばいいのか、周りがどう動けば良いのか、そして自分の体の動かし方まで同時に行う。それもかなりの高水準で」


 水美が体力の残っている男子を見極め、ボールを投げた。



 そしてボールを持った男子生徒はそのままシュートし……一点を決めた。



「だがな。実は水美は特攻が一番得意なタイプなんだ」

「……特攻?」




 サッカー部のキャプテン……面倒だからキャプテンで良いか。


 キャプテンはやはり生徒をごぼう抜きにしてキーパーへと近づく。




 かなりの至近距離だ。



「あれやばいんじゃ――」


「水美の集中力は誰にも負けない」






 そこから放たれたキャプテンの本気のシュートに……水美は食らいついた。







「嘘……」



「水美は本来司令塔向きでは無い……否。司令塔よりこっちの適正があると言った方が良いか。ああいう反射神経勝負だと特にな」



 水美はボールを投げ……俺に向かってVサインを出した。微笑み返す。



「眼を見るな、と言ったのも水美の集中力をボールだけに向けるためだ。駆け引きなどはやはり経験が豊富な相手の方が有利だからな。特に視線の動きや筋肉の動きなんかはフェイントを掛けられやすい」


 奏音は唖然としているキャプテンを見て少しだけ引いていた。


「……うわぁ。あんなんプライドズタボロにされるじゃん」

「ルール違反する方が悪い」

「ん、あれはあの男が悪い。水美が怪我するかもしれなかったのに……」

「ああ。審判に抗議しに行くか」


 そして向かおうとしたのだが、奏音にガッチリと肩を掴まれた。


「……どうして止めるんだ、奏音」

「……ん。なんで?」


「ちょ、二人とも顔怖いって! 周りみて、周り! もうあんた達のお父さん達が言いに行ってるから!」



 奏音に言われて初めて水美から視線を外す……あ、父さんと火凛のお父さんが審判へ詰め寄っている。


 審判はたじたじになり……そのキャプテンを呼んだ。というか父さん達の対応をしていたから注意出来てなかったのか?





 ……なるほど。視野は広く、思考は深くしないといけないな。ちゃんと先を見通さなければいけない。


「……助かった、奏音」

「ん、ありがと」

「いやいや。お礼を言われるほどじゃないって」


 キャプテンは呼び出され……審判から厳重注意をされていた。


 そのキャプテンは顔を真っ赤にしていたが……すぐに落ち着いた様子を見せた。



 ……さすが、と言うべきかどうかは迷うが。部活生だから感情のコントロールなども出来るのだろう。



 手強くなるかもしれないな。






 水美を見ると、目が合った。水美は一度頷き……頬をパン、と張った。





 水美も本気で集中する、という事だ。


「……水美ちゃん、大丈夫なのかな?」

「正直、俺も分からん。反射神経なら負ける事は無いだろうが……」


 負け筋は無い訳では無い。


 たとえば、何かしらの方法で水美の注意を逸らされる。一瞬でもボールから意識が離されれば、水美は反応出来ないかもしれない。


 ……そして、もう一つ。それはシュートをされないまま抜かれる事。


 つまり、ドリブルで抜かれる事だ。


 まあ、こちらは早々やって来ないと思う。単純に怪我をする可能性が高いからだ。女子の、それも歳下相手にそんな事は……しないと思いたい。




 思考の海に沈んでいたが、ホイッスルの音で引き戻された。


 ◆◆◆




「……集中!」



 自分を鼓舞するようにそう言った。理由は、相手のレベルが一段階上がったからだ。




 感情のままにスポーツをするのは良くない。これは兄さんから聞いたことだし、バスケをやっていてよく分かった。


 怒りは人を単純にさせる。先程だって、ただ強いシュートを打つぐらいの事しかやって来なかった。




 だが、その人の眼が変わった。細められ、分析してくる……強い人の眼だ。ああいうのにいつも苦戦を強いられる。




 浅く息を吐く。そして、全体を見――



「……七番さん! 後ろ!」

「うおっ!」



 ボールが取られた。私は意識を切り替え、ボールだけを見る。



 ボールはどんどんと近づいてくる。僕は腰を落とし、すぐに動けるよう感覚を機敏にさせた。



 風の一つ一つが肌に突き刺さるような感覚。瞬きをしないよう意識を更に集中させた。




 ボールは……右!



「……よっ……し!」





 先程と違って高く浮く、ゆっくりとしたボールだった。だけど、ちゃんと取れた。




 僕は前の方にいた男子生徒へ向かって投げ――



「へへっ」


 投げようとした直線上に、先程の男が跳んでいた。



 跳ね返れば反応出来ずに点を取られるだろう。完全に油断していた。




「はっ」



 軽く息を吐き、軸足を踏ん張る。



「バスケ部……舐めないでよねッッ!」



 左手を振り抜き、右手に持っていたボールを掌底で撃ち抜く。


「なっ――」

「三番さん!」



 ボールは進行方向を変えて放物線を描き、自陣の生徒へ向かった。


 多分、動きからしてサッカーが出来る人だ。


 予想通りボールは受け止められた。そしてそのままパスを繋いで……




 一点を決めた。これで二点目だ。それと同時に試合終了のホイッスルが鳴る。


「やった!」


 つい癖でぴょんぴょん飛び跳ねてしまった。兄さんを見ると、笑顔で頷いていたので微笑み返した。姉さんも拍手を送ってくれている。



 ……遠くでお父さんが泣きながらカメラを構えていた気がするけど放っておこう。




「……どんな反射神経してんだよ。本当に中学生かよ」


 さっきの男の人が僕を見てそう言った。


「僕の兄さんは凄い人なんだ。だから、僕も兄さんに負けないようにたくさん頑張った。それだけだよ」

「……あの【悪魔】はもっとやべえって事か」

「悪魔?」

「いや、何でもねえよ。完敗だ。まさかサッカー部でも無い女子中学生に負けるとはな」


 その言葉に思わず苦笑する。


「でも、手加減してくれましたよね。ちゃんと……というか、ドリブルとか超至近距離からのシュートなら多分無理でした」

「そんな恥ずかしい真似する訳無いだろ……って言いたいが、さっきはみっともない真似したからな。悪かったよ」


 男だからどうとか、女だからどうとかは苦手だけど……ルールなら仕方ない。


「ううん。大丈夫です……ちゃんと取れましたし」

「おお……言うじゃねぇか」


 と、その時。早く並んでとの通達があった。


 最後に礼をして終わりらしい。その人が走り、僕も自分のチームへ並んだ。


 ◆◆◆


「兄さん兄さん! ちゃんと僕の活躍見てくれた!?」

「ああ、ずっと見てたぞ。本当に凄いな、水美」

「ん。私もびっくりした。凄いかっこよかったよ、水美」

「えへへー」


 水美の頭を撫でれば、嬉しそうにはにかんだ。


「うん。本当に凄かったね」

「はい♪ とっても素敵でした!」


 来栖や平間からも褒められ、水美がくすぐったそうにした。


「ありがと! 二人とも!」


 そして、奏音も水美を見て笑った。


「やー、ほんと規格外っていうか。サッカー部のキャプテンのボール取るなんてね。すっごいかっこよかったよ」

「うん! ありがとー! 奏音ちゃんも!」


 そして……奏音はニヤリと笑った。


「ところでさ。最後の方、あのキャプテン先輩と話してたみたいだけど……ひょっとしてデートの約束でもしてきたの?」

「……? ちょっと話してきただけだよ?」


 水美が首を傾げてそう返す。奏音はえっと声を上げた。



「……いやさ。こう、なんかなかったの? かっこいいなーって思ったりとか」

「……どうして? 誠実だな、ぐらいは思ったけど」

「あー……まじか。フラグぽっきり折れたか。ちなみに最近好きな人とか居ないの?」

「兄さんと姉さん!」

「わー正直」


 奏音がちょいちょい、と俺の肩をつついてきた。


「この子大丈夫? 水音と火凛の事好きすぎない? さっきのバリバリ恋愛フラグだと思ってたんだけど。バキバキに折ってたんだけど」

「人間、いつかは好きな人が出来るものだ。今ぐらいは俺や火凛に甘えても良いだろう」

「や、その好きな人が多分水音達っぽいんだけど……」

 奏音が言いにくそうにそう言ってくる。


「よく言うだろ? 敬愛と恋愛は別だと。そのうち同級生なんかで好きな人とか出てくると思うぞ。……俺が嫉妬するレベルの男でないと認める気は無いが」

「無理じゃん。不可能じゃん。てか水音がいい男すぎて他の男が霞んでるやつじゃん絶対」


 その言葉に苦笑する。……実際、水美が本当に好きな人が出来れば心から祝福するつもりだが。



「……む。僕は兄さんのことがずっと一番好きだよ!」

「ああ、ありがとな」


 少しだけむすっとした水美の頭を撫でれば、嬉しそうに目が細められた。可愛らしい。


「……ね、水美。私は?」

「ん! 姉さんも一番好き!」

「ふふ……そっかぁ」


 火凛が俺の手に重ねながら水美を撫でた。


「や、まあ二人もそれで良さそうならいっか……私の考えすぎかもしれないし」


 奏音はぶつぶつとそう呟いた後、ため息を吐いた。


 水美が俺と火凛を見てニコリと笑った。


「これが終わったら次は兄さん達の番だね! 僕、いっぱい応援するからね!」

「ああ。俺達も頑張ってくるからな」



 今はBチームが試合をしているのだが、幸いにも点は取られていない。試合時間も残り僅かだ。



 少し緊張しながら来栖の服の裾を掴んでいる平間を見る。


「……平間、俺の言った事は覚えてるよな?」

「は、はい!」


 平間は肩を跳ねさせながらそう言った。


「あまり緊張しすぎるな。大丈夫だ、平間なら。……今回が無理だったとしても次の試合……三回はチャンスがある」

「お、全部勝つ気なんだね」

「当たり前だ。こっちには響も水美も居る」


 奏音に聞かれたが、即座にそう返す。


 ……こうでも言わなければ、平間に要らぬ心配を掛けてしまう。そうすれば成功するものも出来なくなってしまうからだ。


「と、言う訳だ。いざとなったら頼むぞ、響」

「おうよ。いざとなった時はな」



 耳をそばだてていた響へそう告げると、笑顔でそう返してきた。


「あ、そうだ。水音、お昼に俺の彼女が来るらしいからついでに紹介させてくれ」

「ああ、分かった」




 響へそう返した時、ピーッと甲高いホイッスルの音が鳴った。



「それじゃ行くぞ」



 火凛達に声を掛け、グラウンドへ向かうのだった。

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