第67話 火凛の激情
「それじゃ二人一組になってスキットの練習をしてね。来週の水曜に本番だから」
英語の授業が始まり、先生はそんな絶望的な言葉を告げてきた。
スキット、とは英語の授業で時々用いられる物でちょっとしたシチュエーションを想定して行う寸劇だ。
例えば、店員と客の会話など。今回の場合は片方の生徒が電話を掛け、友人に明日の時間割を確認するといったものだ。
嫌だ。本当に嫌だ。友人の少ないコミュ障には辛すぎるぞこの授業。
……と、半月前の俺なら言って居ただろう。だが、今はそんな弱音を吐いている場合では無い。
緊張して震える手をぐっと握りしめ、一つの席へと向かう。
「竜童さん、良ければ俺としてくれませんか?」
「ごめんなさい、もう相手が居ますから」
……そこに座っていたのは一人の少女。愛想笑いを顔に張りつけ、一人の男子生徒からの誘いを断っていた。
その瞳が俺を見つけた瞬間、顔がパッと輝いた。
「火凛……良かったら、俺とやってくれないか?」
「ん、喜んで♪」
火凛はニコリと微笑み前の席へ座るよう促してきた。
席の主は……別の席に座ってるから大丈夫だろう。俺はそこへ腰掛ける。
余談になるが、俺が火凛と奏音を下の名前で呼ぶようになって周りからの視線はより一層厳しいものとなった。
特に、火凛は基本的に男子には苗字呼びをするよう呼びかけるからだ。……言葉を無視する者も居るが、基本的に男子は火凛に嫌われたくない一心で名前呼びをする事はしない。
「それじゃ、水音はどっちやりたい?」
「……どっちでも、が一番困るんだよな。じゃあ電話を掛ける側でも良いか?」
「ん、おっけ。じゃあ私は掛けられる側ね。台本はどうする? それぞれで作る……と噛み合わなくなるもんね」
「ああ。多少時間は掛かるかもしれないが、一緒に作ろう。お互いミスがあっても気づけるだろうしな」
そうして、二人で単語や文法などを確認しながら文を作り始める。
「水音、ここちょっと単語抜けてる」
「あ、悪い。ありがとうな」
ちょっとしたミスが所々見つかるが、火凛に指摘されて書き直す。
そんな事をしていると、見回りに来た先生に声をかけられた。
「あら、こっちは頭良いペアなのね。期待してるわよ」
「あ……ありがとうございます」
先生から掛けられる期待が重い。……定期テストでは、総合で火凛が学年で二番、俺が三番となっていた。その結果は先生にも知られており、最近はこんな風に声を掛けられたりする。
また余談になるが、一番が来栖、七番が奏音だったりする。奏音は授業を真面目に受けているし、勉強も要領良く出来ると火凛が言っていた。確かに中学の頃も席次で毎回上位にいたような気がする。
……平間の順位は分からない。張り出されるのが十番までだったからだ。そこまで低くない……とは思う。来栖が勉強を教えていたりしそうだし。
「……別の事考えてるでしょ」
火凛がスっと目を細めてそう言ってきた。
「……悪い。少しな」
しかし、ふと気になった俺は我慢出来ず辺りを見渡した。予報通り平間は来栖と組んでいた。奏音は……女子生徒と組んでいた。あまり目立たない生徒だ。仲が良かったのかと首を傾げていると、火凛が気づいたのかくすりと笑った。
「奏音はね。前までは私とやってたんだけど、気を利かせて貰って別の人と組んでるんだ色んな人と組んでるみたいだけど、あんまり組むのが得意じゃない人とするみたいだよ」
「……なるほど。奏音らしいな」
つまり、俺のようなぼっちを救済してくれているのか。下手な優しさは逆に辛くなるが……奏音はコミュニケーション能力も高いので大丈夫なのだろう。
「……それよりさ、早く続きやろ?」
火凛は微笑んでいるが、瞳の奥は笑っていない。
……怒らせたな。いや、集中していなかった俺が悪いが。
それにしても懐かしいな。中学の頃は俺が女子と事務的な会話をしただけでもこうした目を向けられ……徹底的に搾られたな。
……授業中に考える事ではないな。早く台本を作って練習に移ろう。
そうして、俺は火凛と共に台本を仕上げ、この時間で一度通す事まで行うのだった。
◆◆◆
「ただいま」
程よく疲れの残った足を引きずり、火凛の家へと帰る。扉を開き、閉じるとてくてくと近づいてくる足音が聞こえた。
「おかえり、水音」
「ああ…………おま、その格好」
火凛の格好に見蕩れる。剥き出しの白い肩に、健康的な太腿。……その身に纏われているのはエプロン一枚のみ。
裸エプロン。その扇情的な姿に目が釘付けになる。
火凛はそんな俺を見てにこりと笑った。
「どうする? ご飯にする? お風呂にする?……それとも」
火凛はエプロンの前をゆっくりと捲る。
「私にする?」
…………その下には制服のスカートが履かれている。しかし、下着をギリギリ隠せるぐらいのかなり折り曲げて短くされた物。完全に忘れかけていたが、まだ火凛は致す事の出来ない日だ。
エプロンは捲れ上がり……豊満な胸がさらけ出された。
下は付けているのに、上はエプロンのみ。そんなアンバランスな格好を見た俺の頭の中から疲れは消え去ったのだった。
◆◆◆
一度だけお互いに絶頂を迎えた後に、別々で風呂に入ってから晩ご飯を食べた。片付けなどの細々こまごまとした物を終え、部屋に戻って二人でベッドに寝転がる。
「そういえば、どんな感じだったの?輝夜達」
「ああ。やれるだけの事はやった。付け焼き刃に過ぎないが……二人とも頑張っていたからな。一試合で、となると厳しいだろうが勝ち進めば問題ない」
そう言えば、火凛はくすりと笑った。
「負けるかも、っては思わないんだ」
「まあ、うちのクラスは皆運動神経が良いからな。それに、いざとなれば響に頼る」
「あ、そういえばサッカー凄いんだっけ。苅谷君」
……どうやら火凛も知っていたらしい。思わずため息を吐いた。
「……どうかしたの?」
「いや、なんでも……そういえば玉木の事を覚えてるか?」
火凛はきょとんとした顔をして頷いた。
「あれだけ濃い人の事、そう簡単に忘れられないと思うけど……」
「それは同意する。……で、玉木なんだがどうやら響の従兄弟らしい」
「えっ!? そうだったんだ……あんまり苅谷君とは話した事無かったけど、確かに少しだけ個性的な人だよね」
クスリと笑う火凛に釣られて俺も笑う。すると、火凛がぎゅっと手を握って来た。
「ね、水音。……玉木君の事なんだけどさ。私達の事バレてたよね」
火凛の言葉に俺は思わず目を丸くした。
「……気づいてたのか」
「時々意味深な事を水音に言ってたからね。なんとなく分かったよ。……話したの?」
「いや、俺は一言も言ってない」
そう言えば、火凛は驚きのあまり声を漏らした。
「えっ……本当?」
「ああ。聞いてみたんだが、ふとした瞬間俺と火凛が目を合わせた時なんかに雰囲気が違うと気づいたらしい」
「……凄いね、観察眼。奏音も言われるまで気づかなかったらしいのに」
「本当にな。俺もバレるとは思ってなかった。……言っておくが、仲直りをした、という事だけ気づいたらしい」
火凛が肌を寄せてくる。肩が触れ合い、お互いの体温が伝わる。
「……言わないんだね」
「玉木の口が軽い、という訳ではないがな。……一般的に見て俺の立ち位置はクズ同然だ。嫌われたくない、というのが本音になる」
「そんな事ない!」
珍しい火凛の強い言葉にビクリと肩が跳ねた。
「あ、ごめん……でも、水音はクズなんかじゃない。奏音だって分かってくれたよ」
「……奏音は特別だった、ってのはあると思うぞ。あれだけ精神が大人に近づいていればな」
「……なら輝夜達にも全部話そうか? “絶対”理解してくれるから。理解してくれなかったら友達を辞める、って誓っても良いよ」
そう顔を近づけて捲し立ててくる火凛の額に額を当てる。
「落ち着け、火凛。俺も言葉が悪かったが、自分の言っている事をよく考えてくれ」
火凛は少し戸惑った様子を見せた後に目を閉じ、深呼吸をする。
顔が近く、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。それを無視し、火凛が目を開けるのを待った。
「……ごめんね。ちょっと興奮してた」
「いや、分かってくれたなら「それでも」」
火凛は言葉に割り込んでくる。その目はしっかりと俺を見据えていた。
「私は水音の事を“クズ”だなんて言う人とは分かり合えるとは思わない。確かに輝夜ちゃんは男の人が苦手だし、来栖ちゃんも輝夜ちゃん程では無いけど男の人を嫌ってるよ」
来栖にそんな事実がある事は初耳だったが、今は放っておく。
「でも、二人は水音がそこらの下半身に脳みそがあるような男と違うって事は知ってるよ。特に、輝夜ちゃんなんて。男の人と話す事すら苦手だったのに水音と話せるようになってる」
火凛の鼻先が触れた。
「今すぐ、とは言わないけど二人にも近いうちに話すよ」
「……だが」
「だがもしかしも無し! 決定事項だからね!」
珍しく火凛は強引にそう言って、俺を抱きしめてきた。
「……もう一回するよ」
「いや、待て。さっき風呂に入ったばかりだろ。というか明日本番だからお互い一回だけって約束だっただろう」
そう言っても火凛は聞かず、俺のズボンを下ろした。
「水音は動かなくて良いよ。私が口でするから。それに、後で濡れタオル持ってきて拭くから」
……火凛がこうして無理にしようとする理由も分からない訳では無い。
このままだと少し微妙な空気で眠ってしまいそうだから。一度お互いに触れ合う事でリセットしようとの考えだろう。
別名、仲直りックスとも言うか。いや、致しはしないのだが。
「……分かった、火凛」
俺としてもそんな微妙な空気にはしたくない。俺は頷き、火凛の頭を撫でるのだった。




