第53話 一家団欒
その後、家の中へと入り、リビングで皆がゆったりと過ごしていた。
母さんと父さんが火凛のお父さんと話したり、俺と火凛と水美でゲームをしたり。
しかし、そんな時間は唐突に終わりを告げた。
「先に言っておくけど、今日は私がステーキ焼くからね」
ピシリと家中の空気が固まった。
「……まじ?」
「えっ……えっ、嘘じゃないよね?」
「……何年振りだ? 母さんがステーキ焼くのって」
思わず生唾を飲み込む。ただ、火凛と火凛のお父さんだけは理解していないらしく、俺達を見て目を丸くしている。
「なんか、すごい事になってるけど……どういう事なの?」
「母さんは料理に一切手は抜かない。……特に、ステーキみたいに素材の味を最大限に引き出せるような物はな。そういう物はあまり作らないんだ。元々良い素材が買えないといけないからな」
料理に手を抜かないと言う事は、素材にも一切手を抜かないと言う事だ。当然コストがかかってしまう。
だからこそお祝いごとがある時……その中でも良い肉を仕入れられるタイミングでしか食べられない。
余談になるが、俺と火凛の卒業と入学祝いはBBQをやった。しかし、その時は海鮮中心だ。丁度母さん達から聞かれた時、俺と火凛が海鮮を食べたい気分だったのだ。
だから、火凛達は母さんの言葉の意味が分からなかったのだろう。
「……つまり、高いお肉が手に入ったから、って事?」
「そうなるな。だが、そこらのステーキ店で食べられなくなるかもしれないと言う弊害が……と思ったが今更だな。母さんより料理が上手い店を俺は知らない」
「あら嬉しい。水音には一枚プラスしてあげる!」
母さんの言葉に思わずガッツポーズをしてしまう。これが狙いと言う訳では無かったが、思わぬ副産物だ。
「お、お母さん! 僕もお母さんの料理が一番好きだよ!」
「ふふ。魂胆が明け透けよ? でも嬉しいから一枚増やしちゃう! ……って言っても、いっぱいあるからね。ガンガンお代わりして良いわよ」
……まじか。いや、水美に言うって事は本当にかなりの量があるんだろう。
ただ、一つ気になるのが火凛のお父さんだ。凄い冷や汗をかいている。
「……あ、あの……いくら払えば良いのかな?」
その言葉を聞いて母さんが笑った。
「良いって良いって。これも昔働いてた所の店主がくれたんだよ。今日の朝水音が出た後に連絡があって、最近店の出入りが減ってるらしくてさ。確実に余るから安くで売るって言うから買ったんだよ。私も値段聞いてびっくりしたからね。本当に気にしないで」
……そういえば、母さんは一時期コック長をしていたんだったな。その時に店主(女)と仲が良くなったんだったか。
「そうだぞ。我が家は飯以外あんまり金使わないからな。大人しく食べてくれ。……とは言っても、一口でも食えば止まらなくなるけどな」
それに続いて父さんが言った。火凛のお父さんは少し考え込んだ後に頷いた。
「……分かった。じゃあ遠慮なくいただくよ」
「火凛も遠慮するなよ?」
「ん。……ありがとう」
火凛も気を使いがちな性格なので、頭を撫でながら言うと心地よさそうに目を細めながらそう返した。
「ああ、そうだ。母さん」
「分かってるわよ。そろそろ高い肉の調理の仕方も教えないといけなかったからね。あとちょっとしたら仕込みを始めるから来なさい」
「助かる。ありがとう、母さん」
こんな機会でしか見る事が出来ない。内心で先程より大きくガッツポーズを取った。
◆◆◆
「……美味しかった」
俺達の目の前には空の皿が何枚も並べられていた。
あれから母さんが焼くのを横で見たり、手伝いながら学んだ。そして、家族揃って食べようとなったのだが……
昨日なんて比にならないほど皆一心不乱に食べた。当然俺もその枠に漏れない。
気がつけば俺達は満腹となり、軽い放心状態となっていた。数分ほど余韻を楽しんでいると、火凛のお父さんが一つ咳払いをした。
「こほん……水音君、火凛。一つ話があるんだ。伊吹達にも聞いていて欲しい」
俺は頭を振り、切り替える。火凛も同じようにした後に俺を見て、頷いた。
「どうしたの? お父さん」
火凛のお父さんは、少し躊躇いながらも口を開いた。
「来週末から一ヶ月ほど出張に行こうと思っているんだ」
思わず目を見開いた。
「……珍しいな。拓人が出張なんて」
「ああ。上の方からの命令でね。断ろうと思っていたんだけど、どうやらこれを無事に終えたら昇給してくれるらしいんだ」
……なるほど。見ると、火凛は少し寂しそうに顔を俯かせた。
だが、この決定が火凛のためを思ってと言う事も分かっているだろう。……俺としても、もう少し家に居て欲しいのだが。
「……分かった。じゃあまたしばらくは水音と二人暮しだね」
そう言って火凛は微笑んでくれるが、やはり寂しさは隠せていない。
「……二人とも、その間家に泊まれば良いんじゃないか?」
父さんがそう言ってくれるが、火凛はゆるゆると首を横に振った。
「……遠慮しておきます」
「火凛はまだ人の家に泊まるのに慣れていないからな。二、三日なら大丈夫だろうが、長期間泊まるのはまだ厳しいはずだ」
案外他人の家に泊まるという事は疲れる。俺が火凛の家に止まるようになってそれは分かった。
……加えて、火凛はまだ父さん達に慣れていない。それは当然と言えば当然だろう。火凛が立ち直ってから俺の家族と過ごした時間が短すぎる。
かと言って、無理に慣れさせようとも思えない。ストレスになる可能性が高いからだ。いきなりでは無く、少しずつ俺の家に慣れて貰おう。
あと、一番大切な事がある。それは、この家の防音性は良くないと言うことだ。もし俺と火凛が致せば……ほぼ確実に家族に伝わるし、近隣住民にもバレる。良くない。それは非常に良くない。
なら我慢しろとも思ってしまうが……時折。最近は減ってきているが、火凛が無性に俺を求める時があるのだ。突発的で、しかも時間は問わない。夜中や朝方に求められた事もある。……それは致していない期間が長くなるほど起こりやすい。
ならば定期的にガス抜きをすれば良いとも言えるのだが、厄介な事に火凛が悪夢を見た時もそうなってしまうのだ。……まだ、お母さんの事を思い出してしまうのも仕方が無いだろう。あれから一年も経っていないのだから。
火凛のお父さんも俺が不安そうにしている事に気づいていたのだろう。父さん達に向けて首を振った。
「……だから、出来る限り二人のサポートをして欲しいんだ。私の分まで」
そう言って、深々と頭を下げた。
「水臭い。そんなん頼まれなくてもやるに決まってるだろ。火凛ちゃんも俺とお母さん……それに、水美に取っても家族だ」
「そうよ。任せてちょうだい」
父さんと母さんの言葉に火凛のお父さんはホッとした表情になる。
「……そうだ! 僕も姉さん達の所に何回か泊まりに行くよ! そうすれば寂しくないよね!」
「ああ、そうだな」
二人に続いて水美はそう言った。俺は優しく水美の頭を撫でる。
「……ありがとう、二人とも。そして、水美ちゃんも。……それに、水音君にはいくら感謝してもし足りない。火凛、戻ってくる頃には仕事も落ち着くはずだ。その時はもっと家に居られるし、また皆でどこかへ遊びに行こう」
その言葉に火凛は頷いた。寂しそうではあったが、もっと家に居られるようになると聞いて少し嬉しそうだ。
……そして、俺を見てきた。何が言いたいのかはすぐに理解した。
「……話は変わるんだが。母さん、父さん。それに、水美と火凛のお父さんも。一つ俺と火凛から話があるんだ」
場に緊張が走る。父さん達は緊張した面持ちで俺と火凛を見ていた。
「……実はな」
一度火凛を見る。すると、手をぎゅっと繋がれた。俺の不安を感じ取ったのだろう。俺はその手を握り返した。
意を決して口を開く。
「将来、火凛とカフェで働きたいと思っている」
そう言った瞬間、一気に場の空気が緩んだ。思わず火凛と共に首を傾げる事となった。
「何を言うかと思えば……マジで子供が出来たのかと思ったぞ」
「……ええ。久しぶりに緊張したわね」
「心臓に悪いよ……水音君」
……どうやら別の事で勘違いをしていたらしい。思わずため息を吐いてしまった。
「……俺が後先考えずに動くような男に見えてたのか」
「案外水音みたいな男がハマると……………………じゃなくてだな。案外事故とか起きるって聞くしな。うん」
……父さんは本当に俺をなんだと思っているんだ。
「ってそうじゃなくてだな。まだ漠然とした目標では無いが、将来は火凛とカフェをやりたいんだ」
「私は良いと思うわよ? 水音なら料理も上手いし……火凛ちゃんも上手かったわよね? 確か」
「うん。火凛の料理は上手だよ。贔屓目抜きでね。私も良いと思う。将来の夢は大事だからね」
「ああ。それは俺も同意だ。若いうちは挑戦が大事だしな」
……三人の言葉に俺は火凛と顔を見合わせ、笑う。
「あ、でもそうなると場所が居るわね。母さんもそれなりに伝手はあるから聞いてみるわね」
「あ、それは大丈夫です。私の親友の親戚がカフェをやってるらしくて……詳しい事は来月になるまで分からないですけど、そっちで色々勉強したいと思ってます」
火凛の言葉に母さんが驚く。
「……行動が早いわね。良い事よ、火凛ちゃん。でも、もし何かあったら遠慮なく言ってちょうだい。力になれるから」
その言葉を嬉しく思いつつ、先程から声をあげない水美を見る。
「兄さんと姉さんが……………………なら僕も…………でも………………いや………………」
何かぶつぶつと呟いていた。
「水美?」
「え……あ、兄さん! 僕もいいと思うよ! 兄さんと姉さんの料理って美味しいもん! 流行ると思うよ!」
名前を呼ぶと、慌てたように俺と火凛へそう告げた。
「ふふ。ありがとね、水美」
「ううん! 絶対繁盛するよ! 二人のお店なら」
火凛も手を伸ばして水美を撫でた。嬉しそうにはにかむ水美を見てほっこりとしていた時だ。
「理由を聞いてなかったが、どうして急にカフェをやりたいって思ったんだ?」
父さんの言葉に思わず固まる。
「ふふ。実はですね。先週」
「ちょっと待て火凛」
あれを全部話すのか? ……思い出すだけで顔が熱くなる。というかあの時の俺も迂闊にも程があるだろう。
しかし、俺の反応を見て皆がニヤニヤし始める。
「それでそれで? 先週何があったの?」
水美が好奇心を押し隠さずに聞いてきた。
……こうなってしまえば俺には止められない。
その後、火凛は嬉しそうにその時の事を語ってくれたのだった。




