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第50話 在りし日の記憶 デート②

遅れて申し訳ありません……最近忙しくてつい忘れてしまいます

「だーれだ?」


 座りながらぼーっとしていると、急に視界が暗くなった。


 それと同時に聞きなれた声が耳へと入る。鈴のように、聞くだけで心が安らぐ声だ。


「またか……と言いたい所だが。やってるのは水美だな?」


「えっ! 本当に分かってたんだ!」


 視界が自由になると同時に、水美の驚いたような声が真後ろ聞こえた。


「間違える訳ないだろ。さっきも二人と手は繋いでいたしな」


 振り向くと、すぐ目の前に水美の顔があった。律儀にしゃがんでやっていたらしい。

「……ッ!」


 ……というか危なかった。水美の顔は本当に目の前だ。鼻すら触れそうなほど。一歩間違えたら本当に取り返しがつかない事になっていた。


「……えへへ。兄さんの目って綺麗だよね」


 俺が驚いている間、水美は呑気にじっと俺の目を見ていた。……こんな機会もあまり無かったので、俺も水美の目をじっくり見る。


 キラキラとしていて、目だけで元気が分けられるようだ。……水美にはずっとこんな目をしていて欲しい。


「……じゃなくて、買い物はもう済んだのか?」

 水美から目を離し、上を向く。火凛は俺を見て微笑んだ。


「ん。気に入ったのもいくつかあったし、水美に似合いそうなのも買ったよ。……見る?」

 火凛は紙袋の中身をチラッと俺に見せようとしてきた。

「……からかうな。買ったなら次は飯にするか。いい時間だし」

 俺はそれから目を背け、立ち上がった。それに続いて水美は立ち上がり、俺に手を差し出してきた。


「うん、行こう! 兄さん、姉さん!」


 その手を握ると、水美は目の端を下げて笑った。


 ◆◆◆



「あ……! 兄さん、あれ食べたい!」



 昼食を終えると、水美はデザートが食べたいと言った。火凛は荷物番をするらしい。なので、俺は水美と二人でフードコートに備え付けられているアイスやデザートが売られている場所へ来ていた。


 水美が顔を向けた方を見れば、クレープ屋さんだった。


「……クレープか。久しく食べてないな」


 火凛が時折スイーツを作る事はあったが、クレープは作ったことが無い。単純に難しいから、とか専用の機械がないからとかでは無く、なんとなく作らなかったのだろうが。



「ね、僕も最近食べてなかったからさ。食べよ!」


 水美に手を引かれ、急かされる。





 ああ。懐かしいな。




『兄さん……あれ、食べてみたい』


 あれは夏祭りの夜の事だ。火凛が熱を出してしまい、三人で行くはずが水美と二人で行くことになった。


 その時の水美は物静かで、自分からあれがしたいとか、これがしたいとか言い出す事はまず無かった。母親にも、父親にも……当然俺にも。



 そんな水美が食べたいと言ったもの。


 それがクレープだった。


 今思えば、夏祭りで出すものでは無いだろう。あれだけ人がいるのに。ぶつかったら、倒れてしまうか相手にクリームを付けてしまう。それは皆分かっているのか、並んでいる人は居なかった。


 忘れていた記憶が蘇る。




『だ……だめ、かな。兄さん』


 俯き、罪悪感を滲ませた水美の顔が鮮明に思い出せる。



『お、そこの若いの。仲良いね。カップルかい? 買ってくれるならたっぷりサービスしちゃうよん』


 俺達を微笑ましそうに見るクレープ屋のおっちゃんも。


 財布から小銭を取り出す部分まで、鮮明に思い出した。


「水美はどれが欲しい?」『水美はどれが欲しい?』


 奇しくも、あの時の俺と声が重なった。


「……そうだなー」


 聞いておきながら、俺は水美がどれを食べるのか想像がついていた。完全に妄想の類だと理解はしながらも。



「バナナのやつ!」『バナナのが……食べたい』



 笑顔の水美の奥に、恥ずかしそうに俯く水美が幻視してしまう。


 ならば……俺が買うのもアレしか無いだろう。


『「なら、俺はチョコのかかった物だな。火凛にはイチゴのクレープだ」』


 そう言うと、水美は一瞬惚けた顔をして……抱きついてきた。



「覚えてたんだね……兄さん」


 思わず、頭を撫でながら抱きしめる。周りからの視線が気にならなくなるほどに。


「ああ。成長したな、水美」


 あれだけ奥手で、自分の感情をずっと閉じ込めていた水美が初めて見せてくれた笑顔。


 あれを忘れる事など出来ない。……否。忘れさせてはくれない。何故なら、水美はずっとあの笑顔を俺達に向けてくれたからだ。


「……ん。僕はあの時からもっと兄さんが大好きになったからね」


 ……ああ。そういえば、あれからはしばらく水美は俺にべったりだったな。


 火凛と遊ぶと言えば自分も行き、俺をずっと独占しようとしていた。火凛と話そうとするだけでもぎゅっと抱きしめられて遠ざけようとさえした。


 ……いつから、だったかな。火凛に懐くようになったのは。


「次のお客様どうぞー」



 しかし、そんな妄想はここで断ち切られた。後ろの迷惑になる訳にはいかない。一度頭を振り、現実へと戻る。



 前へ寄ろうとすれば、手をきゅっと握られた。


 火凛とよくするような、恋人繋ぎと呼ばれるもの。





「あの時、火凛ちゃんと約束したんだ」


 その呟きは確かに俺の耳へと入った。しかし、それを尋ねるより早く、水美は俺を引っ張って注文をし始めた。


「このバナナクレープと、チョコとイチゴ。一つずつください!」

「はーい、バナナ一、チョコ一、イチゴ一ですね。この番号札を持って席でお持ちください」


 お金を払い、番号札を受け取る。そして、歩き出す。


 自然と手が水美の頭へ伸びた。髪型が崩れないよう優しく撫でると、水美はだらしなく頬を緩めた。


「……水美も成長してるんだな」

「そう……だね。成長してるよ。良い意味でも、悪い意味でも」


 水美は、少し哀しそうな顔をしてぴとりと肩をくっつけてきた。


「……水美?」

「ねえ、兄さん」


 酷く震えた声で、水美は俺を呼んだ。通行の妨げにならないよう端へと寄り、立ち止まる。


「もし、僕がさ。本当はどうしようもないぐらい性格が悪かったらどうする? 自分のわがままで……人に迷惑を掛けるような子だったら」


 水美は……俺の事を見ずにそう言った。


「まずは話を聞く。どうしてそんなわがままを言ったのかをな。そうしないと何も始まらない」


 たとえ……水美が人に迷惑を掛けるような子だったとしても、何の理由も無しにするような子ではない。兄としてそう信じている。


「……もしさ。それが…………迷惑を掛ける相手が兄さんと……姉さんならどうする?」

「全て受け止める。火凛の分まで俺が……と言ったら火凛が怒りそうだな」


 そう返せば、水美はくすりと笑った。


「嫌いにならないの?」

「なるはずが無い。お前は俺の妹だぞ…………いや、違うな。俺とお前の血が繋がって居なかったとしても受け止めるだろうな」


 水美は、ハッとした表情で俺を見た。その顔には驚愕が浮かび始めている。


「どう……して?」


 妹だから。血が繋がっているから。


 そんな理由だから水美を好きになっている訳では無い。


「水美だから、だな。それ以上の理由なんか無い」

 それが、俺の答えだ。


 水美は、長く、深く息を吐いた。


「ねえ、兄さん。夜、寝る前にさ。謝りたい事があるんだ。僕、兄さんに酷い事をしたから。……それと、今日明日話す事じゃないんだけどさ。今度、お願いしたい事を話すと思う。こんな事言ったら兄さんも、姉さんも困るはずだって分かってるけど……それでも、僕はその事を言わないと後悔するんだ。きっと」


 ぴとりと付いている肩の奥から、心臓がバクバクと高鳴っている音が分かる。


「ああ。言いたい事は思う存分言え。何があろうと俺はお前の事を嫌わない。受け止める。むしろ俺を困らせろ。後悔だけは絶対にするな……いや、俺がさせない」


 水美が何を謝りたいのか、何が言いたいのか俺には分からない。


 ……それでも。


「兄を……俺を頼れ、水美」

「僕……うん。頼る、兄さんを」


 気づけば、水美の奥から鳴り響いていた心臓の音も小さく、自然な速さへと戻っていた。


「よし、戻るか。火凛も待ってるだろうしな」

「うん。そうだね!」


 水美は笑顔へと戻った。太陽のような、辺りを照らす眩しい笑顔へ。


 何があろうと、この笑顔を曇らせない。


 そう心に刻んで、火凛の元へ戻ったのだった。



 ◆◆◆


「あ……兄さん、姉さん。この近くに本屋ってある? 買いたい本があるのを思い出しちゃってさ」


 クレープを食べ終えると、水美がそう言い出した。


「……ああ、あるぞ。このショッピングモールの中にもあるが……なあ、火凛。いつも行くところにバイトしてる人いたよな。あの子って何曜日に居るとか分かるか?」


 火凛へそう聞くと、少しだけじとっとした目を向けられた。


「……もしかして水音、春咲ちゃんがタイプだったりする?」

「違う。実は前行った時に種崎さんから相談を受けてな。どうやらあの子が悩み事を持ってるらしいんだが……プライペートな内容でな。もし居るなら、火凛も居るし丁度いいと思ってたんだが」


 誤解を解きながら説明をする。火凛はきょとんとした後、こくりと頷いた。


「ん。確か休日は居たはずだよ。悩み事……か。私も気になるし行こっか」

「ああ。という訳で、水美。普段から俺と火凛が行くところで良いか? そこまで遠くないはずだ」

「うん、大丈夫だよ!」


 水美と火凛から許可を得て、いつもの場所へと向かう事になった。



 ◆◆◆


「いらっしゃーい……って水音君達じゃん。どったの? 早いね。買い忘れてた物でも……」

 店へ入ると、店主の種崎さんが驚いた様子を見せた。それもそうだろう。つい最近来たばかりなのだから。


 そして、俺と火凛と手を繋いでいる水美を見て絶句した。


「……隠し子?」

「いやそうはならんだろうが」

 思わず素でつっこんでしまった。一つ咳払いをする。


「こほん……俺の妹の水美です。種崎さん」


 水美をちらりと見ると、驚いた顔で俺を見ていた。


「……水美?」

「いや、兄さんが敬語使うの久しぶりに見たから……水美です」


 水美がそう言って頭をぺこりと下げた。……なんか腑に落ちないな。確かに俺が敬語を使う機会はあまり無いが。


「へぇー。かっわいい妹ちゃんだね。宜しくね。私は店主の種崎って言うんだ」

「はい! 宜しくお願いします!」


 さて、例のバイトの子は居るのだろうか。そう思っていると、奥からこちらへ来る人影が見えた。


「いらっしゃいませ。獅童君、火凛ちゃん。話は聞いていたよ。水美ちゃんだよね? 私はここでバイトをしている春咲って言うんだ。火凛ちゃん達と同い年だよ。宜しくね」


 件の人。春咲が現れた。三つ編みで眼鏡を掛けた、いかにも本が好きそうな子だ。……見た目で判断してはいけないとは思うが、本人も本は好きだと言っていたので問題ないだろう。


「は、はい! 宜しくお願いします」


 火凛を一目見ると、頷かれた。意図を察してくれたようだ。


「よし、それじゃあ水美。行くぞ」

「……う、うん。分かった!」


 後は火凛に任せよう。幸い……と言っていいのか分からないが、今日も客は居ないようだし。


 水美も火凛が春咲と話すと言う事は分かっているからか、俺の手を握って奥へと向かった。


「あ、水美ちゃん。後でおねーさんともお話しようね?」

「あ、はい! もちろんです!」

 種崎さんは軽く水美へと手を振る。それを背にして、なるべく火凛達から離れるように奥へ奥へと進んだのだった。



「ああ、そうだ。水美が買いたいって言ってたのは何だったんだ? ……というか俺に着いてきて欲しくなかったら言ってくれよ?」

「あ、ううん…………大丈夫だよ。欲しかったのは漫画だから」


 少し間があったが、俺がいても問題ないらしい。


「漫画か……ならもっと奥の端の方だな」

「あ、おっけー」


 今度は俺が先導するように歩く。てくてくと水美は着いてきた。


 ……よし、大丈夫だ。火凛達の声もここまでは聞こえない。


「あ、あった! あったよ兄さん!」

「ん? おお、良かっ……」


 思わず水美が持っているのを見て顔が固まった。


『兄との禁断の恋〜〜お兄ちゃん、私だけを見て』

『血の繋がらない姉との出会い〜〜貴方のお陰で私が居るの』



「…………最近の漫画ってタイトル長いよな。ラノベから輸入してきたのもあるんだろうが」


 そう言うと、珍しく水美はジト目で俺を見てきた。

「……兄さん? 言っとくけど、この漫画そんなに過激なのでは無いからね?」


 ……まあ、そうだな。ライトノベルの方がもっと恐ろしいタイトルの物もあるか。ヒロイン枠に妹が居るのもデフォルトみたいになってきているし。


 偏見はダメだな。


「悪い。その辺のタイトルの物は読んでこなかったと言うのもあるが……いや、言い訳にしかならんな。本当にすまなかった」

「分かってくれたら良いんだよ。あ、そうだ。兄さん。他にオススメの漫画とかないかな? ライトノベルとかでも良いよ!」


 笑顔で本を抱き抱えながら、水美はそう言った。


「……そうだな。色々あるが、好きなジャンルとかあるか?」

「色々読むよ! ファンタジー物とか、ラブコメとか! 恋愛漫画とかも好きだよ!」


 ……かなり趣味は被っていた。俺はその後、何冊か本を紹介したり、水美が学校で流行っている漫画の話を聞いたりした。

 気がつけば、二十分も時間は過ぎていたのだった。

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