第21話 店主の相談事
『今日ちょっとやりたい事があるからどこかで時間を潰してきて欲しい』
珍しく、火凛からそう連絡があった。白雪達と寄り道をして帰るから先に帰っててと言われる事は前までよくあったのだが、先に帰りたいと言われるのは珍しい。
そういう訳で、久しぶりに隣町のよく行く本屋へと赴いた。いつもは火凛とよく来る所であり、そこまで大きくはないが寂れた場所でも無い。そして、知り合いもほとんど来ない場所だ。
「お、いらっしゃい、水音君。今日は彼女ちゃん来てないの?」
中に入ると、暇そうに肘をついていた女店主が開口一番にそう言った。
「……別に彼女って訳では無いんですけどね。こんにちは、種崎さん。今月の新刊まとめってありますか?」
「今更恥ずかしがんないでって。いつも火凛ちゃんとあんなに手絡ませてた癖にさ。そっち置いてるから見てって」
普段から通っている店全てで俺と火凛が付き合ってる事になってる事が問題ではあるが。
入口近くに置かれた、【今月の新刊】と書かれているコーナーのパンフレットを見る。
【店主オススメ!今月の美容雑誌三選!】と表紙にデカデカとかかれたパンフレットは、想像通り先程の店主特製のものだ。
この三冊は火凛も愛読しているためお土産にしておこう。
「種崎さん。これってまだ火凛は買いに来てないですよね?」
「ん? ……ああ、そうだよ。というか火凛ちゃん、ほとんど水音君としか来ないし。来てる時は水音君に連絡とか入れるって言ってたけど」
「ありがとうございます」
種崎さんの言葉を聞いて安心して雑誌コーナーへと向かう。
火凛へのお土産を三冊。そして、欲しかったライトノベルと漫画の新刊を一冊ずつ手に取る。
そうしてレジへと持っていく。すると、どこか呆れたような、しかし好意的な視線を向けられた。
「水音君ってホントいい男だよね」
「はぁ……ありがとうございます」
そうお礼を言ったものの、俺からしてみれば火凛が喜ぶ顔を見たいという打算的な思いしかない。
「……はい、合計で三千三百円ね」
「はい、丁度です」
本の入った袋を手に取る。スマホを確認するが、火凛からまだ連絡は無い。
もう帰っていいものか迷っていると、声をかけられた。
「ね、水音君さ。時間あるならおねーさんとちょっと話してかない?」
そう言ってバチリとウインクをする種崎さん。連絡を入れるか迷っていたスマホをポケットに入れる。
「良いですけど」
「あれ、ノーダメージ。おねーさんのウインクで今まで落とせなかった男は居ないはずなんだけど」
そう悪魔っぽく微笑む種崎さんは魅力が無い訳では無い。
もしも俺が無垢な男子高校生ならば惹かれる物があったのかもしれない。ただ、俺は無垢でも無いしいつもはすぐ傍に他を圧倒するレベルの美少女が居るのだ。
「そういうのは間に合ってるんで」
「ちぇー。まあいいけどさ。恋バナしよーよ、恋バナ。高校生ってみんな好きでしょ?」
「はあ、恋バナですか……いや、良いですけど」
どうせ連絡が来るまで帰れない。少しぐらい付き合おうと持っていた本を置いた。
「お、珍しい。いつもは火凛ちゃんの所にすぐ帰るって断るのに」
「今日は火凛にすぐ帰ってこないでって言われたので」
へえ、と種崎さんは意外そうな顔を見せた。その後、ニヤリと口の端を歪めた。
「ひょっとして浮気してるんじゃないの?」
その言葉に眉がぴくりと動いてしまった。
「……無いですよ。そんな短時間の浮気なんて。というかそもそも俺と火凛は交際している訳ではありませんから。……火凛が誰と会っていようが俺は何も言いませんよ」
「ハハッ」
そう返すと、店長は高らかに笑った。
「いやー、ごめんごめん。冗談だって。火凛ちゃんが浮気? ある訳ないって。あーんなに君の事大好き〜ってオーラ出してるのにさ」
その言葉を聞いて、白雪が言っていた事を思い出した。
『火凛は獅童君以外の誰ともしてないよ。断言出来る』
確か、そう言っていた。そうだ。こんな考えは火凛を信じていないと言っているようなものだ。
「俺だって火凛が他の男と……一緒に居るとは思ってませんよ」
「男の子はそれぐらい自信がある方がいいからね。頑張りなよ?」
そう言って種崎さんは笑った。先程のようないものでは無い、純粋な笑み。
その笑みを崩さぬままちょいちょいと手で招かれたので軽く身を乗り出す。すると、こそっと耳打ちをされた。
「でさ。実際火凛ちゃんとは何処までやってるのよ。もう高校生なんだしズッポシやってるの?」
「いきなり下世話過ぎますよ。種崎さん」
小声でとんでもない事を言ってくる種崎さんに呆れた視線を飛ばすと、種崎さんは苦笑いをした。
「いやね? 理由が無いわけじゃ無いんだよ? バイトの春咲ちゃん居るじゃん」
この店には時々バイトの子が居る。俺や火凛と同じ高校生ぐらいで、火凛は時折話していたはずだ。
バイトをしている人はその人以外見た事ないし、恐らくその人だろう。
「ああ、居ますね」
「そうそう。あの子、彼氏居るんだけどね。びっくりするぐらい気持ちよくないらしいのよ」
一瞬何を言っているのか分からなかった。というか言葉を理解した所で混乱するだけだった。
「はぁ……勝手に話して良いんですか、それ」
種崎さんは所々抜けている。信頼できない人と言う訳では無いのだが、口が堅いかと聞かれれば素直に頷けない。
「良いの良いの。あの子から許可も取ったし。それで、私相談されてたんだけどね。私、ちょーっとばかりそう言った体験にトラウマがあってね? 相談に乗れなかったのよ」
トラウマがあると言うのは初めて聞いた。しかし、そういう女性も少なからず居るのだろうと納得する。
「それで俺にですか」
「そういう事。あれだけ仲良しさんならしてるんじゃないかなーって」
どう答えるべきか迷う。そういった行為をしていると言ってしたえば、付き合ってると誤解されてしまうだろう。それは無理やり外堀を埋めているようで好ましくない。
「……俺は火凛を大切にしてるんで。友達の話だったら話せますけど」
「え、ホント? お願い!」
よし、食いついてきた。俺自身の体験としては話せないが、これなら話しても良いだろう。
「そうですね。その友達が言うには、慣れが必要らしいです。女の子はやっぱり初めては痛い訳ですし、男の方も自分に精一杯で相手のことを気にする余裕が無い、とか。だから、試行錯誤の連続らしいですよ」
実際、慣れるまで火凛は少し辛そうにしていた。途中からは快楽が押し寄せてくるらしいが、それまでは少し苦しいとか。言ってくる事は無かったが、痛みも少なからずあっただろう。
「おお……なるほど」
「あと、嫌なものはちゃんと嫌って言うのも大事らしいです。気が乗らないものはやっぱり気持ちよくなれないらしいですから」
火凛にNGはほとんど無いのだが、いくつか絶対にダメと言うものがある。
それは、過度なSMプレイと寝盗らせ、乱交プレイ。これだけは絶対にやらないで欲しいと言われたのでやったことは無い。
実際、火凛の体に傷が残るのは俺も嫌だし、火凛を他の誰かに犯させるとか一緒に犯すだとか、他の女性ととかは絶対に嫌だ。……そして、露出プレイなどもした事が無い。
「あとは……そうですね。ゆっくりお互いの体を確認しながら抱きしめるのとかもムードがあって良いらしいですよ。お互いの匂いを嗅ぐとか、色んな部位にキスするとか」
火凛はムードとか関係無しに貪り合うようなのも嫌いでは無いらしいが、行為の前後では決まって抱き合う。人の体温は心を落ち着かせてくれるからだ。その点は俺も同意している。
「へぇー。よく知ってるね。そこまで話すってよっぽど仲良いんだね」
「学校にキスマーク付けてくるとか普通にありましたからね」
「その首のやつみたいに?」
種崎さんに指を刺されて、思わずそこを首で隠してしまった。
……しかし、よくよく考えれば分かったはずだった。
火凛は首にキスマークを付ける場合、ギリギリ見えない場所にしか付けない。精々、虫刺されで誤魔化せる腕や脚。服で隠れて見えない胸や肩付近などだ。
「へぇ。やっぱりしてるんだ」
「い、いや。これはあれです……童貞の自意識過剰な勘違いです」
あまりにも苦しい言い訳だと自覚しながら目を逸らす。
すると、スマホが一度震えた。確認すれば、火凛からだ。
『もういつでも帰ってきていいよ』
実にナイスタイミングである。
『分かった、今隣町の本屋にいるから三十分以内に帰る』
返事を返し、袋に入れられた本を取る。
「用事できたんで、そろそろ帰ります」
「ありゃ。嫁さんから呼び出しくらっちゃったのかい?」
「……嫁では無いですけど。俺もよく分かりませんが、準備が今終わったみたいです。それじゃあ、また今度来ます」
「あいよ。今日はありがとね」
ニカッといい笑顔を浮かべる種崎さん。これだけいい人なのにいつも人がいないのはどうしてなのだろうか。
「いえ、こちらこそ楽しかったです」
そう告げてお店を出た。
◆◆◆
『もうすぐ着く』
『おっけー。着いたら今日はチャイム鳴らしてね』
火凛の家が見えた頃、火凛に連絡を取った。珍しい注文だなと思いながらスマホをポケットに入れ、また歩き出す。
「そういえば明後日が家に帰る日の期限だったか。水美拗ねてるだろうな。お土産買って帰らないと」
今日まで含めると、五日連続火凛の家に泊まっている事になる。それでも水美を含む家族と連絡は取るようにしていたのだが、水美はそれで満足していないだろう。
「……あいつ、そろそろ彼氏の一人でも作れば変わると思うんだがな」
水美はブラコンだ。それも重度の。火凛の家に泊まると言えば何度着いてこようとした事か。
『最低、一週間に一回は帰って来て』
それが水美の出した条件だった。いつもなら余裕を持って五日に一度ぐらいの頻度で帰っているので問題無いのだが、今週はギリギリまで粘る事になりそうだ。
今日の朝も連絡が入っていたが、『いつ帰ってくるの?』としか聞かれなかったし。
「……まあ、火凛を連れていけばどうにかなるか」
水美は火凛と仲が悪い訳では無い。それどころか実の姉のように慕っている。その様子は傍から見ればとても仲の良い姉妹に映るだろう。
そうして妹の事を考えていたら火凛の家はすぐ目の前になっていた。
チャイムを鳴らす。すると、とてとてと扉の奥から駆け足の音が聞こえた。
鍵がかチャリと開く。そして、それと同時にドアノブが捻られる音も。
そして扉が開いた先には――
「お帰りなさいませ、ご主人様♪」
メイドがいた。




