第100話 最悪の事態
遅れて申し訳ないです
「……水音の奴、俺の言葉からも察したな」
「それだけ水音の心にも余裕が出来てるって事だよ。良い事さ」
水音は優しく、そして聡い子だ。お父さんがまだ話せない事がある事まで理解している。
そして、それが火凛ちゃんに聞かせたくない話という事も。
今の火凛ちゃんは不安定だ。気になっていたけど、とても火凛ちゃんの前で聞ける内容では無かった。
一度唇を湿らせ、お父さんへ尋ねる。
「それで、お父さん。確認したい事があるんだけど」
「……ああ。俺も信じたくなかったが」
お父さんは私の言葉を理解し、腕を組む。そのままじっと私を見た。
「クロだ。桐島は違法薬物のバイヤーとの繋がりがある」
その言葉に私は…………長いため息を吐いた。
「……私が言った最悪の事態は?」
「……その可能性が今の所一番高い」
酷い頭痛がする。怒りを通り越したからだろうか。
お父さんも怒っているのか、拳を握りしめながら話を続けた。
「……さっき話した裏切らせた奴から話を聞いた。桐島は気に入った女が居ると無理やり強姦して弱みを握るらしい。……クソみたいな事に、桐島は人妻だとか恋人への愛が深い女性、それと気の弱そうな女性しか狙わない。一度交わった後に後戻り出来ないと囁き、心を蝕んでいく。……それでも抵抗するような奴はヤク漬けにして思い通りに言う事を聞かせる。薬代も当然女性側に負担させているそうだ」
これだけでも信じ難いほど嫌な話だ。だけど、次の言葉は私の……想像通りの話だった。……最悪の想定だった。
「――それと、薬漬けにした女が、もし薬代を出す事が出来なくなれば、知り合いの女を差し出せと言うとの事だ。仲間にはお前らも共犯だ、他の奴に言えばお前もケジメを付けなければいけなくなる、とか言うらしい」
絶句、と言うより他無かった。女の敵どころの話では無い。人類の敵と言ってもいい程のクズ。
しかも、それだと……それって、火凛ちゃんを……
握った拳が震えた。
その上、その話の通りだと瑠璃は抵抗した事になる。
怒りを鎮めるため、長く息を吐いた。
話の中で気になる事があったからだ。
「……さっき言ってた幹部とやらは?」
桐島が中心にいるのならば幹部は? 探偵を使うにはそこを通さなければいけないはずだ。
「幹部は相当の女好きらしい。女性の人生を壊す事に何よりも快感を得ている。桐島と同じでクソ野郎だ」
お父さんの言葉に納得すると同時に疑問が浮かんだ。
「……どうしてその幹部は幹部のままなの? そんなやりたい放題していたらそれこそ追放されるんじゃ」
「……それがな。そいつ、前組長の息子らしいんだ。前組長は自分の子供以外の事には有能だったらしいんだが。子供は甘やかし放題。それでこんな風に育っちまった。それで、前組長に世話になった人も多い。その息子も表ではいい顔しているから……下手に追放しようとすれば向こうに人が行くかもしれない。その分裂を恐れているんだそうだ。……加えて、そいつは昔から桐島と仲が良かったとか」
「……またややこしい事になってるんだね」
向こうには向こうの事情があるって事かい。そんなものこっちからすれば知ったこっちゃないけど。
「その為に俺は現組長と話し合わなければいけない。場合によっては警察へ掛け合う。俺の友人にその手の捜査部隊が居るからな、と」
「……それは嘘?」
「そう思うか?」
お父さんの言葉に首を振る。
嘘だとしても真実にする。彼はそういう人だ。
「ま、知り合いにその手の専門が居るのは確かだ。いざとなれば潰れる可能性があるって伝えりゃ良い」
「……それって喧嘩売ってるようなものじゃないの?」
少しだけ不安になりそう言うも、お父さんは笑顔を崩さない。
「ちゃんと言い方は考えるさ。それに、あの手の組合は警察に弱い。最近の警察はこうした組合に目を光らせている。問題があればすぐ潰れるんだよ。今回のは稀有な例だ。ちゃんと事前に相談しているだけでも向こうからすれば貸しになる。……当然、油断はしないがな」
こう見えて、お父さんはかなり慎重だ。彼は常に一手二手先を見て行動しているし、最悪の状況も想定している。そのお父さんが大丈夫っていう事は本当に大丈夫なんだろうけど……
「お父さん。傷一つでもつけてきたら一週間……いいえ。二週間インスタント食品しかあげないからね」
「はい! ぜっっっっっっっっっっっったい怪我しません!」
思わずそんな意地の悪い事を言いながら、私も考えていた事を口にする。
「ねえ、お父さん。一つ相談したい事があるんだけどさ」
「なんだ?」
一瞬……本当に一瞬だけ躊躇ってしまう。お父さんも真剣な話だと分かっているからか茶化して来ない。
「瑠璃、救えないかな」
お父さんは目を見開き……そして、難しい顔をした。
「……あいつ次第、と言うより他ねえな」
「そう、よねえ……」
瑠璃の眼を見てどうして私が気づいたのか。それは、客の中に希にあんな眼をする人がいたから。
その人達はそこそこ有名な人だったけど、皆いつの間にか居なくなっていた。それが薬物中毒の末路、だとはあの時の私は分かっていなかった。
瑠璃は変わった? 違う。変えられたんだ。無理やり引きちぎられて、それが快楽だと錯覚させられて、歪に繋げられて。
……そして、その快楽が途切れないよう、自分の娘まで差し出そうとしている……のかもしれない。
想像しただけで怒りで脳が焼き切れそうだ。
どうして気づけなかったんだ。今更後悔しても遅い事は分かっている。
「……だがな」
お父さんの言葉にハッとなる。いつの間にか考え込んでしまっていた。
「救えるのなら救いたい。……って意見に誰も反対はしないと思うぞ」
「……お父さん、もしかして何か手が?」
「無い」
まさか、と思ったけれど一蹴された。でもそれはそのはず。さっき瑠璃次第って言ってたのに。
「精々、あの桐島共から取り返すのが精一杯だ。……それに、その後逮捕された後の事も考えないといけない。……桐島に壊されたのかもしれないが、法に触れている事は確かだしな。火凛ちゃんに手を出そうとしているのも……事実だ。本当に薬物のためなのかは分からないが。とにかく、瑠璃ちゃんだけお咎めなしってのは無理だ」
「それは……でも」
「加えて、火凛ちゃんがまた傷つく可能性もある。……今でさえかなり危ない状態にあるんだ。瑠璃ちゃんの問題は少なくとも今すぐ解決出来るものじゃないし、詳しい事情も桐島から聞き出さないといけない。それに、拓斗とも話し合わにゃならん」
……そうだ。瑠璃がまだ完全に被害者だと決まった訳では無い。
少し、気持ちが焦りすぎていた。自身の胸に手を当て、深呼吸をする。
深く、そしてゆっくり息を吸う。酸素が肺へ、そして脳へ行き渡る。
そのままゆっくり吐くと、少しは気分が落ち着いた。
少しだけ冷静になれた。でも、私は……
……瑠璃を信じたい。それが私の気持ちだ。
「まずは目の前の事を一つずつ、だ。お母さんも昔言ってくれただろ?『人生は料理と同じで工程が大事。一つでも抜かしたら美味しくなくなるし、間違えても美味しくなくなる。だから一つ一つの工程を丁寧に行わなければいけない』ってな」
お父さんの目を見て、その言葉に頷いた。
「……そうだね。そういえば、あの件は拓斗さんと話した? ……面会交流の事」
そう聞くと、お父さんはため息を吐いた。
面会交流。それは夫婦が離婚し、親権がどちらかに移された場合、もう片方の親が子供に会う事。普通、離婚をしたのならそこを話し合っているはずだった。
「……していない。というよりは中断したらしい」
「……ッ、どうして?」
「話し合いでは瑠璃ちゃんが絶対に折れなかったそうだ。火凛ちゃんに会いたい、とな。……家庭裁判所で話し合う可能性も出てきたらしい。その時に桐島の件を持ち出せば面会交流も拒否出来るだろうと考えたりはしたんだが……火凛ちゃんがあの調子だ。そこで強姦未遂があったとして、警察が調査に入るとなれば更に時間がかかるし、火凛ちゃんの心の傷が広がってしまう。問題は解決出来るのかもそれないが、火凛ちゃんが自棄になったら意味が無い。せめて、火凛ちゃんの心の傷が塞がってから話し合おうとなったらしいんだが……」
……必要な事とは言え、そんな事当時の火凛ちゃんにさせたくないに決まっている。
あと数ヶ月。火凛ちゃんが振り切れば、また裁判に持ち込めたのかもしれないけど。
その時、一つ疑問に感じた事があった。
確か、水音が瑠璃はもう他人で火凛と会う権利は無いと言ったと聞いた。正確には違うんだけど、瑠璃はその煽りに何も言い返せなかったはずだ。
瑠璃は決して馬鹿ではない。その事も分かっていたはずなのに。
……ああ、そっか。薬のせいでその辺も全て吹き飛んだんだね。薬物を使えば怒りっぽくなったり、物忘れが酷くなるんだったっけ。それか……薬物欲しさで短慮になっているか。
思わず歯軋りをした。
「……お母さん?」
「…………なんでもない。それにしても、嫌な時期に来たわね。本当」
「ああ。本当にな」
しばらく考え込む。
「まあ、大丈夫だ。どうにでも出来る。……幸い、これもあるからな。最悪の事態だけは防げる」
そう言ってお父さんが見せてきたのは、一つのSDカードだった。
◆◆◆
「それでさ、テストの平均点が95点越してたんだ!」
「本当に凄いじゃないか。よく頑張ってるな、水美」
「……ん。凄いよ、水美」
火凛が水美の頬を撫でる。水美の頬はもちもちしていて柔らかい。触り心地は抜群だ。
そして、火凛もそう思っているのかニコニコとしながら頬の感触を楽しんでいる。
水美も、頭を撫でられるのと同じぐらいこちらも好きらしい。……なんでも、手のあったかさが直に感じられて心地良いのだとか。
「えへへ……」
水美が火凛の手に手を重ね、嬉しそうに身をくねらせている。嬉しさが溢れ出している。
そして、水美はたまらず火凛に抱きついた。火凛の豊満な胸の中に水美が埋もれる。
「……ふふ。水美も甘えんぼになったね」
「…………甘えんぼな妹は嫌い? 姉さん」
「ううん。大好きだよ」
「えへへ……僕も」
なんだろう。非常に和む光景だ。写真に撮りたい。
その時、水美が俺をちらりと見てきた。一瞬。ほんの一瞬だ。
だが、それだけで何が言いたいのか分かった。これでも十四年近く水美の兄をやっているのだ。
……途中から共に過ごす時間が短くなってしまったが。
俺は体勢を変え、火凛と水美をの肩に手を乗せ、自分の胸に掻き抱いた。
火凛と水美は遠慮なく俺へ体重をかける。そして、火凛は左手を。水美は右手を俺の背中に回し……きゅっと手を繋いだ。
そのまま二人は俺の体へ頬を寄せる。そのシンクロする動きは本当に姉妹のようだ。
「……やっぱり水音の匂いは落ち着く」
「……ね。僕もそう思う」
あまり匂いを嗅がれるのは恥ずかしい。身を捩って避けようとしたが……二人は逃がさないとでも言いたげに手を固く結び、顔を寄せてきた。
……まあ良いか。
諦めて二人の頭を撫でると、ふわりとシャンプーのフローラルな香りが鼻をくすぐった。
「……そうか。学校帰りですぐこっちに来たんだよな」
「あ、そうだよ! 着替えとか教科書とか残りは土日で持ってくるつもり」
「すま……いや。ありがとうな。急に呼んだのに」
水美は俺のお腹にぐりぐりと頭を擦り付けた。そして、俺を上目遣いで見てくる。
「僕も大好きな兄さんと姉さんと一緒に居られたから。ありがとうって言うのは僕の方だよ?」
「水美……」
その言葉は俺や火凛を気遣ってのものでは無い。心からの本心だ。
だからこそ、その言葉が嬉しかった。
思わず水美を強く抱きしめていた。
「……ふぇ? に、兄さん?」
「俺も大好きだぞ、水美」
「兄さん!?」
「水美が俺の、俺達の傍に居てくれて心から良かったと思う」
水美にはずっと助けられてきている。
……これから先、何があったとしても水美の助けになろう。元々そのつもりではあったが。
すると、火凛も水美を強く抱きしめた。
「ん……私も水美の事大好きだよ」
「ぅ……」
珍しく水美の顔が赤くなった。可愛い。見られたくないと手で隠そうとしてするが……俺と火凛が強く抱きしめているので手が満足に動かせない。
水美が俺の胸元に顔を埋めてぐりぐりと抗議をしてくるまで、それは続いたのだった。
20時に100話記念のお話を上げます




